ジェームス・レヴァインというと、メトロポリタン歌劇場との関係が長いので、オペラの専門家というイメージが強いのですが、実際は普通の器楽曲も当然ながらレパートリーにしています。
ユダヤ系アメリカ人のレヴァインは1943年生まれで、アバドらとラトル、シャイーらの間を埋める世代で、70年代以後は、最近になって過去の不名誉なセクハラ問題解任されるまで、メトロポリタン歌劇場を主たる活躍の場としていました。
アバドはマーラー演奏の初期に、1976年から1986年にかけて、シカゴ交響楽団と第1、2、5、6、7番、リュッケルト歌曲集を録音しています。レヴァインは同時期にフィラデルフィア管弦楽団、ロンドン交響楽団、そしてシカゴと集中的にマーラーの交響曲を録音しています。
その中でシカゴ響とは、第3番(1975)、第4番(1974)、第7番(1980)の録音があり、アバドのシカゴ響との録音の曲目選択に少なからず影響したのではないかと想像します。その中では第7番がアバドと重なっています。
アバド指揮の演奏時間は、
21:20 - 16:35 - 8:53 - 14:00 - 17:42 (78:30)
一方、レヴァインの演奏時間は、
21:35 - 15:54 - 10:20 - 14:46 - 17:46 (80:21)
レヴァインの方がちょっと長めですが、だいたい同じくらいで、例のクレンペラーの100分越えに比べればいたって普通。
アバドの方が、明晰な音という印象を持ちましたが、アバドはDG、レヴァインはRCAという録音技術の違いはあり、どちらかというとDGの方が管楽器の音をクリアに収録しているのかもしれません。
テンポの変化による演奏時間の差以外では、こういう長い曲では楽譜と見比べながら一音一音をチェックしないと、細かい違いはなかなかわかりません。当然、そんな力量は持ち合わせていない。
あくまでも雰囲気でしかありませんが、アバドの方がめりはりを付けた、レヴァインよりも若々しい感じの演奏になっているように思います。つまり、アバドは延ばすところは延ばす、切るところは切るというのがはっきりしている。
しばしばアバドは楽団に好きにさせ過ぎるという評をされるのですが、この演奏に限って言えばレヴァインの方がそれに当たる。もちろん悪い演奏ということではありませんが、これはアバドの後出しジャンケンみたいなところかもしれません。