2020年1月27日月曜日

Pierre Boulez / Mahler Complete Symphonies (1994-2010)

ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925-2016)はフランス人で、バーンスタインよりちょい下、アバドよりちょい上という世代。レパートリーとして圧倒的に有名なのがストラヴィンスキーの「春の祭典」だと思うんですが、自分が中学生ごろにカラフルで鮮烈なレコード・ジャケットが記憶にあります。

1967年にセルに変わってクリーブランド管弦楽団の音楽監督に就任してから世界的に注目されるようになり、1970年にフランス国立音響音楽研究所を創設、自らも作曲家として活動し、間違いなく理論家です。

ドビッシー、ラヴェルなどのフランス物が得意なのは当然の事、1976~1980年のバイロイト音楽祭でワーグナーの「指輪」全曲をモダンな新演出で演奏し、物議をかもしたことは記憶に新しい。

マーラーについては70年代にニューヨークフィルとの録音が数曲ありますが、本格的なチクルスを開始したのは1994年のDG録音からで、交響曲はだけでなく、オーケストラ伴奏歌曲、嘆きの歌、大地の歌、葬礼も含めて指揮者が関与するものは「花の章」以外は網羅しました。ただし、オーケストラはいろいろで、DGからすべてをまとめたボックスが発売されています。

交響曲第1番(1998) シカゴ響
交響曲第2番(2005) ウィーンフィル クリスチーネ・シェーファー、ミシェル・デヤング
交響曲第3番(2001) ウィーンフィル アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
交響曲第4番(1998) クリーブランド管 ジュリアナ・バンセ
交響曲第5番(1996) ウィーンフィル
交響曲第6番(1994) ウィーンフィル
交響曲第7番(1994) クリーブランド管
交響曲第8番(2007) ベルリン国立歌劇場管
大地の歌(1999) ウィーンフィル ヴィオレッタ・ウルマーナ、ミハエル・シァーデ
交響曲第9番(1995) シカゴ響
交響曲第10番(アダージョのみ、2010) クリーブランド管
葬礼(1996) シカゴ響
嘆きの歌(2部構成、2011) ウィーンフィル アンナ・ラーション、ヨハン・ボータ、ドロシア・レシュマン (ザルツブルク祭、ビデオあり)
少年の魔法の角笛(2010) クリーブランド管 マグダレーナ・コジェナー、クリスチャンゲルハーヘル (10番カップリングでビデオあり)
さすらう若人の歌(2003) ウィーンフィル トーマス・クバストホフ
リュッケルト歌曲集(2003) ウィーンフィル ヴィオレッタ・ウルマーナ
亡き子をしのぶ歌(20003) ウィーンフィル アンネ・ゾフィー・フォン・オッター

個人的にはフォン・オッターが登場するのが嬉しいのですが、リュッケルト歌曲集がなんでウルマーナ(S)なのかという疑問は残ります。確かに美声で嫌いじゃないんですけど、男声でも女声でも可となっているということは、ソプラノの高い声はあまり相応しくないように思います。

ブーレーズのマーラーは、基本的に曲の構造を明確にして、感情に流されない「超客観的演奏」というような評価をされています。それは、ある時は成功しているようだし、ある時はつまらない演奏になっていることは否定できません。

音符の一つ一つをはっきりと音にするような感じで、バーンスタインが太かったり細かったり、時には曲がりくねる筆だとするなら、ブーレーズはひたすら点を打っていくような感じで、フランスの点描印象派の代表であるスーラの絵画みたいです。

交響曲の第3番と第8番だけはさすがに長いのでCD2枚にまたがりますが、驚くことに他はすべてCD1枚におさまっている。つまり、全体に速度が速いわけですが、それほど早い印象がありません。おそらくブーレーズが考える無駄な間を省いたり、やたらと音を長く引っ張ったりしないことが関係しているのかもしれません。

こういうマーラーは、らしいのからしくないのか意見は分かれるところですが、自分は嫌いではありません。くどくどしたのが好みじゃなく、すっきりしたマーラーを聴きたい向きにはお勧めです。