2021年7月24日土曜日

地球に落ちて来た男 (1976)

何しろデビッド・ボウイが初めて映画に俳優として登場した作品というだけでも、相当なプレミア物ですが、しかも演じるのが地球に落ちて来た・・・つまり宇宙人だというのですから、まるでボウイのために企画されたような話。

デビッド・ボウイは1967年のデヴューですが、日本も含めて世界中に名が知られるようになったのは1969年の2枚目のアルバム「スペース・オデッセイ」から。いわゆるグラム・ロックと呼ばれたジャンルで70年代初めに人気を不動のものにしました。

ポール・ニューマンのヒット作「ハスラー」の原作者でもあるウォルター・テヴィスの小説を、「アラビアのロレンス」や「華氏451」の撮影監督を務めたニコラス・ローグが監督し、かなり凝った演出を行っています。

ニューメキシコの湖に宇宙船が不時着し、赤毛で色白の人物(デビッド・ボウイ)が町に向かって歩き出します。彼は古物商に立ち寄り、トーマス・ジェローム・リチャードソンと名乗り、妻にもらったという指輪を20ドルで売ります。

特許に詳しいファンズワース弁護士(バック・ヘンリー)を雇い入れたトーマスは、宇宙人としての科学力の知識を使いワールド・エンタープライズ(WE)社をおこし大金持ちになります。教え子の女の子にしか興味がない大学教授のネイサン・ブライス(リップ・トーン)は、WE社の燃料部門研究に転職してきました。

しばらくして、ニューメキシコに戻りホテルに到着すると、トーマスはエレベータの不調で失神してしまいます。ホテルの従業員のメリー・ルー(キャンディ・クラーク)に介抱され、それをきっかけに同棲を始めます。水しか飲まなかったトーマスでしたが、酒好きのメリーの影響で酒も飲むようになっていました。

落下した湖を訪れたトーマスは、故郷の星に残してきた妻子を思い出し、ファンズワースに宇宙事業を始めるように伝えます。湖畔に住居を構えたトーマスは、ブライスに宇宙飛行の研究を任せます。一方、ファンズワースの元にはWE社を乗っ取ろうとする動きが出てきました。

ブライスはトーマスの挙動に不信を抱きX線装置を仕掛け、彼が人間ではないことに気が付きます。また、メリーと喧嘩になったトーマスは、怒りから自分の真の姿を見せてしまい、離れて暮らすことにしました。トーマスは、ブライスに荒れ果てた自分の星に水をもたらすためにやって来たことを説明します。

宇宙船が完成する頃には、トーマスの存在もマスコミに知れ渡り、彼の出自が取り沙汰されるようになりました。WE社乗っ取りを画策する連中は、いよいよ直接行動に出てファンズワースを殺害し、トーマスを誘拐・監禁し、医師らの研究対象にします。トーマスは酒に溺れ、何年も「人格」を無視した検査が続きました。

偶然脱出できたトーマスは街に消え、さらに時がたちメリーと夫婦になった年老いたブライスは、トーマスの作ったレコードをヒントに彼の所在を発見し会いに行きます。いまだ容姿が変わらない酒浸りのトーマスは、レコードのメッセージがラジオに流れれば、いつか故郷の星に残してきた妻子が聞くかもしれないと語るのでした。

驚くのは、まだ20代のデビッド・ボウイのヴィジュアル。当時は、派手な衣装と化粧でステージに立つ印象が残っていましたから、この素で時に弱々しい姿は意外でもありはまり役でもある不思議な感じ。「E.T.」のような動物的なものではない宇宙人なので、ボウイの持つ不思議な魅力とオーバーラップします。後年、「ラビリンス」などで見せた積極的にメイクをして魔王を演じたボウイの方が、イメージ通りかもしれませんが、こちらのボウイが本当の姿を捉えているのかもしれません。

また、この時代の映画としてはヌード・シーンが多い(ボウイも含めて)。トーマスとメリー・ルーの関係においてはある程度意味があるのは理解できますが、そにに裸の女性が必要なのかよくわからんというところも少なくない。

意図的に時間の経過は説明せず、宇宙人としてのシーンも積極的に理解しやすい演出ではありません。映画を見るものの感性に任せている部分が大きいようですが、全体的にはファンタジー的な面を強調したかったのだと思います。

SF映画としては、異星人が地球にやって来る話としては実に平和的。地球人に成りすまして、合法的に金を稼いで宇宙船を再建するというもの。むしろ怖いのは地球人で、金のあるところには悪者も集まってくる。人間的な接しているようで、トーマスをただの研究対象として扱う残虐性は本質をついているのかもしれません。