2021年7月20日火曜日

未来世紀ブラジル (1985)

邦題には「未来世紀」がついていますが、オリジナルのタイトルは「Brazil」だけ。ブラジルで作られた映画ではありませんし、ブラジルが舞台になっているわけでもない。アメリカでも、イギリスでも、あるいはジャパンでも構わないのかもしれません。強いて言うなら、「Aquarela do Brasil (ブラジルの水彩画)」という、誰もが耳にしたことがある有名な音楽が、全体に使われているからということかと。

20世紀のどこかの国・・・という設定なので、基本的に現代劇のようですが、邦題についている通り、どちらかというと近未来をイメージした管理社会に対する痛烈な皮肉を込めたコメディ・タッチのSF映画の傑作という位置づけの作品。何しろ監督が「モンティ・パイソン」出身のテリー・ギリアムですから、ユーモアのテイストは一流です。

物凄く情報統制の行き届いた国、それに反対するようにテロ行為も長年にわたって活発です。ある日のこと情報局剥奪局は、ただの市民であるバトルさんを、特殊部隊の自宅への突撃で派手に逮捕。ところが、これが情報伝達局の入力間違いによる誤認逮捕でした。

この件の後始末を任された情報資料局のサム・ライリー(ジョナサン・プライス)は、出世には興味が無く、毎晩のように天使のような羽を付けて飛び回り美女を助ける夢を見ている呑気な男。金持で偉い人にたくさんコネを持っている母親が、出世をさせようと裏でいろいろ動いているのもうっとおしい。

さて、サムの家の暖房が壊れて、修理をしてやってきたのは非正規の修理屋、タトル(ロバート・デ・ニーロ)でした。後から来た正規の修理屋は、勝手に違法な修理をするタトルはテロリストだというのです。

タトルに間違えられたバトルさんは尋問で死亡し、サムは取りすぎた尋問手数料の返金のためバトルさんの自宅を訪ねます。そこで見かけた、上の階に住むトラック運転手のジル・レイトン(キム・グライスト)が、夢に出てくる美女とそっくり。ジルのことを職場で検索しても、機密扱いになっていてよくわかりません。

サムはジルのことを調べるため情報剥奪局に移動。ジルは誤認逮捕の目撃者で、そのことを吹聴して回っているとして手配されていることを知ります。ちょうどそこへ苦情を言いにジルが現れたため、サムはジルのトラックに強引に乗り込みますが、無理に検問を突破して警察に追われる事態になります。

サムは母親が留守の実家にジルを隠し、コネがきくヘルプマン次官のオフィースに忍び込んでジルは死んだことに情報操作します。実家に戻ると特殊部隊によってサムは逮捕されます。サムはヘルプマンからジルは逮捕に抵抗して死亡したと伝えられ、数々の罪状により尋問を受けることになりました。

ここからは、もう真実なのか妄想なのかよくわからないフィナーレに突入。ジルに助けられのどかな田舎で静かに暮らしましたとさ、めでたしめでたし・・・というハッピーエンド・バージョンは、実は制作会社が勝手に作った物で、監督が描いたものとは違います。

現在メディアで入手可能なバージョンは、監督の意図通りに編集されたもので、結局は尋問により精神崩壊したサムを映し出し映画は終了します。結局、「ブラジル」は、自由がない息苦しい生活から解放されたいという主人公、あるいはギリアム監督が南の開放的で陽気な世界を渇望したところなのかもしれません。

とりたてて、物凄い特殊効果がわんさかと出てくるわけではありません。むしろ主人公の周囲に存在する物はレトロな風合いで、一時代以上昔の小道具が逆に未来的な不思議な味わいを出しています。

サムの母親は整形でどんどん若返っていき、友人はどんどん整形の失敗を重ねていく。非合法のタトルの修理より、正規の修理屋の方が家をどんどん破壊していく。情報局の各部署は横の繋がりはなく、市民をたらいまわし。今の時代にもいくらでも通じる皮肉が随所に込められていて、適度な笑いの中に反面教師的なセンスが光ります。大スターのロバート・デ・ニーロは、この映画では完全な脇役。それを本気で演じたことで、映画の格を高めたと言えます。