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2021年7月14日水曜日

ダーク・ナイト・ライジング (2012)

クリストファー・ノーラン監督、「バットマン・トリロジー」の最終作。

邦題は「ライジング」ですが、原題は「Rises」で現在進行形じゃない。まぁ、どっちでいいのですが、「暗黒騎士起つ」というところでしょうか。

シリーズのメイン・キャストは同じ。クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン、モーガン・フリーマンは健在。ここにキャット・ウーマンでアン・ハサウェイが加わります。敵は「ビギンズ」でラーズ・アル・グールの影の軍団を破門になったベイン(トム・ハーディ)。

今回の話は、前作から8年経ったことになっています。バットマンは、前作で殺人者として警察に追われる存在になり、ブルース・ウェインは屋敷の奥にひっそりと隠れるように暮らしています。激しい戦いの数々により、体中がボロボロで歩くのに杖が必要な状態。ブルースは、クリーン・エネルギーに熱心なミランダ(マリオン・コティヤール)を役員に取り立てます。

盗賊キャット・ウーマンことセリーナは、ウェイン邸に潜入してブルースの指紋を採取していき、ウェイン産業の乗っ取りを画策するダゲットに渡します。ダゲットが雇った傭兵ベインは、証券取引所を襲い、ブルースの指紋を利用して認証しウェイン産業のほとんどの資産を横取りし、ウェイン家は破産する。

平和が続いていたゴッサム・シティに不穏な空気が再び流れ出し、ブルースの正体を疑っていた熱血警官のブレイクは、屋敷にブルースを訪ね、今こそバットマンが必要な時だと話します。ブルースは体を鍛え直し、手足の強化ブレースを装着して再びバットマンとして街に降臨するのでした。

ダゲットに雇われるふりをしてベインが本当に狙っていたのは、ウェイン産業の地下にある未来のエネルギー開発が目的で研究されていた核融合炉を奪うことでした。これを核爆弾に転用して、かつてラーズ・アル・グールが画策したゴッサム・シティを消滅する作戦を完結しよとしていたのです。地下水道のベインのアジトにたどり着いたバットマンはベインとの格闘の末、マスクを割られ意識を失います。

ベインは街中を占拠し、警官隊を地下水道に孤立させ、市民には一人でも脱出する者がいたら核爆弾を爆発させると宣言します。ブルースが目を覚ましたのは、遠く離れた奈落の底のような収容所でかつてベインも入っていた場所。ここから脱出できたのは、いまだかつてこども一人だというのです。ブルースは傷をいやし、体を鍛え、何度かのチャレンジでついに垂直の奈落の壁を上りきることに成功します。

不安定な状態になった核融合炉は、ベインがスイッチを入れなくても数時間後には爆発するという状況で、ついにゴッサムにバットマンが戻ってきます。地下に閉じ込められていた警官隊も脱出させ、傭兵軍団と激突します。バットマンとベインは再び対決しますが、今回はバットマンが勝利したと思ったのも束の間、何とバットマンはミランダにナイフで刺されるのです。

実は、バットマンは奈落から脱出したこどはベインだと思っていたのですが、ミランダこそが奈落で生まれたラーズ・アル・グールの娘で、まさそのこどもだったのです。ミランダは父の遺志を継いでゴッサムを破滅させるといい起爆装置のスイッチを押します。しかし、ゴードンがバットマンから渡された電波妨害装置を使い爆発は免れる。爆弾と共に逃亡したミランダを追いかけ何とか爆弾を奪取しますが、もう残り時間が無い。

バットマン用戦闘で爆弾を吊り下げたバットマンは、沖合に運び爆発させ、ゴッサム・シティは破滅を免れたのでした。自らを犠牲にした真のヒーローが誰だったのか、市民たちはしっかりと受け止め、平和が戻った街にバットマンの銅像が建てられました。

ただし、エピローグとして、戦闘機の自動操縦がブルースの手によってプログラムされていたこと、警察の屋上のバット・シグナルが直されていたこと、そして執事のアレックスがフィレンツェのカフェでブルースとセリーナが食事をしているのを嬉しそうに見つめていたりします。さらに、熱血警官のブレイクのファースト・ネームがロビンであり、ブルースから託された場所でバットマンの武器を発見するところで映画は終わっています。

事実上は、第1作の「ビギンズ」の続編的な位置づけ。ラーズ・アル・グールという、このトリロジー独自の敵との因縁の解決篇という感じ。第1作を知らないと、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、いきなりこれから見る人はいないだろうということ。

三作とも監督のノーランが脚本にも関わり、統一したカラーで魅了します。また、本作でもできるだけCGは使わない監督らしく、大勢の戦闘シーンも写っているだけの人数が用意されているというのもすごい。やはり、CGでは出せない本物の迫力は本来の映画ならではのもの。

人間であるバットマンが、誕生するところから肉体を疲弊させてヒーローとして「死ぬ」までを三部作で描き切った内容で、SF敵ヒーロー・アドベンチャーと言うよりは、人間ドラマとしての深みを追求し、成功したシリーズと言えそうです。