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2021年7月13日火曜日

ダーク・ナイト (2008)

クリストファー・ノーラン監督の「バットマン」シリーズの第2弾にして、おそらく最高傑作。タイトルの「ダーク・ナイト」は「暗い夜」じゃなくて「暗黒の騎士(Dark Knight)」。

バットマンのクリスチャン・ベール、ゴードンのゲイリー・オールドマン、執事のマイケル・ケイン、フォックスのモーガン・フリーマンは続投。レイチェルはマギー・ジレンホールに交代しました。今回の悪者は、シリーズの最も有名人、ジョーカーです。演じたヒース・レジャーはその怪演を認められアカデミー助演男優賞に輝くも、その授賞式直前に薬物中毒により28歳の若さで死去しています。

バットマンの存在が知られると、逆にバットマンを真似る市民が現れて混乱したり、悪人たちもむしろバットマンに挑戦してくるようになり、一向にゴッサム・シティが平和になる気配がない。バットマンは正義のためといっても、法の下では違法な行動をしていることで、表立ってヒーローとは言えないことの苦悩し始めていました。

顔を白く塗り口の両端の傷が笑っているように見えるジョーカーと名乗る悪党は、仲間すら平気で殺してしまう犯罪そのものを楽しむ危険人物。バットマンに手を焼くギャングたちは、ジョーカーの誘いに乗ってバットマン殺害の取引をします。

街には新たに正義感の強いハービー・デント検事が赴任してきて、レイチェルとともに犯罪撲滅に乗り出していました。デントはレイチェルに深い愛情を抱いていました。ブルース・ウェインも、デントなら真のヒーローとして街の平和を取り戻してくれると考えます。

ジョーカーは悪事を働くことに何のためらいもなく、バットマンにマスクを脱いで正体を現さないと市民を次々に殺すと脅迫してきました。デントが記者会見を開き、ブルースが名乗り出る前に、自ら「自分がバットマンだ」と公表します。デントはその場で手錠をかけられ護送車に乗せられる。

そこをジョーカー一味が襲い、バットマンらの活躍で何とかジョーカーを逮捕します。しかし、その夜、ジョーカーは脱走し、デントとレイチェルを別々の場所に監禁し爆薬を仕掛けてあることをバットマンに伝えます。バットマンは教えられたレイチェルの監禁場所に行くとそこにいたのはデントで、助け出したものの顔の左半分に重度の火傷を負わせてしまいました。デントの居場所と教えられた場所にはゴードンが急行しますが、間に合わずレイチェルは爆死してしまうのでした。

デントは顔半分が焼けただれ、シリーズのヴィランの一人として知られているツー・フェイスになったのです。ジョーカは病院に潜入し、デントに善と悪は結局同じようなものと話し、病院を爆破。デントはレイチェルの復讐として、裏切り者の警察官などを問い詰め、コイン・トスで表が出ると殺していきます。そして、ついにゴードンの家族を拉致します。

ジョーカーは混乱した街から脱出する2隻のフェリーに爆弾を仕掛け、それぞれに相手の船の起爆装置を用意していました。先にスイッチを入れれば助かる、というおよそ人として考えもつかないゲームを始めるのでした。バットマンは彼らの潜伏場所を突き止め、ジョーカーを宙づりにして捕獲します。どちらのフェリーも自らスイッチを入れることは無く、人の良心が証明されました。

バットマンはただちにツー・フェイスのデントを追います。レイチェルを見殺しにしたとゴードンを責め、こどもを盾にするデントに、バットマンが飛び掛かり転落して死亡させます。バットマンは、デントをヒーローとして死なせなければならないと考え、ゴードンにデントの行った警察官を含む殺人犯は自分だとするように言い、闇の中に消えていくのでした。

バットマンは、最後にまさにダーク・ナイトになってしまうという結末は、なかなか衝撃的。真のヒーローとはどういうものなのか、人々の良心とはどんなものなのか、単なる特撮超人映画とは言えない深いテーマが見えてきます。

また、バットマンが人間だということもあらためて伝わってくる。強化スーツや、様々なハイテク機器を利用していますが、バットマン自身はブルース・ウェインというただの人間です。

ただ、最後まで人を殺さない、それがたとえ悪党のジョーカーだとしてもです。ダーク・ヒーローですが、人間だからこその最低限のモラルを守ることが、彼の秘密を知っているわれわれ視聴者の共感を呼ぶところなのです。

それに対して、ティム・バートン版のジャック・ニコルソンのジョーカーは、どこかにユーモアと独自のモラルを残していましたが、今回のヒース・レジャーはまったくモラルの欠片も持ち合わせていない。徹底的にただただ悪事を楽しむだけの非人間ぶりが際立っていました。善と悪の対比を明確にして、両者が似たような存在であることも映画からは伝わってきました。