2017年10月25日水曜日

古事記(4) 天照大御神見畏、開天石屋戸而


スサノオは、毎日毎日泣いてばかりで、何年たっても、海は荒れ続けるため、イザナキは様子を見に行きました。スサノオは、「母さんに会いたいよぉ~、黄泉の国にいきたいよぉ~」とわがままを言う。

イザナキは「それは無理」と何度も説明しますが、ついには説得に応じないスサノオを追放します。イザナキの出番はこれでおしまい。その後は淡海(近江)の多賀で静かに余生を送っているということです。

スサノオは、母を訪ねる前に高天原にいる姉、アマテラスに挨拶に向かいますが、アマテラスはてっきり高天原を乗っ取るつもりかと勘違い。武装してスサノオと対峙します。

スサノオは、そんな邪心はないことを誓約(うけい)によって証明しようとします。アマテラスはスサノオの剣、スサノオはアマテラスの髪飾りの勾玉を、それぞれ噛み砕いて吐き出しました。

スサノオの剣からは三柱の女神が、アマテラスの勾玉からは五柱の男神が生まれます。清らかな女神を生ませた自分に邪心は無いことが証明できたというスサノオに、アマテラスは言いくるめられてしまうわけです。

誓約というのは、本来はどうなったらこう、あーなったらそうと決めておくものですが、決めをしないで始めてしまったので、何にしてもスサノオの都合の良い結果になったということ。

調子に乗ったスサノオは、高天原でやりたい放題。畔を壊して田畑を荒らし、御殿にウンチをまき散らす。しかし、ついにアマテラスの堪忍袋の緒が切れるときがやってきます。

アマテラスの命により、神に奉る神聖な衣を織っていた服織女(はたおりめ)が、スサノオが投げ込んだ皮を剥いだ馬に驚いて横糸を通すための棒状の梭(ひ)で陰部を突いて死んでしまいました。

恐れおののいたアマテラスは、ついに天岩屋戸を開いて、その中に隠れてしまいました。これが、今日のタイトルの文章。

あそこを突いて服織女が死亡するというのも、如何なものかという話ですが、実はこれはスサノオによる姉殺しではないかという説もあったりします。つまり、棒で突くというのは、矢で射殺すということ。

アマテラスが隠れてしまったので、高天原どころか葦原中国も真っ暗になり、様々な災いが起こり大変なことになった。

これは、現実には皆既日食を表しているらしく、理科的な計算で247年に九州北部、248年に奈良で日食が起こっていることがわかっています。

さらに興味深いことに、もしかしたらいきなりですが、邪馬台国の卑弥呼が死んだことと日食が重なり、アマテラスとして再生する、つまり人が神格化したという説を考える学者もいるそうです。

それはさておき、話を戻すと、アマテラスを引っ張り出すための作戦会議がはじまりました。中心になったのは思金神(オモイカネノカミ)で、実はしょっぱなに登場し消えたはずの別天つ神の一人、高御産日神のこども。

タカミムスビは性別不詳だったはずで、いきなり再登場して子持ちだったというし、名前もこの後、高木神(タカギノカミ)に変わったりして釈然としませんが、ただオモイカネは高天原の知恵袋のような存在で、知恵の象徴みたいな神様です。

オモイカネの計画は実行に移されました。閉ざされた天岩屋戸の横に怪力自慢り天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)が隠れて待機し、前では天宇受売命(アメノウズメノミコト)が踊りだします。

神懸かり踊ったため、着ていた服はどんどん脱げてしまいました。まさに日本初のストリップ・ショーです。観衆になっていた八百万の神々は大喜びで、どんちゃん騒ぎになった。

私がいないというのに、何がそんなに楽しいのか不思議でしょうがないアマテラスは、ついつい戸を開けて外を覗おうとしました。そのすきをついて、天手力男神がアマテラスの手を掴んで天岩屋戸から引きづりだし、注連縄で戻れないように封印してしまいました。

スサノオを高天原から追放し、世界にあらためて陽が射し、災いは消え、誰もが平和に暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。

因みに・・・スサノオの剣から生まれた3人の女神は、多紀理毘売命(タキリビメノミコト)、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)、多岐都比売命(タキツヒメノミコト)。

福岡県の宗像大社の興津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られています。宗像市田島の辺津宮から、筑前大島にある中津宮までは船で11km、奥津宮は玄界灘の沖ノ島にありさらに直線的に49km離れています。

沖ノ島は女人禁制で、年に一度だけ選ばれた参拝者のみが上陸できるという厳しい古来からの仕来たりが守られています。海の正倉院と呼ばれ、10万点にも上る貴重な発掘物があり、そのうち8万点が国宝に指定されました。

アマテラスの勾玉から生まれたのは、天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)、天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)、天津日子根命(アマツヒコネノミコト)、活津日子根命(イクツヒコネノミコト)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)です。

アメノオシホミミとアメノホヒ以外は、ほとんど活躍の記録はありません。クマノクスビは名前からしても、熊野大社と関係がありそうなんですが、明解な答えはないようです。

この女神三柱と男神五柱が、平安時代に始まり今でも行われている雛飾りの三人官女と五人囃子の起源とされています。

引きこもったアマテラスを復活させるための作戦会議が行われたのは、天安河原(あめのやすのはら)という場所で、宮崎県西臼杵郡高千穂町にあり、近くの天岩戸神社の本殿の後ろに天岩屋戸があるとされる。

実際のところ、近畿、中国、四国などに多数のわれこそは本物という天岩屋戸がいくつもあり、本来高天原の出来事ですから、地上の葦原中国には存在するはずがないと言ってしまえばそれまで。