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2017年10月29日日曜日

古事記(6) 此稻羽之素菟者也、於今者謂菟神也


ここから、天つ神が主役だったパートから、しばし地上での国つ神が主役。その中心となるのは、出雲大社に祀られて今でも超人気者の大国主神(オオクニヌシノカミ)。

オオクニヌシはスサノオとクシナダの六代目の子孫ということになっています。するとスサノオから100~150年くらいたった時代でしょうか。

ところが日本書紀では、スサノオのこどもということになっているし、呼び名もたくさんあって、何だかよくわからない。国つ神扱いされているんですけど、スサノオの直系ならば天つ神の仲間のはず。スサノオは高天原を追放されたので、国つ神扱いということか・・・

それはさておき、まず最初のお話は、「イナバの白ウサギ」です。古事記の世界には昔話のヒントになったと思われるエピソードが満載ですが、この話は、ほぼそのまんま。

因幡(稲羽)に八上比売(やがみひめ)という超美人がいて、全国津々浦々から男が押し寄せているらしい。そこで、その頃は大穴牟遅神(オオナムジノカミ)と呼ばれていた大国主神の大勢の兄たち・・・八十神(やそがみ)と呼びます。八百万神(やおよろずのかみ)よりは少ない・・・が、求婚しに行くことになりました。

氣多の崎まで来ると、八十神は皮を剥がされて痛々しい兎を見つけたので、「海の水で洗って乾かすといい」と教えます。兎がその通りにすると、傷が悪化してもっと痛みがひどくなりました。そこへ、大量の八十神の荷物を持たされて遅れてやって来たオオナムチは、兎に訳を聞きます。

隠岐の島に住んでいた兎は、鮫をだまして並ばせて橋の代わりに海を渡って来たのですが、最後の一匹を跳ぶときにだまされたことがわかった鮫に食いつかれて皮を剥されたということでした。

オオナムチは、真水で洗って蒲(がま)の花をつけると良いと教えると、兎の傷は治り素兎(しろうさぎ)に戻りました。感謝する兎は、八上比売が気に入るのは八十神ではなく、オオナムチだと予言して去っていきます。

実際、八上比売は八十神を袖にして、オオナムチがいいと言ったため、八十神は怒ってオオナムチを惨殺する・・・という、またもや親族殺人事件が発生しますが、神産巣日之神(カンムスビノカミ)の計らいで行き返ります。すると、またもや八十神はオオナムチを殺害し、そしてまた生き返る・・・ってゾンビのような話。

オオナムチは、このままじゃ何度殺されるかわかったものではないと、木国(きのくに)のイザナキ・イザナミから生まれた大屋毘古神(オオヤビコノカミ)のもとへ逃げますが、八十神が追ってきます。間一髪のところをしのいで、オオヤビコのアドバイスにより、スサノオが治めている根の堅洲国(ねのかたすくに)に向かいました。

このあたりの話はツッコミどころ満載ですが、ファンタジーだと思ってそっとしておくしかない。ただ、元になる史実は何かがあった・・・つまり、兄弟同士の権力闘争があったということと理解しておくのが無難でしょうか。

兎が住んでいたのは隠岐の島で、これは場所としてはわかりやすい。皮を剥されて泣いていたのが気多の崎というところですが、気多という名前がつくのは現代では多くない。能登半島の羽昨市に気多神社がありますが、壱岐の島からは、ちょっと鮫を並べるには遠すぎです。

八十神もオオナムチもスサノオの子孫ですから、出雲あたりに住んでいて、因幡(鳥取誌り少し出雲寄り)に行く途中で、隠岐の島の対岸というと・・・おあつらえ向きに、隠岐の島から南東方向の海岸に、ちょっとだけ出っ張った場所があって、そこが気多ノ前(けたのさき)と呼ぶようです。

しかも、その沖合50mくらいに淤岐島という小島があって、これが読みようによっては「おきのしま」となるじゃありませんか。実際に(実際のわけはないけど)、鮫を横並びにするなら、このくらいの距離が妥当かも。

さらに、この気多ノ前から東にひろがる海岸は白兎海岸であり、白兎神社があるというのは後付けなのかもしれませんが、何か楽しくなります。

オオナムチがとりあえず二度も殺されたのは、出雲での話だと思いますが、オオヤビコノカミを頼っていくのが木国、紀ノ國、つまり紀伊半島です。ちょっと遠くないかと思いますが、それはさておきさらに逃げるのがスサノオの居る根の国・・・ってまた出雲に戻るんかい。八十神に見つかるんじゃないのかと、心配ですよね。