2026年8月31日月曜日

Modern Times (2006)


長いスランプからV字回復し、中年のオヤジになったボブ・ディランの快進撃はまだまだ続きます。とはいえ、生活の中心である「Never Ending Tour」は衰え知らずですが、ニュー・アルバム制作のスピードはダウン。

2002年は「The Bootleg Series Vol.5 The Rolling Thunder Revue」の発売だけにとどまりました。2004年は、「The Bootleg Series Vol.6 Live 1964」が発売され、ロック化する直前の「ハロウィン・ライブ」の完全版が陽の目をみました。また2005年には「The Bootleg Series Vol.7 No Direction Home」が同名テレビ・ドキュメンタリーのサウンドトラック、1962年の「Gaslight Live」、1963年の「Carnegie Hall Live」が登場しています。

積極的に過去の業績を整理整頓していた期間という見方もできますが、シリーズにはディラン自身の承認は必要でしょうが、実際はディランの事務所とコロムビア・レコード側のスタッフの仕事です。従来から海賊盤で聴かれていた音源ばかりですが、公式に発売されることでマニア以外の一般のファンも手に入れやすくなります。また、過去の再評価につながり、ディランの影響の大きさを再認識することになりました。

あれ? 2003年はどうしたの、ということですが、本当に性懲りもないディランは、またもや映画作りに手を出していました。音楽だけにしておけば良いものを、今度は脚本を書いて主演してしまいました。撮影は2002年夏に行われましたが、よくそんな時間があったものだと感心してしまいます。タイトルは「Masked and Anonymous」で直訳すれば「仮面の匿名者」ですが、邦題は「ボブ・ディランの頭のなか」というトホホなものに・・・

この映画用のディラン自身が歌う新曲はありませんが、新たに書き下ろされた「City of Gold」が使われています。また、ここだけのトラディショナルのカバー曲や既存曲のディランの新録音が数曲あったり、いろいろなアーティストがディランの曲をカバーした演奏も聴けるので、気になる方はサウンド・トラック盤をチェックしてください。

また、2004年には「Chronicles: Volume One」とタイトルされた「自伝」が発売されています。これもディランらしいものになっていて、時系列にはバラバラで一部の時期だけ詳しく書かれていて、個人史を俯瞰することはできませんが、貴重な証言として内容の濃いものになっています。なお、Volume Twoが出版されるかは未定です。

2006年になると、5年ぶりの新作アルバムの制作が始動します。今回もプロデューサーはJack Frost (ディランの別名)でセルフ・プロデュースを選択しています。また、バンドも前作同様にツアー・メンバーを起用しました。1月下旬からリハーサルを開始し、2月になるとスタジオに入りますが、曲のイメージがなかなか定まらず試行錯誤が繰り返され、収録には2月一杯が必要でした。

内容は前作よりもさらに古い音楽や詩にインスパイアされたものが中心となっていて、今となっては「古き良き時代」を思わせますが、その時点では「現代風」だった、つまりレトロ・モダンな内容と言えそうです。

ミディアム・テンポの古いロックン・ロール「Thunder on the Mountain」でスタートし、「Spirit on the Water」で甘い感じのスウィングに身を委ねます。スライド・ギターのリフが効いている「Rollin' and Tumblin'」は古典的なシカゴ・ブルースのカバーで、「When the Deal Goes Down」もムーディなカントリー調のワルツ。「Someday Baby」は再びシカゴ・ブルースで、「Workingman's Blues #2」では労働者の尊厳を歌い上げます。

古いハワイアン調の「Beyond the Horizon」、ディラン流の極上のエレジーである「Nettie Moore」、メンフィス・ロックン・ロールの「The Levee's Gonna Break」と続きます。そしてアルバムの最後を飾る「Ain't Talkin'」は、荒廃した世界を歩き続ける巡礼者を描いた9分に及ぶダークなバラードです。

8月に発売されると、高く評価され、中にはディランの最高傑作とまで褒める評論家もいました。またビルボード誌で初登場1位を獲得し、21世紀のディランの存在感をさらに強めることになりました。

その一方で、クレジットは「All Songs Written by Bob Dylan」となっているものの、いずれの曲にも、古い詩からの引用、古い曲のコード進行の借用あるいはフレーズの模倣などが含まれていることが問題視されました。よく言えば「コラージュ」ですが、悪く言えば「盗作」または「替え歌」、今どきの言い方なら「パクリ」です。

メディア各社は、どこから引用したかを探すことと、それをもとに批判する記事を展開しました。それに対して、これらはオマージュであると擁護する記事もあり、ちょっとした論争が巻き起こりました。

この手の議論は、多くの事例がありますが、もともと地域に土着で発展したルーツ音楽は、他人の模倣をベースにしています。黒人のブルース、ゴスペル、白人のフォーク、カントリーなどは古いものから「盗む」ことが加わって新しいものに変わっていくのです。ブルース、ロックン・ロールのコード進行は基本的に同じで、歌のメロディもわずかな違いしかありません。

ディランは、歌手として世の中に登場して以来、このような引用は普通に行ってきたことで、自らも天性の「メロディ・メーカー」ではないことを認めています。後年、ジョニ・ミッチェルがディランを「盗作者」と批判したのも、これらの議論があってのことかもしれません。ただ、それを再解釈・再構築する才能はディランだけのものであり、多くのミュージシャンや文化人からは擁護する意見が多かったようです。


Thunder on the Mountain
Spirit on the Water
Rollin' and Tumblin'
When the Deal Goes Down
Someday Baby
Workingman's Blues #2
Beyond the Horizon
Nettie Moore
The Levee's Gonna Break
Ain't Talkin'

Bob Dylan (vo, g, harmonica, pf)
Denny Freeman (g), Stu Kimball (g), Tony Garnier (b, cello)
Donnie Herron (steel guitar, violin, viola, mandolin)
George G. Receli (ds, perc)

February, 2006 New York City

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年8月30日日曜日

Love & Theft (2001)


ボブ・ディランの「Never Ending Tour」は、もちろん別々のツアーの積み重ねですが、一つが終わっても次がもう決まっていて、大きな区切りというものがありません。歌手として歌い続けるのは当たり前ですが、昨日のセットリストと今日の物が違っていたり、今日の演奏と明日では同じ曲名でもテンポやアレンジが変更されたりするというのが特徴的です。つまりライブ演奏は、過去の再現ではなく、その瞬間の即興・創作であるという考え方が基本にあります。

1996年に80公演、1997年は入院しているにも関わらず93公演、1998年に110公演、そして1999年はおそらく最多の119公演をこなしています。2019年までは平均100公演程度、コロナ禍はさすがに激減ですが、2022年以後も現在まで毎年80公演程度を続けています。

1999年は特別なステージが2つありました。まず記憶に残るのは、6月から9月にポール・サイモンがジョイントしたツアーです。両者が別々にステージに立ったのですが、ディランのセットにサイモンが加わり数曲を一緒に演奏しています。特に名曲「Sound of Silence」のデュエットには驚きます。さすがにディランは、自分をおさえてサイモンに寄せているのが微笑ましいのですが、ハーモニカのソロは好きにやっている感じです。

そしてもう一つは、6月30日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたエリック・クラプトンが主宰した「E.Clapton & Friends in Concert: A Benefit for the Crossroads Centre at Antigua」への出演です。クラプトンが薬物依存克服のために創設したCrossroads Centreへの支援イベントですが、数年ごとに継続的に開催される第1回目の特別ゲストがディランでした。

自分の曲はともかくも、何とディランが歌う「Crossroads」はここでしか聞けません。また、ディランもクラプトンもギターはストラトキャスターを使っているので聞き分けにくいのですが、ディランが控えめなギター・ソロをとるというのも、たぶんなかなか聞くことはありません。

2000年には映画「ワンダーボーイズ」の主題歌として、新曲「Things Have Changed」をツアー・メンバーと録音しています。アカデミー賞歌曲賞やゴールデングローブ賞主題歌賞を受賞し、後にライブの定番曲になりますが、映画のサウンドトラック以外ではディラン自身のベスト盤でしか聴くことができません。

気がつくと21世紀、ディランも2001年に還暦を迎えました。ライブ演奏は盛んな一方で、1997年の「Time out of Mind」以後は、ベスト盤が数種類リリースされただけで、再び新作からは遠ざかっていました。

これまでのアルバム制作では、基本的にツアー・バンドのメンバーはほとんど参加していませんでした。しかし、ディランは自分の気まぐれに完璧に即応できるメンバーの実力を高く買っており、そのままステージの即興性をスタジオに持ち込むというアイデアが生まれてきました。前作ではディランは、共同プロデューサーとしてJack Frostという偽名を使っていたのですが、今回はFrost名義で単独のセルフ・プロデュースすることにしました。

タイトルの「愛と盗用」は、エリック・ロットの本から引用されていて、タイトルが示す通り古いブルース、ジャズ、カントリー、トラディショナルだけでなく文学などからも言葉やフレーズを愛情をもって取り込んで再構築した楽曲が並んでいます。

「Tweedle Dee & Tweedle Dum」はルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」に登場する双子ですが、不条理な世界をダークに歌います。再起を歌う「Mississippi」は前作で試された曲をアレンジを変えて再録音したもの。若者たちが跳ねるように踊った50年代のロカビリー調の「Summer Days」、戦前のスイング・ジャズのような「Bye and Bye」、シカゴ・ブルースの荒々しいスタイルの「Lonesome Day Blues」、やはり戦前のパリあたりのカフェで流れていそうな「Floater」と続きます。

チャーリー・パットンに捧げられた「High Water」は、カントリー調のバンジョーが効果的です。「Moonlight」は古いジャズ・スタンダードのような甘い雰囲気を持ち、スライドギターが全体を引っ張るブルース・ロックの「Honest with Me」、「Po' Boy」も戦前のジャズ・クラブの雰囲気です。「Cry a While」は泥臭いブルースで、「Sugar Baby」で静かにフィナーレを迎えます。

5月の2週間弱の間に1日1曲ペースで録音されていったもので、これだけバラエティに富んだ構成ながら、トータルには納得してしまう出来となっているのはJack Frost恐るべしというところ。即興性を重視しながら、ツアー・バンドのメンバーの実力も確かなものであることの証明にもなりました。

9月に発売されると、音楽各誌で高い評価を受け、第44回グラミー賞で最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバム賞を受賞しています。前作に続いて、まだまだディランは「生きた音楽」を作り出す「現代に生きるミュージシャン」であることがはっきりしました。


Tweedle Dee & Tweedle Dum
Mississippi
Summer Days
Bye and Bye
Lonesome Day Blues
Floater (Too Much to Ask)
High Water (For Charley Patton)
Moonlight
Honest with Me
Po' Boy
Cry a While
Sugar Baby

Bob Dylan (vo, g, pf)
Larry Campbell (g, banjo, mandolin, violin), Charlie Sexton (g)
Augie Meyers (accordion, org), Tony Garnier (b)
David Kemper (ds), Clay Meyers (perc)

May 8 ~ 21, 2001, New York City

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年8月29日土曜日

Time out of Mind (1997)


1994年から1996年の間にリリースされたボブ・ディランのアルバムは、「MTV Unplugged」だけでオリジナル・アルバムはありません。ディランはこの間もひたすらステージに立ち、歌い続ける毎日をこなしていました。

1988年6月から始まったとされている「Never Ending Tour」は1988年は71回、以後100回、93回と続き、バンド・リーダーのG.E.スミスの脱退で、いったん一区切りがつきます。1991年からは、ツアーに個別のタイトルが冠せられるようになりますが、世間はいつのまにかディランのツアーを「Never Ending」と呼ぶことが慣例になりました。

1991年には101回、以後も92回、80回、104回と続き、1995年には115回を数えます。これはある意味驚異的なことで、喉を酷使する歌手が、ほぼ3日に1度はステージに立ち続けるということは健康面だけをとっても強靭な体力を必要とすることは容易に想像できます。

一方で、1990年の不評だった「Under the Red Sky」以後オリジナルの新曲を発表していないことについて、ディラン自身は以前のように次から次へと曲が頭に浮かんでこないことを認めていて、「思いついても聴きたい人がいるのかと考えているうちに消えてしまう」と述べています。それでも、1996年になると少しずつオリジナル曲が新たに出来上がり始めます。

オリジナル曲でアルバムを作るとなると、1989年の「Oh Mercy」を成功に導いたダニエル・ラノアとの再タッグが必要だとディランは考えました。ディランはラノアにデモを聞かせ、50年代の古いブルースの響き(まさにディランのルーツの一つ)を持ったアルバムを作りたいと伝えます。4月から7月までの北米・ヨーロッパを周るツアーがひと段落し、10月からの全米ツアーが始まる合間に、ディランとラノアはニュー・アルバムに向けての準備に入ります。

通称「シアトロ・セッション」と呼ばれるプリ・プロダクションが行われ、アルバムに含める含めないは関係なく多くの新曲が録音され、現在では「The Bootleg Series Vol.17 Fragments Time out of Mind Sessions」でほとんどが聴くことができます。例によって、アルバム未収録の完成度の高い楽曲が目白押しですが、これだけ曲を作っておいてあまり意欲が無いみたいなこと言うのがディランという人物の難しい所です。

年が明けて1997年1月に、いよいよ本格的なレコーディング作業が再開されました。ラノアの特徴である音空間の雰囲気作りのため、一つの楽器に対して複数のミュージシャンが用意され、時には同時に演奏することで音に厚みを付けていきました。お互いの出方がわかっているので、「Oh Mercy」の時ほどの衝突はなかったようですが、かなりの議論はあったらしい。ディラン自身は、過去の作品を超えられないかもという不安との戦いだったようです。

それでも、アルバムに収録される全11曲が完成し、ディランは2月からのツアー生活に戻っていきました。この時の公演は2月に前年に続いて日本から始まり、しかも各地を周るもので、3月の休養を挟んで4~5月は再び全米というスケジュールでした。1992年からパワフルなドラミングを聞かせていたウィンストン・ワトソンは1996年夏まで活躍し、以後ドラムはデヴィッド・ケンパーに交代しています。また、1991年からディランを支えたジョン・ジャクソン(g)も日本公演までで、全米ツアーからは新たにラリー・キャンベルが加わりました。

6月以後、ヨーロッパに渡る予定でしたが、5月末にディランは病気に倒れてしまいます。強い胸痛と高熱からカビの一種であるヒストプラズマ感染症と診断され、一時は心膜炎併発により、本人も「エルヴィスに会うのか」と覚悟するほど重篤になります。さすがに50代後半になったディランは、心身の疲労の蓄積は隠せなくなってきているようです。

それでも8月にはステージに復帰し、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の招待に応じて、9月27日にはイタリアのボローニャで開催された「第23回国際聖体大会」で、教皇を前にして演奏を行いました。教皇はその後、「人が歩むべき道はキリストの道だけ。答えは人を神へと導く聖霊の風の中にある」と「Blowin' in the Wind」の歌詞を引き合いにスピーチを行いました。

9月30日にニュー・アルバム「Time out of Mind」がLPレコード2枚組、CDでは目一杯の約73分収録の1枚組として発売されました。タイトルは「(古いブルースの味わいを持つ)記憶にないほどの昔」という意味で、ジャケットにはラノア撮影のスタジオのディランの写真(またピンボケ)が使われました。アルバムは商業的に大成功で内容も高い評価を受けることになり、1998年のグラミー賞では年間最優秀アルバムなど複数の部門で受賞を果たし、間近に迫る21世紀に向けてスランプ期終了・完全復活を印象付けました。

「Love Sick」でいきなり不穏なダークな雰囲気でアルバムの世界観を提示し、ロカビリー調、バラード、ブルースと続きます。ヒット曲「Knockin' on Heaven's Door」ではドアはすでに閉じていましたが、「Tryin' to Get to Heaven」はそのドアが閉ざされる前に天国を目指す男(自分?)の歌です。「Not Dark Yet」は特に評価が高く、「まだ暗くないが、もうじき暗くなる」という人生の終点を意識した歌になっています。

「Make You Feel My Love」は自らピアノを弾き、日本では映画「七つの会議」の主題歌になりましたし、ブライアン・フェリー、ビリー・ジョエルやアデルらがカバーしたことでも知られるラブ・ソング。ラストは16分の長い「Highlands」で、典型的なゆったりしたブルース・リフに乗せて理想郷への思いを散文詩的に歌い続けるのですが、聴いているうちに癖になってくる不思議な曲です。


Love Sick
Dirt Road Blues
Standing in the Doorway
Million Miles
Tryin' to Get to Heaven
'Til I Fell in Love with You
Not Dark Yet
Cold Irons Bound
Make You Feel My Love
Can't Wait
Highlands

Bob Dylan (vo,  g, harmonica, pf)
Bucky Baxter (aco.g, pedal steel), Brian Blade (ds)
Robert Britt (g), Cindy Cashdollar (slide g), Jim Dickinson (key)
Tony Garnier (b), Jim Keltner (ds), David Kemper (ds)
Daniel Lanois (g), Tony Mangurian (perc), Augie Meyers (org)
Duke Robillard (g), Winston Watson (ds)

August ~ October 1996, January 1997

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年8月28日金曜日

バーミヤン @ 多摩区長沢


久しぶりにファミレスに行きました。

中華のバーミヤンです。最近はなかなかバカにならないと評判だと聞きます。

頼んだのは、今のご時世流行している麻辣系でタンメンです。

追加の麻辣オイルが付いてきて、好きなだけかけてくださいというスタンス。

辛さなどを自分の好みにできるのはいいんですが、これがあまり辛くない。たくさんかけたくても油ですから、ちょっと気が引ける。

むしろ普通のラー油の方が辛い気がしました。

味は、まぁ、普通に美味しいです。それほど文句はありません・・・なんですが、バーミヤンなら安いというイメージがあるので、これで税込み1000円超えるのは・・・・ご時世なのでしかたがない。

会計はセルフレジです。コロナ禍の時なら、人との接触を減らすということで理解できる。

人件費削減ということなんでしょうけど、今はむしろ時間がかかるだけで、客のメリットは少ないかもしれません。

2026年8月27日木曜日

ディランをカバーする


音楽に携わるアーティストは、誰もが自ら音楽を作っているとは限りません。自作自演するシンガー・ソングライターは、いまでこそ普通の存在ですが、以前は作曲家、作詞家、歌手は別々というのは普通の事でした。1960年代に入って、自らの主張を歌に乗せる動きが加速し、その中心にいた人物の一人がボブ・ディランでした。

ディランは、多くのアーティストに影響を与え続ける音楽界の巨人ですが、その登場の初期からディランの楽曲をカバーする動きは始まっていました。ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリー、ザ・バーズらを中心に、積極的にディランをカバーしたことが、むしろディランの知名度を上げ人気を高めたことにつながったことは間違いがありません。70年代以降になると、ディランのカバーはリスペクトによるものが多くなり、現在までその流れが続いています。

初めてディランのカバー曲に接したのは、エリック・クラプトンの「Knockin' on Heaven's Door」でした。またディラン自身の演奏はありませんが、クラプトンの「Sign Language」もディランの名曲の一つだと思います。カバーというのも、音楽の楽しみ方の一つとして是非おさえておきたいポイントです。

最も多くのアーティストがカバーしたのはThe Beatlesの「Yesterday」で推定数千回以上と言われていますが、ディランのカバーをしたアーティストはいったいどのくらいいるのでしょうか。そしてカバーされた楽曲はどんなものが多いのでしょうか。これを知るのはかなり難しいと思いきや、実はネットの百科事典「Wikipedia」に、まさにこの単独の項目(List of artists who have covered Bob Dylan songs)があります。

完全なリストを作ることは、日々どんどん動いていることなのでおそらく不可能。ただし、大雑把な傾向は把握できますので、検討する価値があります。掲載されているリストは、商業的にリリースされたものだけが含まれていて、ライブなどで披露しただけとか、アマチュアの演奏は除かれています。

まず、アーティスト別のベスト10です。

1位は30曲のジョーン・バエズ。順当な結果で、全キャリアの中で、時々ディランの歌を取り上げていました。驚いたことに30曲で同率1位となったのが、ジュリー・フェリックス。実はよく知らなかったのですが、主に60年代半ばから70年代に、イギリスのフォーク界のレジェンドとして活躍された女性です。ソプラノのバエズに対してアルトの音域で、一音一音をしっかり歌うタイプです。1964年のデヴュー・アルバムで、すでに「Masters of War」、「Don't Think Twice, It's Alright」を取り上げています。

3位はフランス人のユーグ・オーフレイの24曲。ディランと直接の親交があり積極的に難解な歌詞をフランス語に翻訳して歌いました。4位はイギリスのスティーブ・ギボンズで23曲。ロックンロール・バンドを転々とし、1998年からディランのカバーのためのDylan Projectを結成しました。

5位はアメリカのフォーク・シンガーのジュディ・コリンズで22曲。6位はイギリスのバーブ・ジャングで19曲。7位はドイツのロックバンドBAPのリーダー、ヴォルフガング・ニーデッケンの18曲で、これら上位に入っているアーティストは、「××ディランを歌う」のようなタイトルのアルバムがあります。

同じ18曲で同率7位には、やっとThe Byrdsが登場します。この後10曲以上の有名どころの名前を拾ってみると、ブライアン・フェリー、フェアポート・コンベンション、マリア・マルダー、グレイトフル・デッド、ベン・シドラン、マウンテン、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、ジョー・コッカー等々が気になるところでしょうか。

さらに続けると、The Band、ピーター・ポール&マリー、ランブリン・ジャック・エリオットが9曲、ピート・シガー、クリッシー・ハイド、リッキー・ネルソンが8曲、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワートが7曲などが登場してきます。

後は名前だけ挙げておくと、ニーナ・シモン、パティ・スミス、エルビス・プレスリー(4曲!!)、ジョージ・ハリスン、リンダ・ロンシュタット、エミルー・ハリス、ジョニー・ウィンター、ウィリー・ネルソン、ビリー・ジョエル、トム・ペティ、イエス、スティービー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ベット・ミドラー・・・もうキリがありません。

では、カバーされた曲を見ていきます。

1位「Blowin' in the Wind」66回、2位「Don't Think Twice, It's Alright」48回、3位「I Shall Be Released」40回、4位「Mr.Tambourine Man」39回、5位「The Time They Are A-Changin'」38回、6位「Like a Rolling Stone」35回、7位「All Along the Watchtower」34回、8位「It's All Over Now, Baby Blue」31回、9位「Just Like a Woman」29回、10位「Girl from the North Country」28回、というところがベスト10です。

だいたい有名曲ばかりが並びますが、全般的に60年代の曲がほとんどです。意外だったのは「A Hard Rain's a-Gonna Fall」が3回しかありませんでした(微妙な違いで少し増えるかもしれません)。 

カバーの定番としてよくあげられるのは、Guns N' Rosesの「Knockin' on Heaven's Door」やジミ・ヘンドリックスの「All Along the Watchtower」、アデルの「Make You Feel My Love」などがありますが、日本語カバーとなるとRCサクセションの「Blowin' In the Wind」、「I Shall Be Released」、桑田佳祐の「Like a Rolling Stone」などが思いつきます。

名演として注目されるのはジョージ・ハリスンの「If Not for You」やブライアン・フェリーの「Positively 4th Street」、Pretenders (クリッシー・ハイド)の「Forever Young」などがありますが、ちょっと興味深いものだとロバート・プラントの「One More Cup of Coffee」やRolling Stonesの「Like a Rolling Stone」も是非聴いておきたい。

ずらずら書き並べましたが、いちいち探すのは面倒だという方に向けた便利なアルバムがあります。2012年に発売された「Chimes of Freedom」というカバー曲集のアルバムで、何とCD4枚組、5時間以上、全73曲というボリュームですが、現在も実売4000円以下の良心的な価格で手に入ります。

これは人権擁護団体アムネスティが創立50周年を記念した企画として制作されたもので、売り上げはすべてアムネスティに寄付されます。50周年がディランのデヴューと一致したこと、ディランの「Chimes of Freedom」の弱者に寄り添う内容がアムネスティの理念の象徴とされたことなどがきっかけで、ディランもオリジナルの音源を提供しています。

参加アーティストには、アデル、シュガーランド、スティング、マルーン5、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ、デイヴ・マシューズ・バンド、シルヴァーサン・ピックアップス、アヴェット・ブラザーズ、ラファエル・サディーク、マイリー・サイラス、ケシャ、パティ・スミス、エルヴィス・コステロ、バッド・レリジョンなど有名無名さまざまですが、わざわざこのために新たに録音した演奏は聴きごたえがあります。

本家の歌い方でわかりにくかったメロディがすっきりしたりするというメリットもありますが、この曲にはこんな解釈があったのかというような驚きもあります。聴きなれた曲にも新しい発見があったりするので、他人が演奏するディランの曲を探すのも楽しみの一つです。

2026年8月26日水曜日

ディランは歌が下手なのか


初めてボブ・ディランの歌を聴いた時、多くの人は違和感を抱くと思います。そういう自分もそうでした。えっ、この人、歌は下手糞じゃない? と言いたくなる。

その理由は、いろいろありそうですが、最も大きな理由になっているのは、歌い方と声だと思います。長く歌い続けているアーティストですから、年齢的な変化もありますが、時代によって意図的に自ら変えている部分が大きい。

もともと、トーキング・ブルースという歌い方があります。これは「語るようにブルースを歌う」というものですが、アメリカのルーツ音楽として伝統的な歌唱法の一つです。メロディ通りに音符に言葉を乗せることをせず、伴奏(たいていギター)に合わせて、ほとんど喋り続けるというもの。

1920年代にアメリカ南部で始まったと言われていますが、これを継承したのがウッディ・ガスリーでした。語られるのはほとんどが社会風刺的な内容だったので、フォーク・ソングとして反体制的なプロテスト・ソングの土台になったことは容易に想像できます。この世界にガスリーの模倣から入ったディランは、当然このスタイルも自分のものとしていきます。

メロディはあっても、音符通りに歌い出さなかったり、まだ譜面上は音符があるはずなのに早くに歌い終わったりする、また音符に対して歌詞が字余りだったりするのも、もとはと言えばトーキング・ブルースのスタイルから来ているのではないでしょうか。

その結果として、ディランの歌詞はかなり自由度が高い。無理にメロディに乗せる必要が無いので、言いたいことがあれば好きなだけ歌い続けられるのです。後年、自分の曲でさえ、まるで何の曲かわからないほどメロディを変えて歌うのも、このようなベースがあるためだと思います。

ディランをアメリカが生んだ最高のミュージシャンの一人にしたのは、そのような先人から受け継いだ自由度の高い歌い方に、時代の空気を取り込み独自の文学的な言葉を紡ぐ才能に秀でていたからに他なりません。愛だとか恋だとか、あるいは一時的な感情だけを歌うポピュラー・ソングの世界を、芸術的な高い次元に引き上げると同時に一般にも広く受け入れられるものへと昇華させた功績は誰にも真似できないものだと言えます。

もう一つの特徴が声です。はっきり言って美声とはとても言えない。若い時から、少し鼻にかかったような濁声でした。盟友ジョーン・バエズとは見事に対照的ですが、逆に人々が親しみやすいという効果があったのではないでしょうか。また、大きな声を出しても声質が変わらないという利点もあるかもしれません。

フォーク期はあきらかにガスリーに寄せていた部分があると思いますが、ロック化するとこのざらざらした声が激しいリズムにぴったりで、無理なくシャウトする感じが見事にはまります。

しかし、60年代後半になると、突如としてカントリー調の「つんつるてん」のクルーニングの発声方法を始めました。70年代なかばに元の発声に戻りますが、激しいシャウトと同時にこの頃から歌詞の文節の終わりを投げ捨てるような歌い方が目立ち始めます。

1987年にステージ上で突然新しい歌い方を閃いたというエピソードがありますが、本人が詳しくは語っていないので詳細は不明ですが、おそらく喉を絞るような歌い方から鼻に声を溜めるような方法ではないでしょうか。その後、加齢とともに声のしゃがれ感と鼻声感が強まって、ディランにしか出せない「味」は究極のものになっているわけで、これがはまると癖になるポイントです。

ディランにとって、「美しいメロディ通りに歌う」ことが歌ではなく、「言葉を伝えるための手段」であり続けました。声楽的な発声法からは、確かに「下手」だろうとは思いますが、歌を用いた表現力という観点からはポピュラー音楽史上最も偉大なシンガーの一人と呼ばれることに異論はありません。

2026年8月25日火曜日

ディランのFilmography


ボブ・ディランの映像作品はたくさんありますが、自身が関わった「公式」なものに絞って整理します。基本的には、ライブ演奏、ドキュメンタリー、そして(困ったことに)俳優として出演した映画に分けられます。純粋なライブについては、そのキャリアからすると意外と多くはなく、それぞれのアルバムとして評価するので、ここではタイトルを示すだけにしておきます。

1967 Dont Look Back
1972 Eat the Document
1973 Pat Garrett & Billy the Kid (Movie)
1978 Renaldo and Clara
1986 Live in Australia
1986 Hearts of Fire (Movie)
1992 30th Anniversary Concert Celebration
1995 MTV Unplugged
2003 Masked And Anonymous (Movie)
2005 No Direction Home
2007 The Other Side of the Mirror
2017 Trouble No More
2019 Rolling Thunder Revue A Bob Dylan Story
2021 Odds and Ends
2021 Shadow Kingdom

一番最初に登場した「Dont Look Back」は、D・A・ペネベイカーが監督した1965年春の初のイギリス・ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画で、1967年に劇場公開されました。「Don't」ではなくアポストロフィは意図的に抜かれています。このツアーはすでに電気楽器導入を始めていたディランにとって、最後のアコースティック・ツアーでした。インタビューに答える尖ったディランも興味深く、隙間風が吹き始めたジョーン・バエズとの関係も捉えています。

現在ではDVD、Blurayで手に入りますが、初出時は新書サイズの写真集や、世界初のミュージック・ビデオとなった「Subterranean Homesick Blues」をパラパラマンガとして見られるオマケも付属していました。フォークからロック・スターに変貌する直前の様子が、見事に映像化されていてファンにはマスト・アイテムです。

ところがディラン自身はこの作品の出来に満足できず、自ら編集し直して作られたのが「Eat the Document」ですが、一貫性の無い内容に公開を控える劇場が続出したらしい。その後もメディア作品としてはまったく手に入りませんが、ネットでは低解像度の動画を見ることが可能です。

1973年のサム・ペキンパー監督作品「ビリー・ザ・キッド」は、ディランは音楽を担当するだけのはずだったのが、ペキンパーに何故か気に入られ、わざわざ追加の役を用意されたという面白い経緯で出演しました。当然演技はド素人で、見るべきものはほぼ無いと言ってよい。

作品は、1972年11月から翌年3月までかかって撮影されましたが、監督と映画会社の間で予算をめぐるトラブルが山積して、最終的に短縮したものが監督抜きで編集・公開されたため、低評価に終わります。しかし、その後監督の考えが反映されたフィルムの再発掘により見直されています。

「Renaldo and Clara」はディランが監督し、形だけの脚本家として俳優のサム・シェパードが登用された映画(?)らしきもの。1975年10月から12月にかけて第1期「Rolling Thunder Revue」ツアーの最中に撮影されました。実際のディランの妻であるサラとジョーン・バエズが妻(クララ)と愛人の役という、常人では思いつかない配役です。

意味不明の即興劇的なフィクションとステージのライブ映像が交錯して、1978年の公開時に何と4時間という長さでは低評価は当然の結果です。メディア作品はありませんが、ヨーロッパでテレビ放送(!)された録画が出回っています。英語のセリフがよくわかりませんので、ステージでの演奏シーン以外は見ていて苦痛と言わざるを得ません。

1986年撮影、1987年公開の映画「Hearts of Fire」はリチャード・マーカンドが監督し、ディランと当時バッキング・ボーカルにしばしば登場していたフィオナ(フィオナ・フラナガン)が主演しました。かつて大スターだった隠遁中のミュージシャン(ディラン)と、ツアー中に彼と出会う若い女性ロッカー(フィオナ)を描いた音楽映画で、これもまたあまりパッとした成績は残していません。ただし、サウンドトラック盤はここでしか聞けないディランの曲があり、貴重性もあって楽しめます。

どうしたって演技力をディランに期待するのは無理というものですが、2002年にまたもや映画出演したのが2003年公開の「Masked And Anonymous」で、邦題は「ボブ・ディランの頭の中」というあまりと言えばあまりなタイトル。監督はラリー・チャールズ。内戦状態のアメリカを想定した架空の国を舞台に、仮出所した伝説のミュージシャン、ジャック・フェイト(ディラン)が国を立て直すという不思議で難解な内容で評判は良いはずがない。

ただし、何故かジェフ・ブリッジス、ペネロペ・クルス、ジョン・グッドマン、ヴァル・キルマーなどの有名俳優が大挙して出演したことと、ディランの演奏シーンだけが記憶に残ります。なお、オープニングのテーマ曲は何と真心ブラザースが歌う、日本語の「My Back Pages」です。

2005年の「No Direction Home」はテレビ用に作られたマーティン・スコセッシ監督によるドキュメンタリーで、ディランのデヴュー直前からバイク事故で表舞台から消えるまでが描かれています。このために珍しくディラン本人がインタビューに答えていたり、ジョーン・バエズ、アレン・ギンズバーグ、ピート・シーガー、アル・クーパーといった重要な関連人物の証言も交えて、当時の様子が生々しく再現された音楽ドキュメンタリーの傑作と言われています。

マーティン・スコセッシはThe Bandの解散コンサートを映画化した「The Last Waltz」を監督していて、実力のある映画監督の中でもディラン周囲の理解が深かったことが起用された大きな理由になりました。「Dont Look Back」の未公開フィルムや、ディランの手元にあった膨大なフィルムから3時間半におよぶ映像が再構築されました。

特に1966年のThe Band (当時はレヴォン・ヘルム抜きのThe Hawks)を従えたイギリス・ツアーで、フォークからロックに転向した直後で観客の戸惑いが浮き彫りになっています。観客から「ユダ! (裏切り者)」と罵声が飛ぶ瞬間がスリリングです。DVD、Blurayでも発売されていて、また貴重な音源がサウンドトラックとして「The Bootleg series vol.7」に収録されています。

「The Other Side of the Mirror」に収められたのは、1963年から1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルに出演したディランの映像です。1963年の初々しいバエズとのデュエットは興味深いのですが、一番素晴らしいのは1965年のステージで、突然、エレキギターで登場し、初めてロック宣言をした映像です。まさに歴史が動く瞬間を、DVDやBlurayで見れると言うのは驚きを越えて素晴らしい事です。

宗教色に染まったディランを見事にとらえたのがテレビ用に作られた「Trouble No More」で、「The Bootleg Series  Vol.13」の付属DVDで初めて一般に見直されることになりました。ライブ演奏と俳優マイケル・シャノンによる説法が交互に入る形で、キリスト教布教活動真っ最中という感じですが、演奏内容は悪くはありません。

2019年に突如Netflixに登場したのが、1975年の第1期ローリング・サンダー・レヴューのドキュメントです。監督は再びマーティン・スコセッシ。40年以上謎に包まれていた、伝説のツアーの演奏シーンだけでなくバックステージの映像が残っていたことに驚きますが、これというのも「Renaldo & Clara」の撮影フィルムが大量にあったからです。わけがわからないフィクション部分は除いて、純粋にドキュメンタリーとして再構築された映像は見ごたえがあり、2時間半が短く感じられるほどです。

ただし、ここに監督の仕掛けがあって、実はこの作品はフィクションとノンフィクションを巧妙に混ぜ合わせたモキュメンタリー作品です。ジョルジュ・メリエスの無声映画の人物消滅の手品映像から始まり、すでにこの作品には仕掛けがあることを明示しているのです。女優シャロン・ストーンや架空の人物へのインタビューは、まったくの作り事だったりします。そのような悪ふざけに付き合いながら、狂乱のツアーの雰囲気をDVD、Blurayで感じることができます。

今のところ、現時点で最新の公式ドキュメンタリーは2021年の「 Odds and Ends」で、デジタル配信されネットで見ることができます。タイトルは「残り物」という意味で、まさに未公開秘蔵映像の集大成的な作品です。新しい映像も含まれますが、あくまでもこれまでの映像作品を補足するような位置づけで、見て損はないという程度のものだと思います。

その他、ディランが登場する主だったイベントの多くがテレビで放送されたため、画質にこだわらなければほとんどの映像はネットで見ることができます。良い時代になったというべきか、アーティスト泣かせというか・・・まぁ、楽しみはいくらでもあるということです。

2026年8月24日月曜日

おウチで浜焼き


いゃ~、贅沢だなぁ。

家で浜焼きです。

はまぐり・・・スーパーで1個200円。かなり大きめです。

あと、もらったサザエが6個ほど。

カセットコンロの上に、昔使ってた、炭焼きバーベキュー用の網を乗せて焼きました。

バカっと開いた時がスリリングです。

さっとひっくり返して、醤油を一たらし。

あ~、美味しい、美味しい・・・でした。

2026年8月23日日曜日

MTV Unplugged (1994)


1994年2月に「Never Ending Tour」が、バッキー・バクスター(pedal steel g, slide g)、ジョン・ジャクソン(g)、トニー・ガルニエ(b)、ウィンストン・ワトソン(ds)という安定した編成で再開されます。そしてスタートとなったのが日本。1978年の初来日以後、1986年、1988年、1989年、1990年と続いて、6回目の日本でのコンサートが行われました。

2月には日本での10回のライブの後、東南アジアで4公演を行い、3月は休養。4月は北米ツアー25公演、7月はヨーロッパ・ツアー17公演、8月と10月は再び北米ツアーで計48公演という具合で、ステージに立つことがまさに生きている証とでもいうような生活が続きます。

その合間をぬって、この年、5月には再度日本を訪れ、奈良・東大寺での「The Great Music Experience (あおによし)」に出演しました。大仏殿前特設ステージで開催された文化庁・NHK主催の国際音楽イベントで、ディラン以外にもライ・クーダー、ジョン・ボン・ジョヴィ、そして何とジョニ・ミッチェル(フィナーレではディランと1本のマイクを分け合いました)らが参加しています。

マイケル・ケーメン指揮のフル・オーケストラが伴奏につき、ディランにとっては初めて、そして唯一のオーケストラとの共演になりました。しっかりと編曲された譜面通りの伴奏では、ディランはさぞかし歌いにくいだろうと思いきや、普段の自分に合わせるためにバンドに追いかけられる立場から解放され気持ちが良いと、意外にその出来に満足していたらしい。

8月のツアーの真っただ中に組み込まれていた特別な公演が、「ウッドストック・フェスティバル」です。これは1969年の伝説となったロック・フェスティバルの25周年を記念して企画されたもので、1969年当時はディランはウッドストックで隠遁生活をしていましたが、同時期のイギリス、ワイト島でのフェスティバルに参加してウッドストックは無視していました。

この年のディランのステージはフェスティバルの目玉であり、多くの期待を背負ってツアー・バンドと共に熱い演奏が繰り広げられました。残念ながら(ごく一部を除いて)公式音源はありませんが、テレビ放送からの海賊盤のCDやDVDは広まっているので、この時期の充実した演奏ぶりを確認できます。

そして、もう一つの特別なライブが11月に行われた「MTV Unplugged」です。ミュージック・ビデオ専門チャンネルであるMTVは、1989年から「電源プラグを抜いた」編成による電気楽器を使わないアコースティックなライブという企画を立ち上げていました。アーティスト達の新たな魅力を掘り出したり、低迷していた者が復活するきっかけになったりと、大きな話題を集めるようになっていました。

特に1992年に発売されたエリック・クラプトンのunplugged liveは大ヒットし、聞き慣れた曲の再発見と新しいファンの獲得に大きな成果がありました。21世紀になってからは放送の頻度は減少しましたが、その後もたまに番組は製作され続けています。80年代はディランでさえ一時はまった過剰なエフェクトをかけ、シンセサイザーなどの電子楽器を大量に使用する音楽が氾濫したため、それに対する反動、アンチテーゼ、そしてアーティストの素を見たい・聞きたいという欲求が高まったことが人気の理由に関係しています。

ディランのunpluggedは、MTVからの長年の要望として実現しました。ディランとしては直近2枚のアコースティック・アルバムの流れでステージを構成したかったのですが、ライブ・アルバムを発売したいコロムビアと視聴率を取りたいMTVからの強い希望により、これまでの代表曲を中心にアコースティック・アレンジで再解釈するセットリストとなりました。

なお、コロムビア・レコードはアメリカのテレビ局CBS傘下の企業ですが、日本での販売を担っていたSONYに1988年に買収され、Sony Music Entertainment (SME)に社名が変更されています。巨大音楽業界における、まさに下剋上的なビッグ・ニュースでしたが、レーベル名としてのコロムビアは継承され使われていました。

11月17日、18日の2日間にわたり、ニューヨークのソニー・ミュージック・スタジオで、ツアーのレギュラー・バンドにオルガン演奏のブレンダン・オブライエンが加わって収録が行われ、曲の構成上、一部にPluggedが用いられてはいますが、12月に初回放送され大人気コンテンツになりました。翌年4月には、公式にCD、DVDが発売されています。ちなみにリハーサルや放送されなかった曲などは、例によって海賊盤がありますので、マニアは完全網羅可能です。

公式盤は大ヒットし、特に「John Brown」と「Dignity」は今回が公式としては初出の演奏で注目されました。ただし、評価としてはあまり高まっていません。その理由は、「内容がGreatest Hitsなので新鮮味がない」、「直近のアルバム曲を聞きたかった」、「ディランは元々unpluggedのフォーク・シンガーだ」といった意見が多い。その一方で、ボーカルが際立つステージだからこそ、ディランのボーカリストとしての真価が発揮されたことは高く評価されています。


Tombstone Blues
Shooting Star
All Along the Watchtower
The Times They Are A-Changin'
John Brown
Rainy Day Women #12 and #35
Desolation Row
Dignity
Knockin' on Heaven's Door
Like a Rolling Stone
With God on Our Side

DVD only:
Love Minus Zero / No Limit

Bob Dylan (vo, g, harmonica)
Tony Garnier (b), John Jackson (g), Brendan O'Brien (org)
Bucky Baxter (pedal steel g, dobro, mandolin), Winston Watson (ds)

November 17, 18, 1994, New York City

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年8月22日土曜日

World Gone Wrong (1993)


90年代以後、ボブ・ディランの生活にはしだいに「Never Ending Tour」が定着し、ステージで歌うことがメインで、合間にアルバム制作を含む他の仕事をこなすことが普通になってきました。デヴュー30年を過ぎても、昨日の続きが明日というスタンスには変わりがありません。

1993年も2月の間はヨーロッパ、4月中は北米、そして6月から7月にかけて再びヨーロッパ、そして8月から10月にはカルロス・サンタナとのジョイント・ツアーという具合で、ほぼ1年中ライブ活動をしています。空いている3月は、休養とニュー・アルバムの準備、そして5月にレコーディングを行いました。11月には、ニューヨークのサパー・クラブで、通常ツアーとは別枠でアコースティック・ライブを開催し、12月から翌年1月の間は休養および2月からのツアー再開の準備という具合です。

5月に収録されたニュー・アルバムは、今回もマリブの自宅スタジオで録音され、前作「Good as I Been to You」に続いてディラン単独の弾き語りによるオール・カバー曲という内容はファンや評論家を大変驚かせました。

前作は、あらためてディランのギター演奏力の高さが際立つピッキングの演奏が目立ち、内容も古くからのトラディショナルや比較的知られているカバー曲が中心となった伝統的なフォーク・ソング・アルバムとして完成度の高いものでした。

今作は、より荒々しい力強いギター演奏をしていて、歌い方にもより感情が込められています。多少のギターのストローク・ミスはものともせず、より歌唱そのものの良し悪しに重点を置いているようです。内容は古い南部のブルースがメインになっていて、死・孤独・無常といったダークな雰囲気が色濃く出ているところが決定的に違うところです。

10月に発売されると、ブルースが本来内包している悲しみ、苦しみなどの感情を見事に表現していると、オリジナル曲が含まれていないにもかかわらず高い評価を得ています。また、前作でトラディショナルやカバー曲の出所などについて不明瞭と批判されたことを受けて、今回は自らライナーノーツを書き起こして、比較的丁寧に説明を行ったところも評価されました。

その結果、第37回グラミー賞(1994年度対象)で「Best Traditional Folk Album」を受賞しています。この2枚の弾き語りアルバムは、一部のファンの失望を招いたことは否定できませんが、ディランがルーツ音楽の中に新たな自分の可能性を発見し、本当の意味でスランプから抜け出るために大きな意味があったと言われています。

実際、この2枚のアルバムを聴くと、無駄をそぎ落としたディラン独りの演奏であるがゆえに、かえって本当に本人がやりたい音楽なんだなと思えてきます。自作曲ではなくても、ディラン節が完全に戻って、歌うことへの自信が再びほとばしっているように聞こえます。


World Gone Wrong
Love Henry
Ragged & Dirty
Blood in My Eyes
Broke Down Engine
Delia
Stack a Lee
Two Soldiers
Jack-A-Roe
Lone Pilgrim

May 1993, Malibu

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年8月21日金曜日

The 30th Anniversary Concert Celebration (1993)


1992年10月16日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにおいて、ボブ・ディランのデヴュー30周年記念コンサートが盛大に行われました。この日の模様は、2枚組CDで聞くことができますし、DVD、Blurayもあるので映像としても十二分に楽しむことが可能です。

コロムビア・レコードから発売されたので、ディランの公式アルバムの一つとして並ぶことになります。ただし、実は勘違いしやすいところなんですが、2時間半のステージで確かにディランが最後に登場はするんですが、単独で歌うのは2曲、全員で合唱するのが2曲です。基本的にはディランのアニバーサリーをお祝いするために集まった様々な豪華アーティストが、ディランの曲を演奏するのが主たるプログラムです。

正直に言うと、このアルバムはあえて取り上げる必要はないかとも思ったのですが、ディラン人脈を知るのには役に立つので、一度は見たり聞いたりしておいた方が良いと思います。早速、トラック・リストの中身を見ていきましょう。

Like a Rolling Stone
    / John Cougar Mellencamp, Christine Ohlman, Sherene Browner
Leopard-Skin Pill-Box Hat / John Cougar Mellencamp
Blowin' in the Wind / Stevie Wonder, Darryl Keith John
Foot of Pride / Lou Reed
Masters of War
 / Eddie Vedder and Mike McCready of Pearl Jam
The Times They Are A-Changin' / Tracy Chapman
It Ain't Me Babe / June Carter Cash and Johnny Cash
What Was It You Wanted / Willie Nelson
I'll Be Your Baby Tonight / Kris Kristofferson
Highway 61 Revisited / Johnny Winter
Seven Days / Ronnie Wood
Just Like a Woman / Richie Havens
When the Ship Comes In
 / The Clancy Brothers, Robbie O'Connell, Tommy Makem
You Ain't Going Nowhere
 / Mary Chapin Carpenter, Rosanne Cash, Shawn Colvin
Don't Think Twice, It's All Right
 / Eric Clapton (rehearsal bonus track)
Just Like Tom Thumb's Blues / Neil Young
All Along the Watchtower / Neil Young
I Shall Be Released / Chrissie Hynde
Don't Think Twice, It's All Right / Eric Clapton
Emotionally Yours / The O'Jays
When I Paint My Masterpiece / The Band
Absolutely Sweet Marie / George Harrison
License to Kill / Tom Petty and the Heartbreakers
Rainy Day Women #12 & 35" / Tom Petty and the Heartbreakers
Mr. Tambourine Man
 / Roger McGuinn with Tom Petty and the Heartbreakers
It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding) / Bob Dylan
My Back Pages
 / Bob Dylan, Roger McGuinn, Tom Petty, Neil Young,
 Eric Clapton and George Harrison
Knockin' on Heaven's Door / All
Girl from the North Country / Bob Dylan
I Believe in You
 / Sinead O'Connor (rehearsal bonus track)

Total Musical Direction by G.E.Smith (g, mandolin)
Shawn Colvin (g), Steve Cropper (g), Sheryl Crow (back.vo),
Donald "Duck" Dunn (b), Lisa Germano (vn), Booker T. Jones (org),
Jim Keltner (ds), Al Kooper (org), Don Was (b), etc.


なかなかそうそうたる面子が揃っていますが、確かにディランとの関りが深い人が多い中で、どこに接点があるのかよくわからない人も散見されます。基本的にはコロムビア・レコードのスタッフとディランの個人事務所のジェフ・ローゼンが調整して決定されたようです。

コロムビア所属またはゆかりのある豪華アーティストやトップスター、ディランと直接的に交友がある同世代のアーティスト、そしてディランの音楽的遺産を継承する存在として次世代・後続アーティストらも選出されているのが特徴的です。

このコンサートのCDにしてもDVDにしても、実は不完全なもので、作品として重要なピースが抜けているのが実に残念です。というのは、そもそもディランが、最初期の自作曲である「Song to Woody」を歌ったにもかかわらず収録されていません。

当日はジョン・プライムが歌う予定でリハーサルが行われていましたが、この歌は自分で歌いたいとディランから申し出て、実際ステージで歌われました(プライムの出番なし)。しかし、その出来に納得できなかったディランが収録を許可しなかったということらしい。

さらにジョージ・ハリスンは、けっこう重要なゲストのひとりですが1曲しか収録されていません。実は、ステージでは、ディランとの関係が深い「If Not For You」も歌っているのに、これも収録されていない。こちらは機材トラブルのためとされています。

もう一つ、ボーナス・トラックとしてリハーサルが収録されているシネイド・オコナーの「I Believe in You」は、実は本番で歌えなかったものです。コンサート直前のテレビ出演した際に、オコナーはローマ・カトリック教会のスキャンダルに抗議して法王の写真を破り捨てたため、会場から大きなブーイングを浴び、しかたがなくボブ・マーレイの「War」をアカペラで歌唱し、泣きながらステージを降りたのでした。

これらは、ネットでテレビ放送されたものが見つかりますので、興味がある方は探してみてください。いずれにしても、個々のアーティストの力の入ったパフォーマンスが主役で、ディランの作品とするのは無理があります。そもそもディラン自身も、「過去の人」を讃えるようなこのコンサートは乗り気じゃなかったようで、他人事のように思っていたのかもしれません。

2026年8月20日木曜日

浜なし


横浜北部の名物といえば・・・

浜なしです。

基本的には特別な品種ではありませんが、今回手に入れたのは幸水でした。

東名高速の横浜青葉ICの下あたりにある農協の直売所で買いましたが、すっごい人気!!

開店時間に合わせていってみると、たくさんの人が行列していて、開店と同時に一気に梨売り場に殺到してました。

いやいや、そんな、バーゲン会場に駆け込むみたいにしなくても、たくさんあるから大丈夫ですよ。

並びませんでしたが、十分に品定めできるくらいありました。

やっぱり、美味しいですね。

8月末にはもう売って無いので、食べたい人はそろそろ急がないとね。

2026年8月19日水曜日

Good as I Been to You (1992)


1992年は、ボブ・ディランにとってデヴュー30周年を記念する節目の年です。とはいえ、前半は引き続き「Never Ending Tour」で今までと同じようにステージに立つことを続けていました。ニュー・アルバムの動きを見せたのは6月初めのことで、ギタリストのデーヴィッド・ブロンバーグをプロデューサーに招き、彼のバンドとシカゴでレコーディング・セッションが行われました。

セッションでは、トラディショナル、ブルース、カントリーなどのカバー曲ばかり12曲が収録されたらしい。らしい、というのは、実はこの時の録音はディランが納得のいくものにならず、すべてボツになっているのです。後に「the Bootleg Series Vol.8 Tell Tale Signs」に、このセッションから2曲だけが公開されていますが、後は海賊盤でも出回っていません。

結局、7月になって、マリブの自宅スタジオであらためてレコーディングが行われました。このセッションでの共演は・・・何と、いません。ディラン単独の弾き語りというから驚きます。アルバムのアクセントとして、バンド演奏の合間に弾き語り曲が登場したことはありますが、アルバム全編を通してディラン一人での演奏というのはフォーク期の最初の4枚のアルバム以来です。

しかもここでは全曲がトラディショナルかカバー曲であり、自作曲はありません。デヴュー・アルバムがほとんどカバー曲でしたが、それでも自作曲が2曲入っていました。このことをして、ディランの原点回帰と評する場合が多く見受けられます。しかし、そんな簡単な話ではないと思います。

やはり80年代なかばからの「燃え尽き症候群」からのスランプは完全な回復には至っていないというのが大きい。ライブで歌うことの自信を取り戻し、「Traveling Wilburys」で音楽の楽しさを思い出し、「Oh Mercy」で一定の成果を出したとは言え、それらを安定的に持続させるのにはまだ時間が足りないようです。


作詞・作曲して自分で歌うというのは、おそらくアイデア、インスピレーションが泉のように湧いてくる必要があり、そのすべてが曲として完成できるわけではない。この時期、ディランに必要だったのは、自分に無いものを見つけ、吸収し、新しい自分の曲に生かしていくヒントを探すことだったのではないでしょうか。それが自作曲以外に興味が向かった大きな理由のように思えます。

そして、「Never Ending Tour」のステージでも、ディラン単独のアコースティック・コーナーは大変評判が良く、本人も自信を持てるパートだったのではないかと思います。結果として、バンドを加えたセッションに納得できず、一人だけで曲に向き合うという選択になったと考えると理解しやすい。

11月にアルバムがリリースされると、飾りのない歌い手としての表現力や、今まで忘れ去られていたギター演奏技術の高さが評判になり、批評家などからは好意的な意見が多く聞かれました。一方で、ディランの新曲に期待していたファンは、失望した部分があることも否定できません。


Frankie & Albert
Jim Jones
Blackjack Davey
Canadee-i-o
Sittin' on Top of the World
Little Maggie
Hard Times
Step It Up and Go
Tomorrow Night
Arthur McBride
You're Gonna Quit Me
Diamond Joe
Froggie Went a Courtin'

July ~ August, 1992, Malibu

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年8月18日火曜日

The Bootleg Series Vol.1 - 3 (1962 ~ 1989, release1991)


「デンスケ」を知っているのは、たぶん60歳以上の方。Sonyから発売されていた持ち運べる録音機器の名称で、初号機は昭和30年代からあったらしいのですが、一般向けに使われるようになったのは1973年に発売されたカセットテープを利用した「カセットデンスケ」から。持ち運べると言っても大きさは30×20×10cmくらいあって、A4サイズの雑誌10冊分くらいでした。

多分、相当高価な物だったと思いますが、友人にこれを持ってコンサート会場に乗り込む豪傑がいました。今だとスマートフォン一つあれば、もっと楽に録音が出来たりしますが、基本的にコンサートでのこういう行為は著作権上はほとんどが違法行為です。

ところが、こういう猛者が日本に限らず世界中に大勢いるわけで、彼らが密かに録音した音源がマニアの間でやり取りされると言うのは、録音技術の進歩とともにずっと昔から「普通」に行われていたわけです。特定の人と人の間だけで交換されたりしているうちはまだよかったのですが、それをレコード盤に記録して販売する人が登場するに至って、レコード会社も黙っていられなくなりました。

ボブ・ディランは、そのような非公式音源のターゲットとして、最も早くから狙われてきたアーティストです。客席から録音された音質の良くないライブ音源などは当たり前で、ライブの時に使われる音響機器から直接出力された公式盤並みの高音質のものもあります。さらにスタジオで収録された音源や仲間内で記録用に簡易録音したものがリハーサルなども含めて流出したりもします。

本来、アーティストが聴いてもらいたいと思って公にするものではないので、レコード会社もそんなニーズはマニア以外にはないだろうと思っていたら、1985年に発売した未公開音源をたくさん詰め込んだ「Biograph」が予想外に好評でした。ディランの場合は、同じ曲の別テイクといっても、まったくアレンジが異なっていたり、そもそもアルバムから漏れた未発表の新曲がたくさんあることが、大きな需要になっているのです。

だったら、音質の悪い海賊盤で広まったものも、公式にしっかりとマスタリングして「公式海賊盤」にしてしまえば、非公式の海賊盤を駆逐できるということで「The Bootleg Series」の企画が始まりました。このプロジェクトを管理しているのは、ディランの個人事務所の代表であるジェフ・ローゼンで、海賊盤市場を徹底的に調査し、倉庫に眠っている膨大な資料やテープなどを整理しました。

「The Bootleg Series」の第1弾が登場したのは、1991年3月で、3枚組CD、5枚組レコード、3本組カセットテープで発売されました。CDの3枚がそれぞれVol.1~3となっていて、全58曲中スタジオ・アウトテイクだけで43曲を占めています。後に似たような企画を立ち上げたアーティストはいろいろいますが、基本的に未発表ライブ音源が中心になっていることが多く、スタジオでの余り物の数はディランが飛びぬけて多い。

ここでは初めての試みということで、デヴューから「Oh Mercy」までの当時のディランの全キャリアを網羅した形になりました。その後のシリーズは、それぞれに設けられたテーマに沿って、CD5枚組前後でまとめられ、その中のベストを選び出したCD2枚組の二つの形態を基本として登場しています。

ちなみにこの年の2月20日、ディランは第33回グラミー賞で「生涯功労賞 (Lifetime Achievement Award)」を受賞しました。当時はアメリカは湾岸戦争に参画していた時期でしたが、ステージに登場したディランは荒々しく「Masters of War」を歌い、その後のスピーチでユダヤ教聖典の格言を用いて「たとえ両親に見捨てられたとしても、神はいつもあなたがやり直すことができると信じてくれている」と語り話題となりました。


Hard Times in New York Town (1961 home tape recorded by Tony Glover)
He Was a Friend of Mine (1961 "Bob Dylan" outtake)
Man on the Street (1961 "Bob Dylan" outtake)
No More Auction Block (1962 live at the Gaslight cafe)
House Carpenter (1962 The Freewheelin' outtake)
Talkin' Bear Mountain Picnic Massacre Blues (1962 The Freewheelin' outtake)
Let Me Die in My Footsteps (1962 The Freewheelin' outtake)
Rambling, Gambling Willie (1962 The Freewheelin' outtake)
Talkin' Hava Negeilah Blues (1962 The Freewheelin' outtake)
Quit Your Low Down Ways (1962 The Freewheelin' outtake)
Worried Blues (1962 The Freewheelin' outtake)
Kingsport Town (1962 The Freewheelin' outtake)
Walkin' Down the Line (1963 demo for the Witmark Music)
Walls of Red Wing (1963 The Freewheelin' outtake)
Paths of Victory (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Talkin' John Birch Paranoid Blues (1963 live at Carnegie Hall)
Who Killed Davey Moore? (1963 live at Carnegie Hall)
Only a Hobo (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Moonshiner (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
When the Ship Comes In (1963 demo for the Witmark Music)
The Times They Are A-Changin'  (1963 demo for the Witmark Music)
Last Thoughts on Woody Guthrie (1963 poem recited live at NYC's Town Hall

Seven Curses (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Eternal Circle (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Suze (The Cough Song) (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Mama, You Been on My Mind (1964 Another Side of Bob Dylan outtake)
Farewell, Angelina (1965 Bringing It All Back Home outtake)
Subterranean Homesick Blues (1965 Bringing It All Back Home outtake)
If You Gotta Go, Go Now (1965 Bringing It All Back Home outtake)
Sitting on a Barbed Wire Fence (1965 Highway 61 Revisited outtake)
Like a Rolling Stone (1965 Highway 61 Revisited outtake)
It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry (1965 Highway 61 Revisited outtake)
I'll Keep It with Mine (1966 Blonde on Blonde outtake)
She's Your Lover Now (1966 Blonde on Blonde outtake)
I Shall Be Released (1967 Basement Tape recording)
Santa-Fe (1967 Basement Tape recording)
If Not for You (1970 New Morning alternate take)
Wallflower (1971 previously unreleased recording)
Nobody 'Cept You (1973 Planet Waves outtake)
Tangled Up in Blue (1974 Blood on the Tracks alternate take)
Call Letter Blues (1974 Blood on the Tracks outtake)
Idiot Wind (1974 Blood on the Tracks alternate take)

If You See Her, Say Hello (1974 Blood on the Tracks alternate take)
Golden Loom (1975 Desire outtake)
Catfish (1975 Desire outtake)
Seven Days (1976 live, Tampa, Florida)
Ye Shall Be Changed (1979 Slow Train Coming outtake)
Every Grain of Sand (1980 publishing demo for Special Rider Music)
You Changed My Life (1981 Shot of Love outtake)
Need a Woman (1981 Shot of Love outtake)
Angelina (1981 Shot of Love outtake)
Someone's Got a Hold of My Heart (1983 Infidels outtake)
Tell Me (1983 Infidels outtake)
Lord Protect My Child (1983 Infidels outtake)
Foot of Pride (1983 Infidels outtake)
Blind Willie McTell (1983 Infidels outtake)
When the Night Comes Falling from the Sky (1985 Empire Burlesque alternate take)
Series of Dreams (1989 Oh Mercy outtake)

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年8月17日月曜日

花火大会


この時期、各地で盛大に花火大会が催されています。

今は便利な時代となった・・・というか、家にいながらテレビで楽しめます。

その場に行って、生で楽しむことに比べれば、かなり寂しいところはありますが、暑くないし、ビールも気楽に飲めるし、そもそも帰り道の混雑も気にしなくてよい。

しかも、YouTubeでは、地方の花火大会もライブ配信していたりして、各地の特徴ある花火大会を鑑賞できるというのも嬉しいところです。

そんなわけで、今夜もどこがやってないかな、とネットを探してみるわけです。

2026年8月16日日曜日

Under the Red Sky (1990)

 


1988年6月から始まったボブ・ディランの原点回帰のツアー、俗に言う「Never Ending Tour」は、ディランが自分の歌手としての可能性をもう一度取り戻すための物でした。ディランを支えるシンプルな3ピース・バンドが迎えた最初の試練が、1989年6月にベーシストのケニー・アーロンソンが病気によりヨーロッパ・ツアー中に急に降板したことでした。しかし、ここでディランは自身にとって最高のベーシストと出会うことになります。

緊急の人材探しで、サックス・プレイヤーのトム・スコットの推薦、バンド・リーダーのG.E.スミスの賛同により、トニー・ガルニエに急遽代役が決定しました。ガルニエはほとんどリハーサル無しでディランに見事に対応してみせたことで、そのまま正式にバンドに定着したのです。

次の試練は1990年10月のG.E.スミスの脱退です。スミスはディランのツアー中も、生放送のテレビ番組「Saturday Night Live」のハウスバンドの音楽監督を続けていたのですが、ツアー・スケジュールが過密になるにつれて肉体的・精神的疲労がピークとなったのです。スミスが抜けた後は、ガルニエが実質的なバンド・リーダーとなりました。ガルニエは現在に至るまで、実に35年以上の間、4000公演を超えるステージでディランとバンドの橋渡しを続けています。

1989年9月に発売された「Oh Mercy」が高い評価を得たディランは、年が明けて1990年1月4日にスタジオ入りして、まとめて4曲のレコーディングを行いました。1月半ばから1か月間はツアー・スケジュールが詰まっていて、5月末からのツアーの合間をぬって、3月から5月前半にアルバムに収録する残りの曲の録音とオーバー・ダビングが行われました。

さらに、もう一つのディランにとって大事なセッションが同時進行していました。それがTraveling Wilburysの2枚目のアルバムです。1988年のデヴュー・アルバムが大好評でしたが、メンバーの一人、ロイ・オービソンの急死により活動がストップしていたのですが、残りの4人での再開です。ウィルベリーの異母兄弟は一新され、スパイク(ジョージ・ハリスン)、クレイトン(ジェフ・リン)、マディ(トム・ペティ)、ブー(ボブ・ディラン)という新たな4人で、バスター・ウィルベリー(ジム・ケルトナー)だけはひきつづき参加となりました。

アルバムは10月に「Traveling Wilburys Vol.3」というタイトルで発売され、前作ほどではないにしても、そこそこ良い評判となっています。「Vol.2」抜きでいきなり「Vol.3」となっているのは、海賊盤が出てしまったのでそれをVol.2としたというハリスンのジョークがまことしやかに伝わっています。

そんな多忙な中で、ディランは自分のアルバムに対しては明らかに集中力を欠いていたことを認めていて、前作のようなトータルな雰囲気からは程遠いバラバラの曲の寄せ集めとなり、9月に発売されると多くのファンや批評家の期待を裏切る結果になってしまいました。

もう一つの評価が低い理由は、その内容です。タイトルには「不吉な予兆」を感じさせるところがある一方で、当時4歳になったディランの娘に読み聞かせるためのおとぎ話のようなファンタジー仕立て、「赤い空の下に住む男の子と女の子」のストーリーになっていることにあります。

アップテンポの1曲目は「蛇のようにくねくねと動け」と、いきなり童謡的。Guns N' Rosesのスラッシュのかっこいいギター・ソロが始まったと思ったら、唐突にフェイドアウトしてあっという間に終わってしまいます。アルバム・タイトル曲では、ハリスンのギターが光りますが、最後は「空が落ちてくる」という怖い終わり方。

「Unbelievable」は社会批判のロックンロールで、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのギターがフィーチャーされました。「Born in Time」と「God Knows (神のみぞ知る)」は前作で未収録となった曲のアレンジを変えての再録音。「2×2」は、1×1から始まって2、3、4・・・と数え歌のような構成で、エルトン・ジョンがピアノを担当しました。アル・クーパーがオルガンで登場する「Handy Dandy」は、まるで往年の名曲のパロディみたいに聞こえます。


Wiggle Wiggle
Under the Red Sky
Unbelievable
Born in Time
T.V. Talkin' Song
10,000 Men
2 × 2
God Knows
Handy Dandy
Cat's in the Well

Bob Dylan (vo, g, pf, accordion, harmonica)
Kenny Aronoff (ds), Don Was  (b), Randy Jackson (b)
Sweet Pea Atkinson, Sir Harry Bowens,  David Crosby,
Donald Ray Mitchell,  David Was (back.vo)
Rayse Biggs (tp), David McMurray (sax)
Paulinho Da Costa (perc)
George Harrison, David Lindley, Slash, Waddy Wachtel,
Robben Ford, Jimmie Vaughan, Stevie Ray Vaughan (g)
Bruce Hornsby, Elton John (pf)
Al Kooper, Jamie Muhoberac (org)

January, March ~ April, 1990

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年8月15日土曜日

Oh Mercy (1989)


1987年のグレイトフル・デッドやトム・ペティとのツアーで、新たに自分の音楽への向き合い方のヒントを掴んだボブ・ディランは、1988年6月7日から新たなツアーを開始しました。とにかくステージに立ち歌い続けることがもっとも自分らしいとディランが気がついたからで、特定のアルバムのプロモーションなどとは無関係に、その後現在に至るまで「Never Ending Tour」と呼ばれ継続することになります。

このステージでは、過去のヒット曲、最新曲だけでなく、トラディショナルや他人の曲のカバーも含まれ、特定のセットリストにこだわらず、日によって披露される曲も違えば、同じ曲でもアレンジを変えたりするのが特徴です。また、バンドも実にシンプルで、始まった頃は自分以外はG.E. スミス(g)、ケニー・アーロンソン(b)、クリストファー・パーカー(ds)の3人だけという、逆に自由度が高い編成にしたことも注目されます。

G.E.スミスは、ホール&オーツのリード・ギターを務めた後、テレビの公開バラエティ「Saturday Night Live」のバンド・リーダーをしていましたが、1990年までの初期の「Never Ending Tour」を支えたギタリストです。他の2人も実力派のミュージシャンで、タイトなロック・バンドがこの時期のディランを見事にサポートしました。

1988年は年末までの半年間で71回のライブを行い、1989年も5月から11月までの間にヨーロッパも含めて全99公演を行っています。ディラン自身は「Never Ending」と言われるのは嫌っていて、ただ旅する音楽家として巡業をしているだけと説明しています。

1989年の年明け頃のようですが、ディランの家にU2のボノが遊びに来ました。このあたりは、ディランの交友関係として興味深いところです。ディランはボノに新しい曲は作っているのかと尋ねられたので、最近書いた歌詞を見せると、感銘を受けたボノはすぐさまその場でダニエル・ラノアに電話をし二人の対面をセッティングしました。

ラノアは空気感の演出に定評があるプロデューサーで、その時にラノアが行っていた仕事を見学したディランは、彼に次のアルバムのプロデュースをまかせることにします。2月になると、ラノアはちゃんとしたスタジオではなく、ニューオリンズの住宅街の古い一軒家に機材を持ち込んで、ディランを迎え入れます。

このアルバムに用意された曲は、実は昨年ロン・ウッドらを起用したセッションで、ほぼ丸々収録されていたのですが、出来に納得できないディランはすべてボツにしていたのです(これらはまったく陽の目を見ていません)。即興的な緊張感を好むディランに対して、ラノアは試行錯誤をして緻密な音の構築にこだわるという正反対のような組み合わせは、レコーディングが始まって強い緊張感や衝突が生じました。

時にはディランは逃げ出したりもしたのですが、結局冷静に考えるとラノアの意見は悪くないと思い戻って来るということもあったようです。ディランとしてはかなりこだわって作った「Series of Dreams」は、アルバムの雰囲気に合わないとラノアに却下されましたが、1991年に「The Bootleg Series Vol.3」に収録されると大絶賛されシングル盤として発売されたりもしています。

他にも完成されたアウトテイクが数曲あり、いずれも2008年に発売された「The Bootleg Series Vol.8 Tell Tale Signs」にまとめられ、いずれも非の打ち所がない素晴らしい曲です。説明しにくいのですが、確かにアルバムの持つ雰囲気とは合致しないような気がします。ラノアの慧眼には感服すると同時に、ディランがこの時期に強い創作意欲を取り戻していたということが理解できます。

独特の重厚で精錬された雰囲気を作るため、起用されたミュージシャンはニューオリンズ現地で活躍する精鋭が選ばれ、ソロで目立ってしまう有名どころは参加していません。しかし、ラノアの目指した方向性は見事にアルバムとしての統一感を演出し、9月にリリースされると「ディラン復活」、「ディラン再生」などと評され、ディランはスランプから脱出したと高く評価されたのです。

タイトルの「Oh Mercy」は、「なんてこったい!」、「(神よ)どうかお慈悲を」といった意味で使われる感嘆の慣用句。ジャケットの絵は、ニューヨークでチャイニーズ・レストランの外壁に書かれていたのを偶然見つけたディランが気に入り、数か月かかって作者のトロッキーを探し出して使用許諾を得たというエピソードがあります。これらもアルバムの世界観とマッチして、評判を上げる要因になりました。

一曲目はアップテンポですが、アルバム全体のイメージをわかりやすく伝えるダークな曲です。政治が人々に与える影響を風刺する内容は、ディランの十八番と言えるかもしれません。次は一転して過ぎ去ったものに対するノスタルジックなバラード。「Ring Them Bells」はディラン独自の讃美歌みたいな曲で、救済が必要な人に向けて希望の鐘を鳴らすように呼び掛けています。

その後も再びダークな世界に戻ったり、見事なバラードが登場して、全10曲のバランスが見事で、プロデューサーとしてのラノアの力量が遺憾なく発揮されていると言えます。これで、やっとディランも長いトンネルから抜け出して、素晴らしい90年代を迎えられることでしょう・・・と言いたいところなんですが、まだしばらくはもやもやが続きます。


Political World
Where Teardrops Fall
Everything Is Broken
Ring Them Bells
Man in the Long Black Coat
Most of the Time
What Good Am I?
Disease of Conceit
What Was It You Wanted
Shooting Star

Bob Dylan (vo, g, pf, org)
Daniel Lanois (g), Mason Ruffner (g), Brian Stoltz (g)
Paul Synegal (g), Malcolm Burn (key, b), Tony Hall (b)
Larry Jolivet (b), Willie Green (ds), Cyril Neville (perc)
Daryl Johnson (perc), Alton Rubin, Jr. (scrub board)
Rockin' Dopsie (accordion), John Hart (sax)

March ~ April 1989, New Orleans

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年8月14日金曜日

Around DYLAN - Joni Mitchell


ボブ・ディランのことを、ポピュラー音楽界に変革をもたらし続け、今なお多くの音楽家に影響を及ぼし続ける偉大な人物である・・・と考えることは容易く、そして誰もがその意見に異を唱えることはありません。

しかし、公然とディランを否定した人物が一人います。それがジョニ・ミッチェルです。2010年にLAタイムスのインタヴューで「ボブは全く本物じゃない(not authentic)。彼は盗作野郎(plagiarist)だし、名前も声も偽物だ。ボブに関することは全て偽り(deception)だ。彼と私はまるで正反対だ」と話しています。

当然、この発言はいろいろと取り沙汰されることになるわけで、2013年にカナダ放送のインタビューでは、さらに「音楽的には彼はあまり才能がない。彼は声を昔のヒルビリー(hillbillies、田舎の人々に対する差別的な呼び名)から借りているし、彼はギターが上手いわけじゃない。歌を歌うためにキャラクターを作り出した」とまで発言しています。

ディランが、ある意味「労働者階級の星」であったウッディ・ガスリーの模倣から始まったことはおそらく事実ですし、自分から率先してギタープレイを聞かせることはありません。自らの内面をテーマに主観的な曲作りをするミッチェルと比べて、ディランはいろいろなものからヒントを得たり引用・流用したりすることは間違いありません。

確かにミッチェルは卓越したギター奏者であることは間違いなく、特に多彩なオープン・チューニングによる演奏は他の追随を許しません。とは言え、ディランもギター奏者としては一定水準以上のテクニックを持っていることはすでに証明されていると思います。

それぞれのファンからすれば、いろいろと思うところはあるのですが、少なくともミッチェルの発言によってディランの成し遂げてきた成果が否定されることはありませんでした。どこか感情論的な側面があり、少なくともミッチェルにとってプラスになる発言ではなかったように思います。

ジョニ・ミッチェルは1943年、カナダのアメリカとの国境のすぐ近くの町で生まれました。1965年に未婚のまま妊娠・出産するも、経済的な理由からこどもは養子に出してしまいます。これが、曲を作り歌う動機付けとなり、フォーク・シンガーとしてアメリカで自作曲を中心にしだいに知名度が上がっていきました。1968年にメジャー・デヴューしますが、その前から多くの曲が他のアーティストによってカバーされていました。

初期のフォーク期の名曲は多数ありますが、「サボテンの木」、「青春の光と影」、「サークル・ゲーム」などは日本でもヒットしました。特に「サークル・ゲーム」は1970年の映画「いちご白書」でバフィー・セント=マリーが歌ったものが挿入され、とても大きな話題となりました。

特に1971年の4枚目のアルバム「ブルー」は高い評価を得て、ミッチェルのアーティストとしての足場を固める作品となりました。以後は次第にバンド演奏が導入され、フォーク・ロックに変貌していった1975年、ボブ・ディランの「Rolling Thunder Revue」に参加することになりました。

その経緯がたいへんユニークです。ツアーが始まって2週間ほどした頃に、ミッチェルは飛び入りゲストとして登場したのですが、自由な和気あいあいとしたキャラバンを気に入り、そのままツアーバスに同乗して第1期終了まで参加してしまったのです。

この時は、ディランとミッチェルの関係は、互いに音楽的な敬意を払うようなものでしたが、ミッチェルはツアーの狂乱に流されまいと強く意識していたといいます。またディランとの関係を深めたかったミッチェルでしたが、ジョーン・バエズが間に割って入ることが多く不満を残す結果だったようです。

翌1976年にニュー・アルバムでジャズ・フュージョン系の多くのミュージシャンを登用して、ミッチェルは新しい領域を目指しました。特にこの時のジャコ・パストリアスとの出会いによって、ミッチェルは新たにジャズ期に突入し、話題作を連発することになりました。実は、この頃は自分はロックからジャズに好みが変わった頃なので、ミッチェルがジャズにしゃしゃり出てくるのは面白くなかった覚えがあります。

その後、順調にキャリアを重ねていくと思われましたが、1997年にかつて養子に出したこどもと再会したことで、音楽を創作していく意味を失ったミッチェルは急速に音楽活動を縮小していきます。そして2015年に脳出血で倒れてからは、ほぼ引退状態でしたが、2022年のニューポート・フォーク・フェスティバルにサプライズ出演したことは記憶に新しい話題です。

ディランとは音楽への向き合い方が対極にあったからこそ、ミッチェルから辛辣な言葉が生まれたのかもしれません。しかし、表現スタイルは大きく異なれど、二人がポピュラー音楽史に残した偉大な功績はこれからも色褪せることはありません。

2026年8月13日木曜日

レタス炒め


レタスというと、サラダで使う生で食べる野菜というイメージが強いと思います。

でも、火を通してもけっこう美味しい。

だって、炒飯とかに入っていたら旨いですよね。

そこで、簡単レタス炒めを作ります。

切って炒めるだけ。

油は使わず、代わりにマヨネーズをフライパンに適量落としましょう。

ちょっと溶けたら、今回は余り物のバラ肉を使いましたが、ソーセージでもハムでも、なんだったら何もなしでもOK。

肉に火が通ったら、ざく切りにしたレタスを入れてしんなりしたら、醤油をかけ回して完成です。

調理時間はわずか5分ほど。

温かいうちに召し上がれ。

2026年8月12日水曜日

Around DYLAN - The Beatles


ボブ・ディランとビートルズ。どちらも現代ポピュラー音楽界の巨星であり、打ち立ててきた金字塔はまったく揺るぎの無い物として、今後も受け継がれていくことは間違いありません。両者の間には、積極的なつながりは有るとも無いとも言えない、微妙な関係性が存在しています。

両者の初めての出会いは、1964年8月にビートルズの初めてのアメリカ公演の時に遡ります。フォーク一辺倒だったディランは、ビートルズの今までに聞いたことが無い斬新なバンド・サウンドに関心を寄せていました。ホテルを訪ねてビートルズの面々と対面したディランは、持参したマリファナをビートルズに紹介したというエピソードは有名です。ただ、ビートルズはハンブルグ時代からある程度は使ったことがあるらしく、ディランがドラッグ体験を初めて教えたというのは眉唾物だろうと思います。

1966年のディランのイギリス・ツアーの際には、ディランとジョン・レノンが同じ車内にいる映像が「Eat the Document」に残されています。泥酔(?)してハイになったディランの支離滅裂な言動に、ジョンがなだめすかしあきれる様子が見てとれます。ジョンはその後も少なからずディランの音楽を肯定し影響を受けていたことは間違いはありませんが、ゴスペル期には信じる神に仕えるよう強制するディラン(Gotta Serve Somebody)に対し、「自分に仕えろ」と自作曲(Serve Yourself)のなかで批判しました。この二人の天才は、友人というより曲作りのライバルとして緊張感が漂う関係だったと思います。

それに対して、ポール・マッカートニーはディランの作曲能力をしばしば絶賛しています。直接的な共演はありませんが(計画はあったらしい)、バックステージではしばしば交流しており、ポールはディランの人間性を褒める発言もしています。しかし、ディランが自作曲を原形がわからないほど作り変えてしまうことに対しては、エンターテインメントとしてファンを裏切る行為であると良くは思ってはいません。ここに、オリジナルを重視するポールと即興性を重んじるディランの対照的なライブ哲学の違いが見て取れます。

リンゴ・スターは、どうしてもビートルズの中で4番手に位置するわけで、味わい深い歌い方をしますがそれほど曲は多くないし、ドラマーとしても物凄い技巧派とも言えません。しかし、ディランはリンゴのドラム演奏は高く評価していて、1971年の「Concert for Bangladesh」以後、リンゴはディランのセッションに数回参加し、逆に未発表になっているリンゴのセッションにディランが参加したりもしています。

ディランが最も強い関係を築いたのはジョージ・ハリスンとでした。ジョンとポールばかりが目立ち発言力も強いグループ内で、ジョージ自身も優れた曲作りをしてきましたし、ミュージシャンとしての技術も二人以上のものを持っていました。しかし、しだいにジョンとポールの関係が険悪になり、グループ内の息苦しさが強くなり始め、「ホワイト・アルバム」完成後、ジョージは音楽に対する意欲を失いつつあったのです。

1968年にジョージはリフレッシュのためにアメリカに渡り、The Bandに招待されてウッドストックに向かいました。そこで隠遁生活を続けていたディランの自宅を訪問し、意気投合した二人は「I'd Have You Anytime」を共作し、ジョージは純粋に音楽を作ることの楽しさを思い出し、ディランとの間に強い友情が結ばれたのです。

「Concert for Bangladesh」の時、人前に出ることを怖れていた当時のディランを見事に復活させたのは、コンサートに来ないかもしれないディランをギリギリまで待ち続けたジョージとの友情の賜物です。もちろんお互いのセッションでの共演も度々実現していますが、最も成果が出ているのはスーパーグループ「Traveling Wilburys」の結成です。たまたま偶然が重なったこととはいえ、ジョージが始めたこのプロジェクトは、まだスランプを脱していなかったディランに再び自信を取り戻す大きなきっかけになりました。

1992年のディランのデヴュー30周年記念ライブ・イベントが開催された際も、ジョージはメイン・ゲストとして扱われ、二人にゆかりがある「If Not for You」などを熱唱しています。1980年にレノンが亡くなった時にディランは、「偉大で存在感がある人物だった」と追悼コメントを出していますが、2001年にジョージが亡くなった際には「彼は永遠に友人であり、彼がいない世界は寂しい」とかなり感傷的になっていました。

ディランとビートルズという両者の巨大な才能は、時に影響し合い、時に牽制し合うような複雑な関係性を生み出しました。それらはディラン史は言うに及ばずポピュラー音楽史における最もドラマチックなシナリオの一部をなしていて、ディラン、ビートルズ(ソロ活動も含めて)の生み出してきた音楽に少なからず関与してきたことは今もなお興味が尽きません。

2026年8月11日火曜日

Traveling Wilburys Vol.1 (1988)


1980年代に入って、ある意味「燃え尽き症候群」となり自分に対する自信を失いスランプに陥っていたボブ・ディランは、トム・ペティやグレイトフル・デッドとのステージを重ねるうちに、少しずつ回復のためのヒントを得ていました。それらのツアーがひと段落した、1988年春に、ディランは親友ジョージ・ハリスンからの連絡を受けます。

ハリスンは、1987年11月に5年ぶりにアルバム「Cloud Nine」をリリースし、久しぶりに大ヒットとなっていました。1988年4月にアルバムから3枚目のシングルを出すにあたって、B面用に新曲を作るように言われたハリスンは、アルバムのプロデュースをしたElectric Light Orchestraのリーダー、ジェフ・リンに相談します。急なことだったので、スタジオがおさえられなかったため、ハリスンはディランのホームスタジオを借りようと電話してきたのでした。

その時、リンはロイ・オービソンのアルバム制作に携わっていたので、ハリスン、リン、そしてオービソンがディランの家に集まりました。さらにハリスンはトム・ペティにギターを預けていたので、それを取りに行ってついでにペティも誘ったという、まさに偶然がここまで重なるものかという展開です。

早速、5人で曲を作り出来上がったのが「Handle with Care」でしたが、レコード会社はあまりに出来が良かったために、同じメンバーでアルバムを作ることを提案してきました。ハリスン、ペティ、リンはワーナー・ブラザース傘下のレコード会社だったので問題はなく、ディランのコロムビア、オービソンのヴァージン・レコードにはワーナーが話をつけたようです。

さて、すぐさま5月に再び集合した5人は、わずか10日間ほどの間に共同で次から次へと曲を作っていきます。バンド名は、ハリスンのレコーディング中に機材トラブルが起こったときに「We'll bury 'em in the mix (そんなのは消しちゃえ)」と言ったことに由来して「Traveling Wilburys」と決まりました。

ここからさらに大人の遊び心で、5人はウィルベリー家の異母兄弟という設定が生まれ、ネルソン(ハリスン)、オーティス(リン)、レフティ(オービソン)、ラッキー(ディラン)、チャーリー(ペティ)という偽名まで用意して覆面アーティストとしてデヴューという流れができました・・・なんですが、サングラスを使うくらいで、ほぼそのまま5人が写真に写ってメディアに露出するし、そもそもミュージック・ビデオまで作ってますから、すぐさま正体はバレバレです。

基本的に全員がボーカルとギターが専門ですが、リンがキーボード、ペティがベースを兼任し、メンバーと馴染みのあるジム・ケルトナーがドラムスを担当しました。ちなみにケルトナーは、バスター・サイドベリーという名前の親戚のおじさん(?)の設定です。10月にアルバムが発売されると大ヒットとなり、1990年のグラミー賞では最優秀ロック・パフォーマンス賞を受賞するほど評価されたのです。

しかしTraveling Wilburysの活動はこれからという時に、残念ながらオービソンが心筋梗塞により急逝(1988年12月6日)してしまったために、グループは活動を一時休止するしかなくなります。なお1990年2月に追悼コンサートが開かれ、ボニー・レイット、ジョン・フォガティ、エミルー・ハリスらと共にザ・バーズのオリジナル・メンバーであるロジャー・マッギン、クリス・ヒルマン、デヴィッド・クロスビーが登場し、またディランもサプライズで出演しました。

偶然から生まれたからこそ、ディランにとっては気心の知れた仲間と純粋に音楽を楽しむ時間となりました。このことが、スランプ脱出の大きな一因になったわけで、事前に計画されていたらむしろプレッシャーになっていたかもしれません。ハリスンが意識的にディランを救おうとしたわけではないとしても、結果として二人の、そしてメンバー全員の素晴らしい関係性が最高の結果を生み出したという事実には拍手を送りたいところです。


Handle with Care
Dirty World
Rattled
Last Night
Not Alone Any More
Congratulations
Heading for the Light
Margarita
Tweeter and the Monkey Man
End of the Line
Maxine (bonus track)
Like a Ship (bonus track)

Nelson Wilbury (George Harrison) (g, slide guitar, vo)
Otis Wilbury (Jeff Lynne) (g, b, key, ds, vo)
Charlie T. Wilbury Jr (Tom Petty) (g, vo)
Lefty Wilbury (Roy Orbison) (g, vo)
Lucky Wilbury (Bob Dylan) (g, harmonica, vo)

Buster Sidebury (Jim Keltner) (ds)
Jim Horn (sax), Ray Cooper (perc), Ian Wallace (tom-toms)

April, May 1988

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年8月10日月曜日

Dylan & the Dead (1987, release 1989)


自分の曲すらどのように歌えばいいのかわからなくなったボブ・ディランのスランプはかなり深刻で、後にこの時は本気で引退を考えたと自ら語るほどでした。そんな1986年の夏、トム・ペティとのツアーを続けていたディランの楽屋に、ジェリー・ガルシアらグレイトフル・デッドのメンバーが訪ねて来ました。

グレイトフル・デッドは、1967年のデヴュー以来、ルーツ志向のブルース、カントリー、フォーク、さらにはサイケデリックなどすべての要素を詰め込み、ライブでは即興性を重視した変幻自在のステージで人気を博していたバンドです。彼らは当初からディランを深く敬愛していて、ディランの曲もいくつもカバーしていました。楽屋で少しギターを鳴らして合わせてみると、ガルシアから一緒にツアーをしたいと申し出を受けます。

定型化したバンド・サウンドや決まりきったセットリストに限界を感じていたディランは、グレイトフル・デッドのその場の感覚で楽曲を自在に変化させる即興性の高さが、自分の楽曲を再生させることになるかもしれないと考え彼らの誘いに乗ることにしたのです。1987年の春にリハーサルが行われ、はじめは自信を失っていたディランも、驚くほど新旧の自分の楽曲を理解してサポートする彼らに支えられて少しずつ前向きになっていけたのです。

ツアーは7月4日フィラデルフィアからスタートし、アメリカ大陸を南西に横断して7月26日カリフォルニアで終了したもので、全6公演という短いものでしたが、ディランはこのツアーを通じて演奏の感覚を少し思い出したようです。特に彼らの自由で高い即興性のある演奏は大きな刺激になったことは間違いなく、一方のガルシアもディランとの演奏はスリルがあって手応えを感じたようです。

グレイトフル・デッドは自分たちのライブをすべてマルチトラックで録音していて、このツアーの音源も膨大なテープの中に埋もれていました。1988年になってコロムビア・レコードがこのジョイント・コンサートをアルバムとして残したいと申し出たことで、グレイトフル・デッド側が、ディランの意見を聞きながらベスト・テイクを選択する形で1年半後の1989年2月に発売されました。

アルバムには、「Highway 61 Revisited」から「Slow Train」までの新旧取り混ぜた比較的知られている7曲が、いろいろな場所での収録からピックアップされました。1曲目は「Slow Train」で、女性に代わってグレイトフル・デッドのコーラスによってゴスペル感は薄まりましたが、快調な滑り出しという感じがします。懐メロの域にある「I Want You」もけっして悪い演奏ではありません。

ただ、聞き進んでいくと、グレイトフル・デッドがディランのバックに徹しているせいなのか、この組み合わせで一番面白くなりそうな即興的な「荒れた演奏」がほとんどなく、とても聞きやすい演奏に終始するのです。ディランもグレイトフル・デッドのことも知らない人が、初めて聞くにはいいかもしれませんが、それぞれのファンからすると行儀が良過ぎて肩透かしを食らったような印象は避けられません。

これは、グレイトフル・デッド側が、自分たちのファン向けではなく、あくまでもディランのファン達を考えて聞きやすいものを中心にセレクトした結果ということなのかもしれません。発売後の評判は、メリハリがない退屈なアルバムという意見があり、全般的に低評価になっています。結局、この組み合わせの真価を知るには、またもや海賊盤の世話にならないといけないという残念な結果になってしまいました。

グレイトフル・デッドとのツアーが終わると、9月から再びトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとの中東・ヨーロッパツアーが行われました。約6週間で30公演を行ったのですが、特に10月5日のスイス・ロカルノでの公演で注目のエピソードが起こりました。ディランの言葉を借りると、「手足に電流が走り、ステージ上で新しい歌い方を会得した」というのです。何か新しい音楽へのアプローチの仕方を閃いたということだと思いますが、少なくともスランプ脱出の鍵を見つけたことは間違いないようです。


Slow Train
I Want You
Gotta Serve Somebody
Queen Jane Approximately
Joey
All Along the Watchtower
Knockin' on Heaven's Door

Bob Dylan (vo, g)
Jerry Garcia (g, vo), Mickey Hart (ds), Bill Kreutzmann (ds)
Phil Lesh (b), Brent Mydland (key), Bob Weir (g, vo)

July 4 ~ 26, 1987, Anaheim, Oakland, Sullivan, Autzen

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年8月9日日曜日

東京タワー

 

そもそも、テレビ放送のための電波塔として計画されたのが東京タワーの始まり。


どうせなら、パリのエッフェル塔の312mを超えるものを建てようということで、昭和32年6月に着工しました。完成したのは昭和33年12月23日というから、まさに突貫工事です。

関東平野全体に電波が届くことが目標だったので、そこから何やかんやと計算して333mになったとか。

日本の戦後復興・高度経済成長のシンボルとして、今なお芝公園に毅然とした姿を見ることができます。

昭和の人間からすれば、ある種の日本人としての誇りを感じ部分で、どこぞにもっと高い塔を建てようが、そんなものはただ作っただけで、存在意義からして比較対象にもならない。

こどもの時に連れてかれて、中間の展望台に行きました。

ところどころに床にガラス張りの小さな窓があって、下が筒抜けで見えるのが、超怖かった思い出があります。今はもっと大きなガラス張りの床があるらしいけど・・・

2013年5月31日をもって、放送塔としての役割はどこぞの塔に引き継がれましたが、今でもFM東京などで使われています。

2026年8月8日土曜日

Down in the Groove (1988)


「Knocked out Loaded」に続くスランプ期のスタジオ・アルバムがこれ。それにしても、この時期のアルバム・タイトルの付け方には、ボブ・ディランの苦悩を色濃く反映したものが続くのは、何とも気持ちが重たくなります。

そもそも「Empire Burlesque」は意味の取りようによっては「(今まで王者だった)自身のパロディ」になりますし、「Knocked out Loaded」は「ベロベロに酔ってまともに歩けない」という意味のスラングです。さらに今回の「Down in the Groove」は、「絶好調」という意味でも使いますが、ここでは「マンネリ状態に落ちる」と考えた方がよさそうです。

ジャケット・デザインも前作の「女性に壺で殴られそうな男」だったり、今回も「暗い場所で一人でギターを抱えるディラン(しかもピンボケ)」という具合で、寂しさはひとしおです。80年代後半の40代のディランは、絶対的な人気者が中年期になって「何を演じてもキムタク」と批判される状況に一脈通じるものがありそうです。

また、1987年1月にディランは何らかの事故にあって右腕を傷めたらしい。本人が明かしているので間違いはなさそうですが、ギターを弾けるかわからないほどのケガだったようですが、詳しくは語っていません。それも、先行きの大きな不安材料になっていたのかもしれません。

このアルバムは、1987年春を中心に収録されていますが、かなりバラバラのセッションから寄せ集められたものです。「Death Is Not the End」は「Infidels」セッションの残り物、「Had a Dream about You, Baby」は映画「Hearts of Fire」のサウンド・トラック用セッションから流用で、この2曲だけがディラン単独のオリジナル曲です。前作ほどではないにしても、曲ごとにバックのメンバーも変わるため、やはり統一感ではやや弱い。

「Ugliest Girl in the World」と「Silvio」の2曲は、ディランとグレイトフル・デッド専属の作詞家であるロバート・ハンターとの共作。残りの6曲は他人の曲のカバーとトラディショナルとなっていて、ディランが歌うとディランらしくなるのですが、やはり創作意欲が枯渇している状況が続いていることは明らかです。

「Death Is Not the End」はタイトルからして暗い雰囲気をたたえていますが、「どんなことがあったとしても、死は終わりではなく、その先に希望がある」という内容ですが、何しろメロディのメリハリが無く、お経みたいに聞こえる不思議な曲。一度お蔵入りになったのも頷けるのですが、女性コーラスなどを追加して多少華やかにしての復活となりました。

「Silvio」はディランらしいアップテンポのナンバーで、試練を乗り越えてタフに生きるシルヴィオが主人公の歌です。ディランは、昨年のトム・ペティとのツアー中にグレイトフル・デッドと知り合い、この年の7月に一緒にツアーを行うことになっていました。この打ち合わせやリハーサルの中で、ハンターと共作することで、創作意欲を呼び戻そうとしていたようです。

他の曲も一つ一つは悪いとは思いませんが、ディランのアルバムとしてのオリジナリティや必然性が少なく、まとまりに欠けるという批判は間違ってはいないような印象を受けます。それでも、「Empire Burlesque」からのスランプ三部作の中にも、少しずつスランプを脱するためのヒントが散見されました。ディランを深く理解していたトム・ペティやグレイトフル・デッドとのライブの中で、ヒントから正解を導き出し始めたことを思うと、ディランはライブあってのミュージシャンだと確信します。


Let's Stick Together
When Did You Leave Heaven?
Sally Sue Brown
Death Is Not the End
Had a Dream About You, Baby
Ugliest Girl in the World
Silvio
Ninety Miles an Hour (Down a Dead End Street)
Shenandoah
Rank Strangers to Me

Bob Dylan (vo, g, harmonica, key)
Mike Baird, Sly Dunbar, Myron Grombacher,
Steve Jordan, Stephen Shelton, Henry Spinetti (ds)
Eric Clapton, Steve Jones, Danny Kortchmar,
Mark Knopfler, Mick Taylor (g)
Alan Clark, Mitchell Froom, Beau Hill, Kevin Savigar (key)
Nathan East, Randy Jackson, Larry Klein, Robbie Shakespeare,
Kip Winger, Paul Simonon, Ronnie Wood (b)
Peggi Blu, Alexandra Brown, Carolyn Dennis, 
Clydie King, Full Force, Willie Green, Jr., Bobby King,
Madelyn Quebec, Pamela Quinlan (back.vo)
Jerry Garcia, Bob Weir, Brent Mydland (add.vo)

April 1983,  August 1986,  April ~ May 1987

☆☆☆☆☆・・・・・

2026年8月7日金曜日

Knocked Out Loaded (1986)


周囲の思惑など気にせず、自分がこうと思ったらどんなことでもやってきたボブ・ディランですから、交通事故も離婚騒動も、そして改宗すらも創作のエネルギーに変えて20数年を突っ走ってきたといえます。しかし、ユダヤ教からキリスト教、キリスト教からユダヤ教への復帰を経て、80年代半ばからしだいに自分に対する自信が揺らいできたのかもしれません。

ディラン自身も語っていることですが、過去の自分を超えられないという気持ちがしだいに強く感じられるようになったようです。また、あえて現代風の曲調を取り入れたりしても、売り上げが思ったほど伸びず、評論家からもケチを付けられる始末です。いわゆる燃え尽き症候群と言って良い状態に陥ったディランは、実質的に全盛期を過ぎたと自覚し、まさに音楽的にスランプに陥っていました。

とは言え、悪いことばかりではなく、プライベートでは1986年1月に女の子が生まれています。母親は、ずっとバックコーラスを担当していたキャロリン・デニス。娘の健全な成長を願って、6月に二人は正式に結婚していますが(1992年に離婚)、家族のプライバシーを守るために、これらのことは公にされていませんでした。ただし、2001年になってジャーナリストのハワード・サウンズが、ディランの半生をまとめるために公的文書の精査をしていて発覚してしまいました。

1986年のほぼ半分は、トム・ペティと彼のバンドであるハートブレイカーズと共に世界ツアーを行いました。両者は前年の「Farm Aid」で急遽共演したのですが、ディランの音楽ルーツを理解していたペティとの相性が良かったことでディラン側からオファーされたものでした。2月のオーストラリア、ニュージーランド、3月には日本、6~8月は北米をまわり、約60公演をこなしています。

マイク・キャンベル(g)やベノン・テンチ(key)らハートブレイカーズの演奏力が高く、すでに人気者だったトム・ペティのディランに対する確かなリスペクトもあって、概してこのツアーは好評でした。ただし、過去のアリーナ・ツアーを踏襲するようなステージは、少なくとも新しさはありません。この時のライブは「Hard to Handle」というタイトルでシドニー公演のビデオが発売され、その後DVD化もされています。

日本公演が終わって帰国したディランは、4月にニューアルバムの制作に取り掛かりました。トム・ペティとの共演を盛り込めば良かったのかもしれませんが、新しいインスピレーションが湧いてこないディランは、他人のカバーを3曲、他人とのコラボレーションを3曲をニューアルバムに収録し、自身によるオリジナル曲は2曲だけにとどまっています。

オリジナル曲の一つ「Drifting Too Far from Shore」は「Empire Burlesque」のセッションの残り物で、正確にはわかりにくいのですが、他にも過去のセッションで部分的に録音されていたソースにオーバーダビングをして作り上げているようです。そのせいで、一般には一貫性が感じられないと低い評価ばかりが目立つアルバムと言われています。個人的には、前作の取って付けたようなモダンな味わいが減っているので、まぁ、普通に聞けるという印象です。

7月にアルバムがリリースされると、そんな中で、サム・シェパードとの共作とクレジットされている「Brownsville Girl」だけは、高く評価されました。11分を超える大作ですが、実はこれも「Empire Burlesque」のセッションの残り物で、もともとは「New Danville Girl」というタイトルでした。ウディ・ガスリーが「ダンビルの娘に夢中になった」と歌ったことがヒントになっていて、昔の恋人に現在の恋人のことを、グレゴリー・ペックの西部劇のことを絡めて語り掛けるというもの。

8月に北米ツアーが終了すると、ディランは映画「Hearts of Fire」の音楽制作を始めるのですが、8月末に行われたセッションにはエリック・クラプトン(g)とロン・ウッド(b)も参加し、サウンド・トラックにはカバー1曲とオリジナル2曲が含まれました。この映画は、「STAR WARS / ジェダイの帰還」のリチャード・マーカンドが監督し、ロックスターになることを夢見る女の子にフィオナ・フラナガンが扮し、それを助けるロック・スターが・・・何とボブ・ディランという配役で、はっきり言って興行的には爆死です。


You Wanna Ramble
They Killed Him
Driftin' Too Far from Shore
Precious Memories
Maybe Someday
Brownsville Girl
Got My Mind Made Up
Under Your Spell

Bob Dylan (vo, g, key)
Clem Burke, Anton Fig, Mike Berment, Milton Gabriel, Don Heffington,
Bryan Parris, Stan Lynch, Raymond Lee Pounds (ds)
T Bone Burnett, Tom Petty, Ira Ingber, Mike Campbell,
Jack Sherman, David A. Stewart, Ronnie Wood (g)
Steve Douglas (sax), Steve Madaio (tp)
Howie Epstein, James Jamerson, Jr., John McKenzie,
Vito Sanfilippo, Carl Sealove (Brownsville Girl), Jon Paris (b)
Phil Jones (congas), Al Kooper, Vince Melamed,
Patrick Seymour, Benmont Tench (key)
Al Perkins (steel guitar)
Carolyn Dennis, Peggi Blu, Lara Firestone, Keysha Gwin, Muffy Hendrix,
April Hendrix-Haberlan, Dewey B. Jones II, Larry Mayhand,
Queen Esther Marrow, Angel Newell, Larry Meyers, Herbert Newell,
Crystal Pounds, Madelyn Quebec, Pamela Quinlan, Daina Smith,
Maia Smith, Medena Smith, Annette May Thomas, Damien Turnbough,
Majason Bracey, Chyna Wright, Elesecia Wright, Tiffany Wright (Back.vo)

☆☆☆☆☆・・・・・

2026年8月6日木曜日

豆腐ハンバーグ


いやいや、そんなにカロリー気にしてどうすんの・・・

という声は、しっかり受け止めつつも、右から左へ聞き流して、今回は豆腐のハンバーグです。

とは言っても、豆腐だけではとても形にならないので、肉も使います。

用意したのは、よくスーパーで売っている小さな3個まとめ売りの木綿豆腐。3個で400gくらいになると思いますが、これに牛豚合い挽き肉150g、鶏むね挽き肉150gくらいを使いました。

ポイントは豆腐は水をたくさん含んでいるので、1時間以上皿に放置して、しみ出てきた水を取り除くこと。場合によっては上に別の皿を乗せても良いかと思います。

全部をよく混ぜて、みじん切りにしたたまねぎ1/2個分、生卵1個をつなぎに使います。塩・胡椒、ナツメグ少々で味付け。いつもと同じです。

つなぎにパン粉を追加することもありますが、当然カロリー・オフ!!

あとは普通に焼きます。そして食べる。普通に旨い。

全部合挽とかで作るより、確実にカロリーは少な目ですから、罪悪感も少な目で満足です。

2026年8月5日水曜日

Biograph (1985)


1985年は、ボブ・ディランにとってチャリティ活動が際立った一年でした。1月にはUSA for Africaのチャリティ曲「We Are the World」に参加、7月にはアフリカ難民救済のための世界規模の「Live Aid」に出演しました。ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドが共演しましたが、かなりトラブル続出の混乱したステージでした。

「Live Aid」でディランが「経営が苦しい農家がある」と発言したことがきっかけで、9月には「Farm Aid」が開催され、ディランは翌年一緒にツアーを行うトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと初共演しました。そして、10月には南アフリカのアパルトヘイトに抗議する「Sun City」にも参加しています。

ツアーこそ行わなかった年ですが、6月には新作「Empire Burlesque」を発表し、さらに11月には、ディランの1962年から1981年までの20年間を総括するコンピレーションが発売されました。タイトルは「Biograph (伝記)」です。アメリカ本国では、ディランのコンピレーション・アルバムが発売されるのは、1967年の「Greatest Hits Vol.1」、1971年の「Greatest Hits Vol.2」以来、14年ぶりのことです。

発売形態はLPレコード5枚組およびCD3枚組(カセットテープ3本組も発売されています)で、レコード大のボックスに収納されていました。全53曲という大ボリュームでしたが、比較的売れ行きは好調で、その後も多少の形態を変えてリマスター版が数回再登場しています。

ディランの場合、まったく珍しくないのは、53曲中3曲はアルバム未収録のシングル盤のみで発表されたもので、さらに何とこれまでに未発表だったものが18曲含まれていました。ディランは後に「もっと早くリリースしたかった」と語ったため、自ら発売したがっていたという説もありますが、実際はコロムビア・レコード側がクリスマス商戦に向けて売れるものを作りたかったというところではないでしょうか。

現在では「The Bootleg Series」や他のコンピレーションにも収録されたりしているので、「previously unreleased」という有難味はほとんど無くなっていますが、当時は驚きを持って迎えられ、ディランは正規のアルバムからもれた隠れた名曲が大変多いことを知らしめるに十分な効果がありました。

このアルバムの商業的成功は、後に「The Bootleg Series」を展開することになるきっかけになったわけで、この手のボックスセットの先駆的名盤という評価をすることができます。

Lay Lady Lay ~ Nashville Skyline
Baby, Let Me Follow You Down ~ Bob Dylan
If Not for You ~ New Morning
I'll Be Your Baby Tonight ~ John Wesley Harding
I'll Keep It with Mine* ~ Bringing It All Back Home outtake
The Times They Are a-Changin' ~ The Times They Are A-Changin'
Blowin' in the Wind ~ The Freewheelin'
Masters of War ~ The Freewheelin'
The Lonesome Death of Hattie Carroll ~ The Times They Are A-Changin'
Percy's Song* ~ The Times They Are A-Changin' outtake
Mixed-Up Confusion ~ A-side single
Tombstone Blues ~ Highway 61 Revisited
The Groom's Still Waiting at the Altar ~ Shot of Love
Most Likely You Go Your Way ~ Before the Flood
Like a Rolling Stone ~ Highway 61 Revisited
Lay Down Your Weary Tune* ~ The Times They Are A-Changin' outtake
Subterranean Homesick Blues ~ Bringing It All Back Home
I Don't Believe You ~ Live at the ABC Theatre Belfast, 1966

Visions of Johanna* ~ Live at The Royal Albert Hall, 1966
Every Grain of Sand ~ Shot of Love
Quinn the Eskimo (The Mighty Quinn)* ~ The Basement Tapes track, 1967
Mr. Tambourine Man ~ Bringing It All Back Home
Dear Landlord ~ John Wesley Harding
It Ain't Me, Babe ~ Another Side of Bob Dylan
You Angel You ~ Planet Waves
Million Dollar Bash ~ The Basement Tapes
To Ramona ~ Another Side of Bob Dylan
You're a Big Girl Now* ~ Blood on the Tracks outtake
Abandoned Love* ~ Desire outtake
Tangled Up in Blue ~ Blood on the Tracks
It's All Over Now, Baby Blue* ~ Live at the Free Trade Hall Manchester, 1966
Can You Please Crawl Out Your Window? ~ A-side single
Positively 4th Street ~ A-side single
Isis* ~ Live at the Montreal Forum, 1975
Jet Pilot* ~ Blonde on Blonde outtake

Caribbean Wind* ~Shot of Love outtake
Up to Me* ~ Blood on the Tracks outtake
Baby, I'm in the Mood for You* ~The Freewheelin' outtake
I Wanna Be Your Lover* ~Blonde on Blonde outtake
I Want You ~Blonde on Blonde
Heart of Mine* ~Live in New Orleans, 1981
On a Night Like This ~ Planet Waves
Just Like a Woman ~ Blonde on Blonde
Romance in Durango* ~ Live at the Montreal Forum, 1975
Senor (Tales of Yankee Power) ~ Street-Legal
Gotta Serve Somebody ~ Slow Train Coming
I Believe in You ~ Slow Train Coming
Time Passes Slowly ~ New Morning
I Shall Be Released ~ Greatest Hits Vol.2
Knockin' on Heaven's Door ~ Pat Garrett & Billy the Kid
All Along the Watchtower ~ Before the Flood
Solid Rock ~ Saved
Forever Young* ~ recording demo

*previously unreleased

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年8月4日火曜日

Empire Burlesque (1985)


1980年代半ばは、MTVを中心に洗練されたスマートなシティ・ポップ全盛の頃です。マドンナがデヴューし、a-haやWham!のようなボーカル・グループが人気を博し、ロック・バンドも壮大な雰囲気を持つメロディアスな曲でヒットを飛ばしました。コンピュータ音楽の統一規格であるMIDIが整備されたことで、演奏にもシンセサイザーが多用され、メリハリのあるダンサブルなリズムが目立ち、今で言う「打ち込み」の原点がスタートしていたと言えます。

ボブ・ディランですら、これらの潮流を軽視することはできず、レコードを売るために時代の流れに迎合することを良しと考えたことは、古くからのディラン・ファンには意外なことだったはずです。どちらかと言うと骨太な音楽を作り続けてきたディランにとって、アルバム「エンパイア・バーレスク」は確実に問題作でした。

曲自体は1984年のツアー中から作り始め、ツアー中にも時々試しに披露し、一部のレコーディング・セッションも行われました。最終的には、1985年の2~3月のセッションでとりまとめられましたが、基本的なプロデュースはディラン自身が行い、ミキシングはアーサー・ベイカーに任されました。DJの仕事も兼ねるアーサー・ベイカーは、多くの有名アーティストのリミックスを手掛けたヒット曲請負人の人気プロデューサーです。

いつものように録音されたディランの曲は、ベイカーの手によって多くの装飾が加えられ、まさに当時人気のダンス・ナンバーのように仕上げられていきました。ディランのすでに20年を超えるキャリアの中で、間違いなく異彩を放つ、異色な、らしくない、最も現代的な・・・いくらでも言葉を並べられそうな作品になっています。

当然のことのように、6月にアルバムが発売されると皮肉を込めた否定的な評判ばかりとなり、流行に乗ったディランを残念に思う人が続出しました。ディラン自身も、レコードを売り物として最終的に仕上げることに関しては無関心だったようですが、後年時代に流されたことを認める発言をしています。

現在は、ディランのコレクションの貴重な珍しい作品としての価値が認められたり、曲自体は良い物が揃っているという肯定的な評価もされています。それというのも(以前から海賊盤は出回っていましたが)、2021年に「The Bootleg Series Vol.16 Springtime in New York」が発売され、このアルバムのベイカーの手が入る前のラフ・ミックスが公開されたことが大きいと言えます。

もしも、ベイカー抜きで作られていたら・・・たらればの話をしてもあまり意味はありませんが、少なくとも「Infidels」の延長上にあるいつものディラン作品として、マンネリという評価もありますが素直に受け入れられたかもしれません。いずれにせよ、両ミックスを聞くことが必要ということには変わりありません。

そんなことを念頭に置いて、アルバムの中身を見てみます。タイトルは「帝国の茶番劇」という辛辣なもので、おそらく当時のアメリカの社会全般や音楽界に対するディランの気持ちが根底にありそうです。もっとも、「自分自身のパロディ」という自虐的な意味合いも含まれている、という見方もできたりします。バックを固めるメンバーは、曲ごとにかなり変わっています。

1曲目の「Tight Connection」は、前作のアウトテイクの改作で、シングルにもなりました。MVは何と日本で撮影され、倍賞美津子が出演しています。軽いレゲエ調のキャッチーな曲ですが、打ち込みのドラムと繰り返されるギターの単音が強調され、よりポップな仕上がりになりました。

2曲目も元はギターのリフが強調されたストレートなロックだったのが、ギターの代わりにホーンが取って代わりソウルフルなダンス・ナンバーに改変されています。3曲目は屈指の名バラードでディランの弾くピアノから次第にバンドが加わりますが、さすがにこれはあまり変更されていません。

次はホンキートンク調のロックンロールですが、ボーカルとコーラスが強調され、ギターにロン・ウッドが加わったバンドが遠のいてしまいました。7曲目はオルガンメインからピアノメインに変更。8曲目はダンサブルなナンバーですが、もとはハード・ロックです。ラストはディラン真骨頂の弾き語りで、すこぶる評判の良い曲ですが、淡々と繰り返される同じメロディに難解な歌詞がのせられています。


Tight Connection to My Heart (Has Anybody Seen My Love)
Seeing the Real You at Last
I'll Remember You
Clean Cut Kid
Never Gonna Be the Same Again
Trust Yourself
Emotionally Yours
When the Night Comes Falling from the Sky
Something's Burning, Baby
Dark Eyes

Bob Dylan (vo, g, ke, pf, harmonica)
Ted Perlman (g), Mick Taylor (g), Mike Campbell (g)
Ronnie Wood (g), Sid McGinnis (g), Ira Ingber (g)
Chops (horns), Alan Clark (key), Vince Melamed (key)
Sly Dunbar (ds), Don Heffington (ds), Jim Keltner (ds)
Anton Fig (ds), Robbie Shakespeare (b), Bob Glaub (b)
Howie Epstein (b), Jon Paris (b)
Bashiri Johnson (perc), Stuart Kimball (g), Al Kooper (g)
Richard Scher (key), Benmont Tench (key), Urban Blight (horns)
David Watson (sax), Madelyn Quebec (vo)
Carolyn Dennis, Peggi Blu, Debra Byrd, Queen Esther Marrow (back.vo)

July 26, 1984, December 1984 ~ March 1985, NYC

☆☆☆☆・・・・・・

2026年8月3日月曜日

みょうがサラダ (砂肝)


みょうがは、今が旬です。

とは言え、みょうがは植え付ける時期をずらして、6~8月に収穫する夏みょうがと9~10月に収穫する秋みょうがに分けられます。

秋の方が肉厚で香りや旨味が強いといわれていますが、夏みょうがはすっきりした味わいなので、生のまま食べるのには向いています。

みょうがは癖が強い野菜ですから、苦手な人が多い。自分もその一人でした。

でも、今、食べられるようになっておかないと、またずっと苦手意識を引きずることになってしまいます。

今回は、みょうがの量を増やして、一緒に合わせたのはきゅうりだけ。

きゅうり1本に対してみょうがは4個使いました。

みょうがはうすくスライスしたら、水にさらしてあく抜きをします。

一緒に食べるメインは砂肝です。こちらも一塊を3~4つの薄めに切ったら、塩茹でします。

水で洗って、粗熱がとれたら皿に盛って、みょうがときゅうりをのせたら出来上がり。

味はポン酢だけ。さっとかけ回したらOK。

シャキシャキ、コリコリ、シャキシャキ、コリコリ・・・

食感も楽しく美味しく食べました。

2026年8月2日日曜日

Real Live (1984)


今では当たり前になったアーティストのプロモーション・ビデオ。歴史的な第1作となったのは、ボブ・ディランの1965年の「Subterranean Homesick Blues」だと言われていますが、特定の人だけが鑑賞する劇場用ドキュメンタリー映画の一部でした。

70年代半ばには家庭用ビデオ再生機器が普及しはじめ、1975年のQueenの「Bohemian Rhapsody」のビデオの成功で、急速に業界に広まり始めます。1981年に開局したアメリカのケーブル・テレビ局のMTVは、アーティストの動画を24時間流すことで音楽を視覚的に伝える重要性を定着させました。マイケル・ジャクソンは、ただ演奏し歌うだけでなく、映画並みのストーリー性を盛り込むことに成功したと言えます。

ディランも「Infidels」からシングル・カットされた「Sweetheart Like You」で、ついにMTVを意識したミュージック・ビデオ制作を行いました。ちなみにミック・テイラーは都合がつかず、ビデオでギター演奏を披露したのはバンド・デヴューを控えたカーラ・オルソンです。デヴュー・アルバムには、ディランから自身は未発表の楽曲が贈られました。

キリスト教福音派から次第に距離を取るようになったボブ・ディランは、再び宗教から離れた曲作りに戻り、ごく普通のファンからすれば「おかえり、ボブ」と歓迎したことは間違いありません。1984年はパンク・バンドのThe Plugzをバックに従えてセッションを繰り返し、3月には同メンバーでテレビ・ショーに出演し、荒々しくアグレッシブな演奏を披露しました。

5月になると久しぶりのヨーロッパ・アリーナ・ツアーに向けてリハーサルを開始しますが、バックバンドはがらりと入れ替えて、ギターにミック・テイラー、キーボードにイアン・マクレガン、ベースにグレッグ・サットン、そしてドラムにはコリン・アレンという手堅い布陣を編成します。

このツアーはカルロス・サンタナとのジョイント・ツアーで、5月末のイタリアから始まり、西ドイツ、オランダ、ベルギー、スウェーデン、デンマーク、フランス、スペイン、イギリス、そして7月8日のアイルランドまで全27公演という大規模なものになりました。ツアー中は、しばしばサンタナがディランのステージにも登場しています。また、日によってはジョーン・バエズ、ヴァン・モリソン、エリック・クラプトン、ボノらがゲスト出演する豪華なステージは大好評でした。

1984年11月に発売された武道館公演以来のライブ・アルバムは、ツアーの終盤、イギリスとアイルランドのステージからセレクトされ、「Infidels」からの新曲と過去のヒット曲を重厚なハード・ロック・バンド演奏とディランの弾き語りのパートで構成されています。ただし、サンタナの演奏はほんの少しで、その他のゲストの演奏は含まれていません。

この時期のディランの激しさがしっかりと記録され、「It Ain't Me, Babe」での観客との一体感は素晴らしい。また、アコースティックで演奏される名曲「Tangled up in Blue」は、内容が大きく改変されました。原曲では、基本的に男性視点で、男女の出会いから失われていく愛を思い出していく内容でしたが、ライブ版では男女両者の視点を交互に入れ替えて、冷めたリアルな孤独を歌い上げ高く評価されています。

しばしば自作曲のメロディや歌詞を大きく変えてしまうことは、ディランにとって珍しくはありませんが、この曲の場合はその中でも優れたものと言われています。ただし、全10曲でこじんまりとまとまっているため、ライブとしての熱気が伝わりにくくアルバムとして発売する意味合いが弱いところが残念です。

ゲストが参加していない公演でもいいので、ライブの最初から最後までの一連の流れがわかるようなものが発売されれば、アルバムとしての評価は上がると思います。ただし、すでに海賊盤があったりするので、結局公式のもたつきが海賊盤をのさばらせる最大の原因といわざるをえないということです。


Highway 61 Revisited
Maggie's Farm
I and I
License to Kill
It Ain't Me, Babe
Tangled Up in Blue
Masters of War
Ballad of a Thin Man
Girl from the North Country
Tombstone Blues*

Bob Dylan (vo, g, harmonica, key)
Colin Allen (ds), Ian McLagan (key), Gregg Sutton (b)
Mick Taylor (g), *Carlos Santana (g)

July 7, 1984 Wembley Stadium
July 5, 1984 St James' Park, Newcastle
July 8, 1984 Slane Castle, Ireland

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年8月1日土曜日

Infidels (1983)


ボブ・ディランがユダヤ教から改宗したキリスト教は福音派と呼ばれるプロテスタントの一派ですが、自分たちの信仰を唯一絶対の真理とし強力な布教活動を行うようです。1978年の終わりから福音派教会に通い始めたディランは、まさにその教えに従ってライブでも過激な説教を行うようになりました。

しかし、ユダヤ人家庭に生まれ育った自分のルーツ、信仰を前面に出した活動が社会的に受け入れられない現実、そして排他的な福音派の考え方にも疑問を抱くようになっていきます。

そんな中で1982年は、ディランにとっては静かな充電期間として、目立った活動はほとんどありませんでした。唯一、公の場に登場したのは6月の「Peace Sunday Rally」という反核イベントで、ジョーン・バエズのステージにゲストとしてサプライズ登場し、3曲をデュエットしています。

再始動するのは1983年になってからで、4月からニュー・アルバムに向けてリハーサル、およびレコーディングを行いました。即興性を重視する傾向が強かったディランとしては異例なことに、今回は最初から1か月間の予定を立てて、緻密に作り込むことを考えていました。

「Slow Train Coming」で共演したマーク・ノップラーを再び呼び寄せ、ギター演奏だけでなくプロデュースも依頼しました。さらに元ローリング・ストーンズのギタリスト、ミック・テイラー、ジャマイカの人気レゲエ・ユニットであるスライ&ロビー(スライ・ダンバー、ロビー・シェイクスピア)も参加し、キーボードにはダイアー・ストレイツのアラン・クラークが加わっています。

冒頭の「Jokerman」で、いきなり権力者たちを道化師に例えて風刺したのは、まさにディランの面目躍如というところ。スライ&ロビーが加わったマイルドなレゲエ調が新鮮で、内容の雰囲気を伝えやすくしています。2曲目はシングル・カットもされたラブ・ソング。3曲目は一転して、かわいらしいタイトル(近所のいじめっ子)ですが、イスラエルを支持する内容でユダヤ教に戻ったことが明らかになります。

スパイ映画のような「殺しのライセンス」は、人類が自ら破滅に向かうことへの警告。その後も、一部キリスト教からヒントを得た部分もありながら、社会の構図、人間関係などを昔ながらの難解な歌詞の中に詰め込み、ラストで再び「今夜は自分を見捨てないでくれ」とラブソングで締めくくっています。

全体的に都会的センスの光るギターと、鋭く切れ込んでくるテイラーのギターのバランスが絶妙で、アルバム全体のハード・ロック感を牽引しています。ボーカルはややエコーがかかりすぎのような印象ですが、少なくとも以前のようなディランの元気な歌声は嬉しくなります。

9月になって、ディランは長男を連れてイスラエルを訪問しています。これは13歳になった長男の成人式(バー・ミツヴァ)を行うためで、自身も嘆きの壁で祈りを捧げていました。完全にキリスト教から脱却し、ユダヤ教に戻ったことが公に示された形になりました。

アルバムは11月に、ディランにとって初めてレコード盤とCDの両方が発売されました。技術的な革新や、世相の変遷は好むと好まざるに関わらずディランのような人物でも少なからず変化を余儀なくされるのでした。

「The Bootleg Series Vol.16 Springtime in New York」には、今回のアルバムのレコーディング・セッションのアウトテイクがCD2枚分含まれていて、なんでアルバムから外れたのか不思議なくらい良い演奏が含まれています。これはディランにはよくあることで、聴く人泣かせな部分です。ところが、海賊盤でもこのアルバムの未発表セッションが出回っていて、こちらは何とCD6枚で、セッションの全貌がわかるから驚きです。もちろん、同じ曲のテイク違いはたくさんありますが、「The Bootleg Series」からもれたものもあり、やはり公式の力不足は否定できません。


Jokerman
Sweetheart Like You
Neighborhood Bully
License to Kill
Man of Peace
Union Sundown*
I and I
Don't Fall Apart on Me Tonight

Bob Dylan (vo, g, harmonica, key)
Alan Clark (key), Sly Dunbar (ds), Robbie Shakespeare (b)
Mark Knopfler (g), Mick Taylor (g), Benmont Tench (key)
*Clydie King (vo)

April ~ May, 1983, NYC

☆☆☆☆☆☆☆☆・・