ボブ・ディランとビートルズ。どちらも現代ポピュラー音楽界の巨星であり、打ち立ててきた金字塔はまったく揺るぎの無い物として、今後も受け継がれていくことは間違いありません。両者の間には、積極的なつながりは有るとも無いとも言えない、微妙な関係性が存在しています。
両者の初めての出会いは、1964年8月にビートルズの初めてのアメリカ公演の時に遡ります。フォーク一辺倒だったディランは、ビートルズの今までに聞いたことが無い斬新なバンド・サウンドを注目していました。ホテルを訪ねてビートルズの面々と対面したディランは、持参したマリファナをビートルズに紹介したというエピソードは有名です。ただ、ビートルズはハンブルグ時代からある程度は使ったことがあるらしく、ディランがドラッグ体験を初めて教えたというのは眉唾物だろうと思います。
1966年のディランのイギリス・ツアーの際には、ディランとジョン・レノンが同じ車内にいる映像が「Eat the Document」に残されています。泥酔(?)してハイになったディランの支離滅裂な言動に、ジョンがなだめすかしあきれる様子が見てとれます。ジョンはその後も少なからずディランの音楽を肯定し影響を受けていたことは間違いはありませんが、ゴスペル期には信じる神に仕えるよう強制するディラン(Gotta Serve Somebody)に対し、「自分に仕えろ」と自作曲(Serve Yourself)のなかで批判しました。この二人の天才は、友人というより曲作りのライバルとして緊張感が漂う関係だったと思います。
それに対して、ポール・マッカートニーはディランの作曲能力をしばしば絶賛しています。直接的な共演はありませんが(計画はあったらしい)、バックステージではしばしば交流しており、ポールはディランの人間性を褒める発言もしています。しかし、ディランが自作曲を原形がわからないほど作り変えてしまうことに対しては、エンターテインメントとしてファンを裏切る行為であると良くは思ってはいません。ここに、オリジナルを重視するポールと即興性を重んじるディランの対照的なライブ哲学の違いが見て取れます。
リンゴ・スターは、どうしてもビートルズの中で4番手に位置するわけで、味わい深い歌い方をしますがそれほど曲は多くないし、ドラマーとしても物凄い技巧派とも言えません。しかし、ディランはリンゴのドラム演奏は高く買っていて、1971年の「Concert for Bangladesh」以後、リンゴはディランのセッションに数回参加し、逆に未発表になっているリンゴのセッションにディランが参加したりもしています。
ディランが最も強い関係を築いたのはジョージ・ハリスンとでした。ジョンとポールばかりが目立ち発言力も強いグループ内で、ジョージ自身も優れた曲作りをしてきましたし、ミュージシャンとしての技術も二人以上のものを持っていました。しかし、しだいにジョンとポールの関係が険悪になり、グループ内の息苦しさが強くなり始め、「ホワイト・アルバム」完成後、ジョージは音楽に対する意欲を失いつつあったのです。
1968年にジョージはリフレッシュのためにアメリカに渡り、The Bandに招待されてウッドストックに向かいました。そこで隠遁生活を続けていたディランの自宅を訪問し、意気投合した二人は「I'd Have You Anytime」を共作し、ジョージは純粋に音楽を作ることの楽しさを思い出し、ディランとの間に強い友情が結ばれたのです。
「Concert for Bangladesh」の時、人前に出ることを怖れていた当時のディランを見事に復活させたのは、コンサートに来ないかもしれないディランをギリギリまで待ち続けたジョージとの友情の賜物です。もちろんお互いのセッションでの共演も度々実現していますが、最も成果が出ているのはスーパーグループ「Traveling Wilburys」の結成です。たまたま偶然が重なったこととはいえ、ジョージが始めたこのプロジェクトは、まだスランプを脱していなかったディランに再び自信を取り戻す大きなきっかけになりました。
1992年のディランのデヴュー30周年記念ライブ・イベントが開催された際も、ジョージはメイン・ゲストとして扱われ、二人にゆかりがある「If Not for You」などを熱唱しています。1980年にレノンが亡くなった時にディランは、「偉大で存在感がある人物だった」と追悼コメントを出していますが、2001年にジョージが亡くなった際には「彼は永遠に友人であり、彼がいない世界は寂しい」とかなり感傷的になっていました。
ディランとビートルズという両者の巨大な才能は、時に影響し合い、時に牽制し合うような複雑な関係性を生み出しました。それらはディラン史は言うに及ばずポピュラー音楽史における最もドラマチックなシナリオの一部をなしていて、ディラン、ビートルズ(ソロ活動も含めて)の生み出してきた音楽に少なからず関与してきたことは今もなお興味が尽きません。
