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2017年10月24日火曜日

古事記(3) 欲相見其妹伊邪那美命、追往黃泉國


これは、「愛しいイザナミ逢いたくてしょうがないイザナキは黄泉国(よもつくに)へ追いかけて行きました」ということ。

よほど愛していたんでしょうね。とは言え、死んだ者は還らないはずなのに、死者の国に行けば再会できるというところがファンタジー。

黄泉の国で、閉ざされた入り口の向こうにイザナキが声をかけると、イザナミから「黄泉戸喫(よもつへぐい)を済ませた、つまりもうこっちの食事をしちゃったので無理」とつれない返答。「とりあえず、こっちの親分と相談してみるから、その間絶対に中を見ちゃだめ」ということで・・・

古今東西、「見てはいけない」という時は、結局見ちゃって話が展開するといのがお決まり。ギリシャ神話でもオルフェウスが同じ轍を踏んでいる。昔話でも「鶴の恩返し」とかもそう。

あまり待たせるので、ついにイザナキはしびれを切らして入り口を無理やり開けてしまうと、腐乱して蛆がたかるイザナミがいた!! 怖くなったイザナキは、一目散に逃げだした。

イザナミは逆切れして、「見るなと言ったのに見るなんて、なんてひどい人」と怒り心頭で追いかけてきます。イザナミは黄泉の国に入る場所である黄泉比良坂(よもつひらさか)まで戻ったときに、追いかけてきた軍勢に生っていた桃を投げつけると逃げ帰りました。

ちなみに、桃太郎は、欠史八代の中の孝霊天皇の皇太子である吉備津彦命、稚武彦命の兄弟による吉備国平定における活躍からできた話という説があり、イザナミの桃で黄泉の軍勢退治というのが根底にありそうな感じですね。

イザナキを取り逃がしたイザナミは「毎日あなたの民を1000人殺す」と言いましたが、イザナキは「だったら毎日1500人新たに生む」といって対抗します。これが、人に寿命がある理由であり、人類が発展する約束なんだって。

地上に戻ったイザナキは、穢れたので筑紫の日向、阿波岐原で禊(みそぎ)をしようと思い立ちます。脱ぎ捨てた服から次々と神が生まれたんですが、これらは穢れから来たものですから、病気の神だったりしてあまり嬉しくはない。

泳いだり、潜ったりしているうちにたくさんの神が生まれ、そして最後に・・・ここが重要。左目を洗うと天照大御神(アマテラスオオミカミ)が生まれ、右目を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)、そして鼻を洗うと建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)の三貴神がついに登場します。

イザナキは、アマテラスには高天原、ツクヨノには夜の世界を、そしてスサノオには海をそれぞれ治めるように命じたのでした。

そもそも、地底の奥深くらしい黄泉の国って、どこにあるんでしょう。普通の地上のことを葦原中国(あしわらなかつくに)と呼び、黄泉比良坂とで黄泉国と繋がっている。黄泉比良坂については、出雲国の伊賦夜坂(いぶやざか)という話があって、松江市の観光スポットの一つになっています

そこから宮崎県の海岸まで禊にいくというのは、またずいぶんと遠くにいったものです。 現在海岸の横に阿波岐原森林公園市民の森があり、中には「みそぎ池」というのがあり、近くにはイザナキを祀る江田神社があります。

ここで一番の謎と言えるのが、月読命だと思うんですよね。アマテラスはどう見ても女性、スサノオは男性。ツクヨノは性別不明で、この後の話にはまったく登場しない。

本来なら、左目から太陽の神、右目から月の神が生まれてバランスがいいので、鼻から生まれるスサノオはついでという感じがする。

ところが表舞台から消えてしまうツクヨノは、もしかしたらヤマト王権からすれば征服した敵の神を象徴しているのかもしれません。征服後に問題を起こさせないために、わざとあっちの神様を持ち上げたという説もあったりするわけです。

消えたと言っても、日本書紀だと、穀物の起源との関わりが少しだけ書かれていますし、伊勢神宮には、内宮の別宮として月読宮、外宮の別宮として月夜見宮がありますから、何かと気にかけてもらっていることは間違いなさそうです。