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2011年1月30日日曜日

ふとJ・J氏のことを思い出した

植草甚一氏は、自分にとってはカルチャー的知的欲求の大先生なのです。明治41年生まれで、今も元気なら100歳を超えているはずですが、残念ながら昭和54年に71歳で亡くなりました。

映画、ジャズ、文学をこよなく愛し、年を取るほどに若々しい感性を得て、J・J氏の愛称で、若者からも多大の支持を得ていた方でした。

高校生の時に、なにげなく書店で手に取ったスクラップブックというシリーズで、もう完全にやられてしまいました。ちょうど、マイルス・デイビスのジャズを知り始めて、ちょっと大人ぶっていた頃だったわけです。

「昨日、ちょっと用があって新宿ジャズ喫茶にいったら、ちょうどマイルスの新作が手に入ったとのこと。それじゃというわけで聴いてみたら、ちょっといい感じの音楽をやっている。ニューヨークの52番街の臭いが、ぷーんとしてきて、僕はうなってしまった。」

というような、文章なんですよね。まるで、ともだちのことを話すような書き出し。自分が行ったこともない外国の雰囲気伝わってきて、本当にタイムズスクウェアを知っているような気分にさせてくれるのです。

おかげで、J・J氏の本を読むといっぱしのジャズ通になったような錯覚におちいりました。そして、もうひとつが映画。映画についても、ものすごくよく知っていて、映画にまつわる文章もすごい量なのです。

もっとも東宝に入社、後にキネマ旬報にうった経緯を考えると本職はこっちなのかもしれません。しかし、しだい雑学全般にわたって執筆活動を行い、いわゆる「サブカルチャー」の元祖となるわけです。現在の宝島社はJ・J氏が母体を作ったと言っても過言ではありません。

映画についてはヒッチコックはことのほかお気に入りだったようで、ヒッチコックにまつわる著作は一番多いのでないかと思います。これが、自分にも多大なる影響を与えたことは間違いありません。

今のように簡単にビデオなんかが手に入る時代ではありませんから、たまにテレビの名画劇場でみるしかないヒッチコックの映画でしたが、J・J氏の本を読んでいると、見てもいないものでもまるで観賞したような気持ちになった物でした。

今は、若者に世界のいろいろなことを楽しく伝えて興味をもたせることのできる大人はいるのでしょうか。J・J氏はそういう世代の垣根を取り払って、確実に知の探求心を植え付けていく不思議なおじいさんだったのです。