年が変わって、映画の世界ではアカデミー賞の話題がちらほら出始めます。
自分なんかは単純ですから、1月に話題を集めた映画の話なんてもう忘れていて、年末の映画のことしか覚えていません。自分が審査員なら、11月から宣伝をはじめて12月のクリスマス公開とかすれば受賞間違いありません。
もっとも、アカデミー賞を受賞したから名画として太鼓判を押されたというわけではありません。特にアカデミー賞は映画を作る側が選考するわけですから、うちわで褒めあうような物。
映画界の中でいい仕事をした人たちを褒めてあげよう、そしてこれを糧にしてまたいい仕事をしよう、というのが本来の目的。しかも、あくまでもアメリカの国内だけの話で、かなりローカルなものであったはずです。
しかし、おそらく賞の本質は戦前から変化していたように思います。1930年代後半、トーキーから音声映画への進歩、カラー映画の登場という技術の激変によって、映画産業はお金がかかるようになりました。
その中で、アカデミー賞受賞というのは観客動員するための大きな広告手段になっていったはずです。「風と共に去りぬ」、「オズの魔法使い」などで一気に映画産業の頂点にたった飛ぶ鳥を落とす勢いのプロデューサーのセルズニックは、変革の中心人物だったのかもしれません。
セルズニックはアカデミー賞を取るために、イギリスから人気が定着してきたアルフレッド・ヒッチコック監督を引き抜いてアメリカに連れてきます。そして「レベッカ」というゴシック・ホラーとも言える作品を作って作品賞を獲得したのです。
これは、ヒッチコックとしても異色の作品で、あきらかにセルズニックの意向が強く反映したもので、商業的な成功を意図した方向性が反映されたものと言えます。映画の始まり、誇らしげなセルズニック・プロダクションの看板を映し出す部分は象徴的でした。
これはある意味、当然の変化と言えます。内輪だけの会だった物が、他人から注目され、他人の目を意識したものになるのは自然の流れでしょう。さらに進んで、他人を動かす方向性を出すようになるのは、商業的な世界であれば当たり前。
90年代に入って、インターネットの普及とともにマルチメディア戦略ということが言われるようになり、さらに賞の質は変わって行ったように思います。それがいいのか悪いのかは、まじめに新作映画をせっせと見ない自分には評価できません。
日本でも、1976年の「犬神家の一族」はマルチメディアの先駆的作品として記憶されるべきものです。制作者は当時角川書店の社長だった角川春樹で、映画制作第1回作品でした。
角川書店は、原作の横溝正史の文庫本を一気に書店に並べ、横溝ブームを作り出したのです。そして、映画制作とともに、インパクトの高い湖から両足が突き出た象徴的なシーンを中心にテレビCMをどんどん流しました。さらに音楽を担当した大野雄二によるサンウドトラックのレコードも鑑賞作品として売り出しました。
今では、まったく当たり前のことですが、当時はありとあらゆるところから「犬神家」のことが目や耳に飛び込んできた印象がありました。
まぁ、どういう映画が名画として残っていくかは、賞の有無ではありません。10年、20年と時がたって、多くの人々の心に残っているかが大切。何度でも見たくなる作品が、どんどん出てくれれば言うことはありません。
さてさて、今年のアカデミー賞はどうなることやら。売れるためのイベントだけになってないことを祈ります。