三位一体・・・というと、なんか日本の政治で使われるようになったせいか、ずいぶんと俗っぽい言葉だなぁと。もちろん、日本の政治家が勝手に使っただけですから、キリスト教には責任はない。
三位一体は、キリスト教の宗派によらず、共通の考え方で、「父(もともとの神)」と「子(キリスト)」と「聖霊」が一体となって、唯一の神として存在しているというものらしい。
すべての人は聖霊を通してキリストと結ばれ、そしてキリストを通して「神」の救いを得られるということなんでしょうか。非キリスト教者の理解はそこまでです。
古代ギリシャとか、古代日本というのは多神教の考え方ですが、キリスト教はここで一神教であることを明言しているんでしょうかね。ただ、イスラム教のようにアラーの神以外は一切認めないというほど、きつくはない。
もちろん、神といえるのは他には存在しませんが、例えばマリア信仰のような、神に準じるような信仰の対象は認められているものがあったりして、この緩さが人気が高まった理由の一つであり、おそらくいろいろな問題を内包する要因にもなっているのかもしれません。
まぁ、難しい宗教論はよくわかりませんので横に置いておいて、キリスト教の教会暦では、春から始まった2ヶ月間にわたるキリストの受難、復活、昇天、聖霊降臨という大イベントが終了し、ここからいくつかの記念日はあるものの、キリスト生誕まで無風の半年間に入ります。
あらためて言うのもなんですが、音楽を聴くのに、こんなにいろいろなことを知っておきたいと思う事は今までありませんでした。そこが、バッハのカンタータの魅力であり、深入りすると大変なところなんでしょうね。
バッハがこの日のために用意したカンタータは4つあります。
BWV 165 おお 聖なる霊と水の洗礼よ
BWV 194 こよなく待ちこがれし喜びの祝い
BWV 176 傲りかつ臆するは
BWV 129 主を頌めまつれ
BWV165だけワイマール時代のもので、あとはライプツィヒでのカンタータ年巻に含まれますが、BWV129だけは、使用目的が確定はしていません。
BWV194、176、129などは、最初と最後に合唱、特に最後はのはコラールで、間にレチタティーボとアリアが挟まって比較的典型的な構成でしょうか。165だけはいわゆるソロカンタータ(独唱からはじまるもの)で、アリア→レチタティーボを繰り返し、〆はコラールの合唱。長くても20分で、いずれも短いものが多い。
ただし194はガーディナー先生は、2部構成の1部のみを収録しています。最初は教会のオルガン落成記念用で、もともとケーテン時代の世俗カンタータの使いまわし。あとで三位一体節でも演奏されるようになったそうで、たいていの録音では2部まで40分の演奏です。
曲調は明るめで、あまり重々しさはありません。伴奏も簡素で、それほど楽器が活躍する部分はありません。聖霊降臨祭までが忙しくて、さすがのバッハも手を抜いた(?)わけでもないでしょうが、お疲れがピークの時期かもしれませんね。
今の世でも、4月からがんばって来たお父さんたちに疲れが出始める頃・・・なんでしょうか。今日は父の日ということになっていて、ひたすらサッカー見ながら休養するのがよろしいようで。