2016年1月18日月曜日
他人の不幸が飯の種
あらたまって言うことでもありませんが、自分は医者です。
医者というのは、誰かが健康を害した時に、何が悪いのかを考え、そしてその原因を取り除き健康を取り戻せるようにすることが仕事。
当たり前と言えば当たり前の話ですが、健康になるようにお手伝いするという前向きな考え方もあれば、逆の考え方もあるんです。
つまり、医者というのは人の不幸(病気やケガ)を飯の種にしている人種・・・こう考えると、何かすごく後ろめたい感覚になってしまうというもの。
昨日の記事にクリニックの10年間の患者数を検討してみた内容を書きましたが、数字を見ていたら、それだけ健康に問題を抱えた人がいたことに気がつきました。
クリニックの患者数が増えたりしたと、喜んでいるのはいいことではないかなと思ったりしました。経営者である前に、医者であることを忘れてはいけないということ。
もしも、人類が皆な健康ならば、本来はいらない仕事なのかもしれません。必要悪とまでは言いませんが、医者が不必要な世界だったら、とても素晴らしいことかもしれません。
現実的に考えれば、病気やケガがまったく無いというのはありえない。ですから、医者という職業の存在意義は否定されるわけではありません。
そんなことを時々考えては、自分の存在価値みたいなものを自ら正当化していることに気がつく時があるんです。
例えば、患者さんから「どうせ、先生には私の痛みはわからない」なんて言われた時とか・・・
患者さんの気持ちに立って、なんて言うのは簡単ですが、現実に他人の心情を完全に理解するなんてことはできません。
患者さんがイメージしていることが、現代医学の常識的な治療とは食い違っていることは珍しいことではありません。その時に、患者さんの希望に沿って医療を行うことが最善とは言えなかったりするわけです。
だからと言って、医学というのは日進月歩ですから、正しいと考えられていたことが実は間違いだったということも無いわけではない。常識というのは不変なものではなく、時代とともに変化することもあるわけですから、スタンダードな医療と考えられているものが正しいとは限りません。
患者さんとの溝をできるだけ浅くする努力は、医者と患者の双方に必要なことです。ただし、より医者の方が多くの努力を必要とするものかもしれません。
何を言いたいのかわからなくなってきたので、何か、ちょっとぼやきたくなっただけなんで、このくらいにしておきます。