このブログは、Googleを利用していますが゛、Googleは多岐にわたってサービスを展開しており、それぞれのサービスが密接に関連します。
その中でGoole+にも、ブログの投稿が自動的に流れるようにしてあるんですが、先日書いたシューベルトのピアノ・ソナタについて投稿が、Google+に入らないです。
何故だかよくわかりませんが、何度が共有を試みていたら、「Googleのポリシー違反で全サービスを停止するぞ」みたいな脅かしのメッセージが表示されました。
そりゃないだろう、とちょっと憤慨。
いつもと同じように操作して、特別変わった内容にしたわけでもなく、そっちが勝手に投稿を流してくれないのがいけないのにね。
何度も同じ操作をしたことがスパムと認識されたのか、それとも投稿内容のどこかに問題があるのか、ポリシーというのを読んでもさっぱりわからない。
そこで、似たような話題ですけど、もう一度同じような構成の投稿をしてみようというわけで・・・
さて、シューベルトです。
シューベルトのピアノ・ソナタは21番まで番号がふってありますが、とにかく未完成品が多いことで話を複雑にしている。
ベートーヴェンなら32曲もソナタがありますが、いずれも楽曲として完成しているので、誰がどう弾いても曲の内容は一緒。
ところが、シューベルトの場合はソナタ全集と銘打っても、内容が微妙に違ってくる。
完成品だけを取り上げるという考え方。これは、間違いはありませんが、こうなると1/3は脱落してしまいます。
楽章の途中で終わっているものはしょうがないとしても、未完成の中には一部の楽章は完結している物もあるので、それを飛ばしてしまうのももったいない。
そこで、完成楽章だけは取り上げるという演奏者もでてきます。さらに未完成部分を補筆して、何とか完結した形にして聴かせるというのもある。中には、途中やめまで弾いて唐突に終了というすごいのもあります。
形式からどう考えても楽章が抜けていると考えられて未完成扱いというのもあって、抜けたまま演奏する人もいれば、同時期の小品を抜けた楽章の代わりに挿入して完成扱いする場合もあったりします。
歴史的に初めてシューベルトを網羅した演奏を録音したのは、ヴィルヘルム・ケンプで1960年代後半のこと。ケンプは、基本的には完成楽章は収録し、途中で断筆したものや抜けていると考えられる楽章は無視というスタンスです。
それでも、それなりの数になりますから、シューベルトを楽しむ上ではそうそう困ることはありません。十分に「全集」を名乗るだけの価値は認められるというものです。
アルフレッド・ブレンデルも、シューベルト弾きとして評価が高く、70年代と90年代にまとまった録音を2回残しています。ところが、未完成品が多い前半分についてはほとんど興味が無い。これはさすがに全集とは呼べず、どちらも「作品集」というところ。
完成していなかった物を作者のはっきりとした真意がわからないままに、いろいろいじくるというのは芸術の観点から否定するというのは一つの見識ですから、それはそれで正しいと言えます。
ただし、ファン心理としては、未完成なのもどんなのか聴いてみたいというところはある。また、たまたま楽譜が失われただけで、本当は完成していたのかもしれないわけですから、まったく無視というももったいない。
そこで、70年代になってギルベルト・シュヒター、グレゴール・ヴァイヒェルト、ポール・バドゥラスコダなどが足りない部分を補筆完成させたり、完成している小品をそれなりの学術的根拠のもとに楽章として挿入して演奏しました。
その後は、後期ソナタ中心に完成しているものだけ取り上げる「作品集」と、未完成品もできるだけ完成形に近づた「全集」とがいろいろと出てくることになります。
現状ではすでに廃盤で手に入らないものもたくさんあり、どうしても聴きたいならば中古を探し回るしかない。ネットで探すことができるので、昔よりはましですけど、そうは簡単にはいきません。
とりあえず、比較的手に入りやすいもので、最も曲数の多いのはミッシェル・ダルベルトの全集。ソナタ以外にも舞曲などの小品もある程度は網羅していて、シューベルトのピアノ独奏曲を把握するのには便利。
演奏も悪くはありません。ただし、多少局数をこなすのに無理しているかもというところも多少は無いわけではありません。
聴けば聴くほど深みにはまっていくシューベルトなんですが、とりあえず全体を見通せるダルベルトの全集はお勧めの逸品だと思います。