2011年3月11日、午後2時46分。宮城県沖を震源とする東日本大震災と巨大津波は、2万人以上の死者を出した、戦後日本で起こった最も大規模な自然災害でした。しかも、直後に発生した津波による福島第1原子力発電所の破壊は、さらに大きな影響を人々の生活に強いることになります。
首都圏にいた自分たちは、大きな揺れに驚き、津波の甚大な被害に恐怖しましたが、地震そのものはある程度離れた場所のことと思っていたところがありました。しかし、原発事故の影響は周辺で非難した人は10万人を超え、首都圏でも放射線レベルの上昇と共に計画停電による落ち着かない日々を過ごすことになりました。
当時の自民党から政権を奪取した民主党は菅直人総理を筆頭に、この災害・事故への対処を巡って批判にさらされ続け、自民党・安倍政権が取って代わってからは、次々にその「無能」振りを暴露されたような印象です。そして、民主党政権によってすべての原子力発電所が稼働停止したものを、安倍政権は次から次へと再稼働に舵を切ったのです。
おそらくこれらの一連の出来事を最初に映画にしたのは、2013年の「朝日のあたる家」だと思いますが、これは離散した家族の苦悩を描く物でした。「太陽の蓋」はその次に作られたものだと思いますが、初めて原子力発電所事故を真っ向から取り上げ、多くの報告書などから綿密に可能な限り事実の基づいて最初の5日間を首相官邸サイドを中心に描いたものです。監督は佐藤太、脚本は長谷川隆です。
まず最初に驚かされるのは、当時の首相だった菅直人氏をはじめ主だった閣僚・官僚は実名で登場する点です。三田村邦彦の菅直人はややかっこ良過ぎですが、枝野官房長官の菅野大吉はそっくりです。このことによって、映画のノンフィクション感が一気に強くなり、当時ニュースなどでしか状況がわからなかった自分たちは、再び「あの時」を強く思い出すことになるのです。
基本的には官邸記者クラブの鍋島(北村有起哉)を中心にストーリーが展開するのですが、その時にリアルタイムに記者が知りえた話と、後に関係者に取材してまわって得た情報によって映画は組み立てられています。発電所を何とかしたい現場と、できるだ穏便に事を処理したい電力会社本社、そしてなかなか情報が上がって来ずに後手後手に回る官邸という構図が見て取れます。
後日、元官房副長官(神尾佑)は、鍋島の取材に「とにかく本社が情報をあげてくれなかった」と証言し、鍋島は「じゃあ、情報があればあの時何かできたんですか」と問い返します。確かに、誰にもこれだけの事故を簡単に納めることはできなかったと思いますし、民主党だから、菅直人が首相だったからという問題ではないように思います。
ただ、公表されている事実をかなり忠実に再現しているらしいのですが、映画では民主党政権にやや味方しすぎのような印象は拭えません。現在でも、派生した数々の問題が山積している状況は続いているわけですが、そもそも電力を使いたいと欲しているのは一人一人の国民ですから、まだまだ忘れてしまうのは早すぎると感じました。