夏季臨時休診のお知らせ

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2025年7月9日水曜日

Fukushima 50 (2020)

門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」が原作で、2011年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を、最後まで残って対応した50名の作業員たちを描く作品です。事故の最も危険な時期についての映画としては、すでに首相官邸を中心に描かれた「太陽の蓋」がありますが、事故の現場の状況についての描写はほとんどありませんでした。

吉田昌郎氏は事故当時の所長で、最も現場に近い場所で陣頭指揮を執った人物で、その後の収束作業にもあたっていましたが、2011年11月に食道がんを発症し闘病の末2013年7月8日に亡くなっています。その他の登場人物も、基本的にモデルとなる実在の人物がいて、吉田を演じた渡辺謙と共にW主演となった佐藤浩市が演じた伊崎利夫は、当直長の伊沢郁夫と曳田史郎が当てられています。

監督は「ホワイトアウト」、「沈まぬ太陽」の若松節朗、脚本は大河ドラマ「軍師官兵衛」の前川洋一です。「太陽の蓋」と違って大手の松竹/KADOKAWAの製作なので、いわゆる商業映画、つまりエンターテイメントの要素がかなり加味されおり、有名俳優がたくさん登場してなかなか見応えのある画面がたくさん出てきます。

その点が、評価を二分する原因になっているわけで、未曽有の災害・事故を扱っているためにエンタメ化している点に拒否反応を示す視聴者も少なからずいるようです。もちろん最悪東日本全体に壊滅的被害が及んだかもしれない原発事故に、命がけで立ち向かった所員の方々に対して敬意を払うのは当然だと思いますが、ヒーロー扱いするようなところは賛否が分かれることになります。

これは、多分に原作にも問題があるらしい。後に公開されたさまざまな資料や映像と比較して詳細に検討している方も多いのですが、原作では吉田所長の言動・行動はかなり改変が加えられているらしい。映画はそれらをそのまま転用しているため、自然とエンタメ志向が強まったようです。

現実に、1週間程度で完全にすべてが沈静化したわけでは無く、14年たった今でもその傷跡はしっかりと開いていて、多くの方々が普通の生活に戻れていません。これが架空のパニック映画であれば楽しめたかもしれませんが、多くの人がリアルタイムに体験した「事実」に基づいているからには、誇張された表現は慎むべきだったのではないでしょうか。

東京電力については「太陽の蓋」は東日電力、「Fukushima 50」では東都電力と名称が変更されています。しかし、「太陽の蓋」の方が、少なくとも官邸の人々については実名を使用していることで強いリアリティが生まれています。映画を作るのにも多くのスポンサーが必要ですから、おそらくこの辺りが大資本映画の限界のようなところかもしれません。

「Fukushima 50」では総理大臣の佐野史郎にかなりエキセントリックな演技をさせていて、官邸を悪者にしているようなところがあるのですが(実名を使っていないところにずるさを感じますが)、両者に共通なのは一番事態を混乱させたのは東京電力本社だというところ。官邸にはいい顔をして、現場には無理難題を押し通そうとして、会社としての体面を保とうとしていたらしいところが見て取れます。

いずれにしても両者は視点・切り口が異なるので、2つの映画を見た上で自分があの時経験したことの隠れていた部分を判断する必要がありそうです。なお、この同じ原作を利用したNetflixドラマが「THE DAYS」で、吉田所長に役所広司、当直長に竹野内豊を配して、映画にも負けないくらいの重厚感で描いています。しかし、全体の流れは同じで「Fukushima 50」と同じ問題点を露呈していると言わざるを得ません。

原子力発電の是非という大きな課題に対しても、生活に電力が必要だからというだけで肯定する、あるいはこのような破滅的な事故が起こるから否定するというような単純な結論ではなく、地球温暖化問題なども含めてしっかりとした議論がまだまだ必要だと感じました。少なくとも、これらの作品は、そういう意識のきっかけにはなるのかもしれません。