ヨハン・セバスチャン・バッハは、言ってみれば生え抜きのプロテスタントのキリスト教徒でした。幼いころから、教会に通い、音楽の道に進んでからも、そのほとんどの人生を教会での仕事に捧げていました。
自分より一世紀半も前、マルチン・ルターが後の歴史でいう宗教改革によって、教会に音楽を積極的に取り入れ、会衆とともに神への敬虔な信仰を歌うことは、バッハにとっては大変身近なものであったわけです。
バッハは、彼のライフワークであった「整備された教会音楽」を構築していくうえで、これらのコラールと呼ばれる歌を大変重視し、教会カンタータの大多数に取り込んだのです。
特にライプチィヒ着任2年目になると、すべてのカンタータでコラールを意識的に組み込むようになります。 現存する約200曲の教会カンタータと受難曲の中には、ルター自ら作曲したものも多数含めて、163曲のコラールが含まれていると言われています。
バッハの息子のC.P.エマニュエルと弟子だったキルンベルガーは、バッハの残したコラールを収集・編纂し1780年代に370曲のコラール集として出版しました。しかし、これには歌詞は無く、譜面は鍵盤楽器演奏用の体裁をとっていました。
もう一人弟子だったディーテルが、バッハ存命中に手書きで残した4声のパートに分けれた譜面が149曲分存在していて、これが重要な手がかりになって、現在独立した作品として185曲の「4声のコラール」にBWV番号が振られています。
いくつかはチェンバロやオルガンの簡素な伴奏がありますが、多くは無伴奏で歌われ、時間も1~2分程度の短いものばかり。わずかに、独唱もありますが、基本的にはソプラノ、アルト、テノール、バスの4声で歌われる合唱曲です。
教会曲にやたらと凝ったことをすると当局から目をつけられていたバッハですが、さすがにコラールに対しては奇をてらう編曲はほとんどしていません。複雑な対位法などは影を潜め、おそらく原曲を尊重して、音楽として成立させたのでしょう。
ほとんど楽器の伴奏が無いので、非常に地味な存在です。当然、収録したCDは大変少なく、基本的にはバッハ全集くらいでしか聴くことはできません。
これらの独立したコラールが、多数作曲された理由は不明です。しかし、これらは失われたカンタータなどに含まれていた可能性が高く、バッハ研究者にとっては重要な研究材料であり、一般の愛好家にとっても、バッハの信仰のエッセンスを見るような魅力があるのです。