クリント・イーストウッドとスティーブン・スピルバーグという両巨頭がタッグを組んだ「硫黄島プロジェクト」は、アメリカ側と日本側の両方の視点から、太平洋戦争の中でもとりわけ激戦だった戦いの中に埋もれた人のドラマを見つめ直すものです。
前編となる「父親たちの星条旗」は、硫黄島での戦闘を回想して、その戦闘でその後の人生が変わった人々のドラマでした。一方、後編となる本作は、逆に硫黄島の戦いの中で、かつての生活を回想することで、それぞれの正義を貫く困難を描いています。
1944年春、陸軍の栗林忠道中将(渡辺謙)が守備隊の司令官として赴任。前任者は、アメリカ軍の上陸作戦を想定し、海岸線に塹壕を構築し玉砕することばかりを考えていました。しかし、栗林はそれでは数日しかもたず、無駄死にするよりも一日でも戦い続けることが、少しでも本土防衛につながると言って、地下道を張り巡らし持久戦に持ち込むことに改めます。
栗林はこれまでも転地先から家族に手紙を書き溜めていましたが、アメリカにもいたことがありアメリカの真の実力を承知していました。日本よりも圧倒的な物量を保持することを、手紙にもしたためていました。
一兵卒のパン屋だった西城(二宮和也)は、妻と出征後に生まれたこどもが内地にいて、絶対に生きて帰りたいと考えながら、毎日を過ごしていました。彼もまた、届くともわからない妻宛ての手紙を書き続けます。
他にも、憲兵隊所属だったにもかかわらず、優しさが表にでてしまい最前線に転任させられた清水(加瀬亮)、1932年オリンピックで馬術の金メダリストである西中佐(伊原剛志)、栗林に批判的ないわゆる典型的な帝国軍人である伊藤大尉(中村獅童)などが駐屯していました。
1945年2月19日、ついにアメリカ軍の上陸作戦が開始され、防衛拠点の摺鉢山は最初の攻撃目標とされ、数日で壊滅状態に陥ります。隊長自ら自決し、仲間も次々と手榴弾で自爆する中、栗林の北部の隊と合流せよとの指令を守り西郷と清水は地下道を北進します。
途中で伊藤大尉の隊と出会い、摺鉢山から逃亡してきたと責められ切り捨てられそうになった時、栗林に兵を無駄に減らすなと止められます。しかし伊藤の隊も、じきに壊滅状態となり、次に西大佐の部隊に入りますが、ここも制圧されるのは時間の問題でした。清水は隊を抜け出しアメリカ軍に投降しますが、翌日移動の時に西郷は射殺された清水の遺体を発見します。
残存するわずかな兵を集めて、栗林は暗いうちに最後の攻撃を敢行しますが、出発に際して、西郷には司令部に残りすべての書類を焼き払うように命令します。西郷は、皆が書き溜めた手紙は穴を掘って埋め、それから明るくなった外に出ていき、瀕死の栗林を発見します。
栗林は「ここはまだ日本か」と尋ね、西郷が「日本です」と答えると、栗林は「誰にも見つからないように埋めてくれ」と言って拳銃で自決しました。西郷はアメリカ軍に捕らえられます。敵の戦車を巻き添えにして自決しようとしていた伊藤も、敵を見つけられず眠ってしまい、翌朝捕虜にされるのです。
それから60年後、硫黄島の調査団は、西郷が埋めた手紙の束を発見するのでした。
イーストウッド監督は、本来はアメリカの視点を持っているはずですが、これほどまでに日本に対して敬意が払われたハリウッド映画は他には無いのではないかと思えるくらい、実に丁寧な映画を作り上げました。基本的に全編日本語というのも、かなり珍しいことですし、下手な邦画よりよほど時代考証もしっかりしている。
少なくとも、自分の場合、義務教育課程で戦争のことについて学んだことはありませんでした。当然、硫黄島での戦いも知る由もない。イーストウッドが指摘しているように、戦後生まれの多くの日本人はそうだったと思います。高校になって日本史の教師が、南方からの復員兵だったせいで、授業はほとんど島での戦争の大変さの話ばかりだったのが、いろいろな意味で驚きでした。
戦後の日本は、軍国主義思想に結びつかないように、あえて戦争の話は避けて通ってきたように感じますが、結局それが今の日本の「平和ボケ」と言われる要因の一つなのかどうかはわかりません。そういう意味でも、日本人としては大変感慨深い作品として、イーストウッドのファンとかを越えて必ず一度は見るべき映画になっているように思います。
当時の日本が誤った道に進んでいたことは、歴史からも証明されている事実です。そして、当然戦争を肯定するようなことは思いもよりません。しかし、これもイーストウッドが指摘していますが、この硫黄島での戦い死んでいった日本人がいることが、今の平和な日本があることの一端であることは間違いなく、彼らに対して一定の理解と感謝の念を持つことを忘れてはいけないのだと感じました。
この「硫黄島プロジェクト」の2作品は、合わせ鏡のような作りになっています。アメリカからすれば、硫黄島の英雄は戦費を捻出するために作られたものだし、戦闘シーンでも必ずしも「いい子」ぶっているわけではない。味方の誤爆で死ぬものもいたりするし、捕虜をいとも簡単に殺したりします。一方、日本側も内部の意見がそろわず一枚岩にはほど遠い組織だし、部下を脅迫する上官がいたりします。
アメリカの兵隊はほとんどが二十歳前後で、到着前には陽気で無邪気。無事に帰ることが最大の目標です。一方、日本兵も若者が多いのですが、彼らは絶望的な状況の中で、いかに国のために死んでいくかを考えているという対比が強く浮き出てきます。
双方とも、戦闘の本来の英雄的な行動を映画の中で見せることは無く、おそらく戦争映画の「やった!! 勝利だ!!」みたいな解放感、あるいはカタルシスを味わうことはありません。イーストウッドは意図的にヒロイズムを封印している。結局、敵も味方も無く、そこには運命に翻弄される人々だけが存在し、そこから何を感じ取るかは見る人それぞれの感性に委ねられているのです。
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