ヨーロッパでは、イタリアの独裁をふるったベニート・ムッソリーニが1945年4月28日にパルチザンにより処刑され、ミラノの市中で遺体が吊るされ晒されました。そして4月30日には、アドルフ・ヒトラーがソビエト軍に包囲されたベルリンの総統官邸地下壕内で自殺し、5月7日にドイツは無条件降伏します。
枢軸国として残る日本は、沖縄をほぼアメリカ軍により制圧されますが、その熾烈な抵抗はアメリカ軍に九州、本州上陸作戦を躊躇させました。7月17日から2週間にわたって米英露の三首脳がベルリン郊外のポツダムに集まり、戦後処理が協議されます。ここで米英と中華民国を加えた3ヵ国の名により宣言が行われ、日本に対して最終的な降伏要求がなされました(ポツダム宣言)。
アメリカのトールマン大統領は、宣言受諾を急がせるためついに人類史上初めての核兵器の使用に踏み切ります。8月6日、広島に投下された原子爆弾により一瞬にして10万人もの市民の命が消えました。日本は、それでもソビエトの仲介による和平交渉に期待していましたが、ソビエトは8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄し、ポツダム宣言に加わり日本に宣戦布告し進攻を開始します。
もはや、頼みの綱をすべて失なった日本は、8月9日の長崎への2回目の原子爆弾投下により、急遽天皇を交えた御前会議を開き、天皇の意見により宣言を受諾することを決定し諸外国に通知を始めます。それでも、陸軍を中心に徹底抗戦を主張するものが続き、8月14日再度御前会議が開催され、あらためて天皇は降伏を主張し、いわゆる「玉音放送」の録音を行います。
戦争継続の急先鋒だった阿南惟幾陸相は、若手将校らに「天皇の決断だ。どうしても認めないなら、自分を殺してから進め」と説得しますが、8月15日未明に彼らは決起するものの数時間後には鎮圧され(宮城事件)、正午に玉音のラジオ放送が行われ国内にも降伏を表明しました。阿南陸相は、玉音放送の流れる前に割腹自殺します。
8月17日、鈴木貫太郎内閣総辞職。初めて皇族として東久邇宮稔彦王が首相に就任し、速やかな武装解除、降伏文書調印、各地に残る日本人の引き上げ、占領軍の受け入れなどを粛々と行います。8月30日、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーが到着し、9月2日降伏文書への調印が行われ、正式に第二次世界大戦が終了しました。
この作品は、1965年に大宅壮一編として出版された「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」を原作として、東宝が岡本喜八監督、橋本忍脚本で映画化したものです。原作の実際の著者は半藤一利で、1995年に改稿し「決定版」が出版されました。決定版をもとにした、原田正人監督による2015年の映画があります。
内容は8月14日の御前会議から、若手将校によるクーデター未遂である宮城事件、そして玉音放送が流されるまでの1日を、できるたけフィクションをはさまぬように緊迫したやり取りが描かれました。中心人物となる阿南陸相は、1967年版では三船敏郎、2015年版では役所広司が演じています。天皇は、1967年版では顔出しはなく、また演じた松本幸四郎(8代目)はクレジットされていませんでしたが、2015年版では本木雅弘により皇后(池坊由紀)と共に演じられました。
日本の終戦にまつわるたった24時間の出来事についてのストーリーですが、大日本帝国の栄華必衰を凝縮した内容は、日本人としては一度は見るべきものでしょう。どちらの版を見るかは、人それぞれの好みですが、まだ戦争の余韻を知る人が多い1967年版の方が、戦争の狂気の表現については勝るようです。一方、2015年版は、ヒューマン・ドラマの要素が強く前面に出されており、各人の葛藤の表現に注力しています。
世界大戦は終結しましたが、その影響は大きく世界中に残り、ソビエトを中心とする共産主義社会とアメリカを中心とする資本主義社会の縄張り争いに拍車がかかり、いわゆる冷戦構造が形成されました。
ドイツは共産主義の東ドイツと資本主義の西ドイツに分割され、日本が進駐していた朝鮮半島やマレー半島のベトナムでは国が南北に分断します。マレー半島ではヨーロッパの植民地主義が復活し、さらに複雑な状況でした。ソビエト対アメリカの直接対決ではない、いわゆる「代理戦争」が続発することにつながっていきます。
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