2021年5月17日月曜日

バンド・オブ・ブラザース (2001) 1

実は急に戦争映画を見始めたのは、ミリタリー・マニアだからでも、戦争肯定派になったからでもありません。昨年、スティーブン・スピルバーグの映画を全部見てやろうと思いたち、フィルモグラフィをチェックしていて、二つのテレビ用ショート・シリーズを見つけました。

スピルバーグは監督ではなく製作総指揮という立場で関わっていて、同じく製作総指揮にトム・ハンクスが参加しています。スピルバーグとハンクスと言えば、真っ先に思い浮かぶのは「プライベート・ライアン」でしょう。二人は、まだまだ第二次世界大戦について、描き足りない気持ちがあったとみえ、別の視点からヨーロッパの戦いを描く「バンド・オブ・ブラザース(兄弟たちのきずな)」を作り上げたのです。

硫黄島プロジェクトだけでは満足しないスピルバーグは、さらにハンクスと組んで太平洋戦争についても掘り下げる「ザ・パシフィック」も制作しました。これらはテレビ・ドラマの枠をはるかに超えた予算を使い、映画すら凌駕する大作です。いずれも、戦争の始まりから終わりまでを描く内容ですから、まったくの歴史的な予備知識なしに見るのはもったいないというもの。そこで、まずはこれまでの名作をたどりながら、歴史を学び直していたということなんです。

だいたい一通り第二次世界大戦の経過を知ることができたところで、やっと「バンド・オブ・ブラザース」にたどり着くことができました。テレビ用ということで、どうしても知名度は高くはありませんが、第二次世界大戦のドラマとしては知る人ぞ知るという作品で、たいへん高い評価を受けています。


このドラマの主役は第101空挺師団E中隊。空挺師団は、第二次世界大戦から陸軍に実戦配備されるようになったパラシュートで降下して戦う兵士たちのことです。一気に敵地の中に進入が可能ですが、その分危険性も高い。降りたとたんに周りは敵だらけということもありうる。また、一人一人が必要なものをすべて自分で持って降下しなければなりませんので、出撃の際の荷物は50kg近い。

彼らの制服にはスクリーミングイーグルス(叫ぶ鷲)がマスコットとしてあしらわれ、現在に至るも精鋭部隊として認知されています。「プライベート・ライアン」では、連れ帰る目標だったライアン二等兵は、第101空挺師団の兵士という設定でした。

原作はアイゼンハワーの伝記作家でもあったスティーブン・アンブローズで、「プライベート・ライアン」でも軍事アドバイザーとして参画しています。監督は、新鋭が入れ替わりで担当しています。

第1話 翼のために

1942年、第101空挺師団はジョージア州トコア・キャンプで、新人兵士たちの訓練を行っていました。E中隊の指揮をとるのは高圧的なソベル中尉で、副官は温厚なウィンタース少尉でした。ソベルの嫌がらせ的な指導に辟易していた隊員は、いざ実践演習となるとまったくセンスのないソベルに不信感を募らせます。ソベルは自分の失敗からウィンタースを軍法会議にかけると言い出したため、隊員たちはそろってソベルに造反。ソベルは非戦闘員の訓練施設に配置替えとなり去っていきました。

第2話 ノルマンディ降下作戦

1944年6月、ノルマンディ上陸作戦が決行されることになり、ミーハン中尉の指揮でE中隊はユタ・ビーチに上陸する部隊の後方支援のため、前日夜にサント・マリー・デュモンに降下します。ウィンタースは、散り散りになった隊員をかき集めながら集合場所に向かいます。しかし、ミーハンは降下直後から行方不明で、ウィンタースがかわって指揮をとることになります。彼らは、早速上陸の障害になる高射砲陣地を叩くよう命令され成功します。この作戦遂行状況は、固定目標攻撃の手本とされ現在も演習にシミュレーションされています。


第3話 カランタン攻略

Dデイの数日後、E中隊は南に10kmほど下ったカランタンの町を制圧する命令を受けます。ここで、原隊からはぐれて一人なっていたアルバート・ブライス二等兵が加わりました。彼は着地後恐怖のため動けなくなっていたのですが、町での戦闘後もヒステリー症状で一時的に視力を失ったりします。町をおさえた後は、反撃してくるドイツ軍を迎撃するため近くの高台で守りを固めますが、激戦となりブライスもやっと兵士としての自覚を取り戻すのです。