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2021年5月11日火曜日

ヨーロッパの解放 IV & V (1971)

1944年夏、ポーランドに迫ったソビエト軍は、ワルシャワ蜂起を援助せず静観。その後、むしろ南に転進し、ブルガリア、ユーゴスラヴィア、ハンガリーからドイツ軍を一掃します。そして、年が明け1945年1月12日、ついにポーランドから西、ベルリンを目指して動きました。

その速さはかなりのもので、数日後にはポーランドとドイツの国境をなすオーデル川に達します。ベルリンまであと70km弱、過去150年にわたって敵の侵入を許してこなかったドイツは、ついに喉元に剣を突き付けられたも同然でした。

1月27日に、ポーランド南部、オシフィエンチム市においてソビエト軍はアウシュヴィッツ強制収容所を開放しました。ドイツの行っていた、主としてユダヤ人に対する大量虐殺が白日のものとに晒され、多くの人々が戦慄したのです。

そして、4月になって、オーデル川付近に250万人の兵員を手中させたソビエト軍は、ついにドイツ国内に進攻し最終決戦を挑みます。追い詰められたドイツ軍に残されたのは100万の兵士ですが、敗戦を覚悟して士気は低下し、また負傷者も数多く混ざっていました。

4月25日、ソ連軍はベルリンを包囲、市内中心部を制圧します。ヒットラーは総統官邸地下壕に退避し、4月30日、ついに自殺します。5月2日、ドイツは降伏。正式には5月7日にヨーロッパは終戦を迎えました。アメリカのローズヴェルト大統領は、惜しくも勝利を目前にして4月12日に病没しています。

ソビエト連邦、現ロシアが自らの勝利を描く国策映画「ヨーロッパの解放」は第4部が「オーデル川大突破作戦」、そして第5部が「ベルリン大攻防戦」として、この最終局面を映画化しました。

ソビエトの1月の進攻から映画はスタートします。数週間でオーデル川に達したソビエト軍は、やはり同じ悩みがありました。兵士の疲労と長すぎる補給路です。2月のヤルタ会談の模様は、これまたそっくりさん俳優が集まって、なかなか興味深い。

ポーランド兵と燃料を探しに駅に向かったソビエト戦車兵は、偶然列車内に閉じ込められていた人々を救います。なんか、おまけみたいなどう見てもフィクション部分ですが、けっこう長い。4月20日のヒットラー誕生日の様子も織り交ぜ、その翌日に戦車隊がベルリン市街に突入。ここでも、市民と交歓したり、動物園でライオンにドキドキする意味不明のシーンが続いて第4部は終了します。

ベルリン包囲網はどんどん絞られていき、ソビエト軍は総統官邸につながる地下鉄構内に進入します。ヒットラーは水門を開き、避難している市民をも巻き添えにして構内を水攻めにしろと命じ、「スラブ民族に負けるようならドイツの人民は生きる権利はないのだ」と言い切るのでした。


4月28日、議事堂にソビエト軍が迫る中、ヒットラーのもとにムッソリーニがパルチザンに殺された知らせが届き、長年の愛人だったエヴァ・ブラウンと結婚式を行うことにします。そして議事堂が占拠される中、ヒットラーとエヴァは自殺。ここでは、ヒットラーは拳銃で死ぬ勇気がなく、毒をあおるような展開になっています。5月2日、ドイツはついに降伏。長かった戦いは終結し、ソビエト兵士たちの喜びが爆発します。そして、ヨーロッパ各国の死者数がゆっくりと映し出され映画は終了します。

映画では、当然まったく触れませんが、実際には多くのベルリン市民の女性が性的暴行を受け、多くの略奪行為も行われました。あくまでも、「英雄的戦士」たちに捧げる映画ですから、そこに触れないのはもっともなことでしょうがありません。

映画としては、全5部で8時間はやはり長すぎ。特にこの最後の第4部と第5部は漫然と戦闘シーンが続いたり、唐突に関連が不明な挿話が登場したり、映画としての尺を埋めるのに苦労している感じがします。ただ、他にベルリン陥落を映像化したものはほとんどありませんので、貴重と言えば貴重。