1975年というと、もうかれこれ36年も前の事で、多くの日本人にとっては関係ない時代の話ではありますが、マイルス・デイビス率いるバンドが2年振りに来日して北海道から九州までツアーを行ったのでした。
ジャズの王道を突き進んでいたマイルスが、1969年に''Bitches Brew''で電気楽器を導入し、70年代に入るとロックのビートも取り込んで急速に進化していったのです。
1973年の来日公演のころから、ある程度のフォルムが完成しつつあったのですが、まだまだチック・コリアやキース・ジャレットといった、マイルスに敏感に反応できるバンドメンバーには恵まれていなかったようでした。
1974年、サックスにデイブ・リーブマンが加入して一時的にパワーアップしたものの、やはり特にギターを含むリズムの弱体化は解消されませんでした。
しかし、1975年の来日の時には、バンド全体の反応は格段と向上し、別格のバンドとなっていたのです。これはアル・フォスターのドラムを中心として、レジー・ルーカスとピート・コージーのギター、さらにまとわりつくようなムトゥーメのパーカッションが一体となって、マイルスのやりたいことを完全に把握することができるようになっていたということなのです。
サックスのソニー・フォーチュンだけは、やや力不足であることは否めませんが、逆に出しゃばらすぎないところで、ほどほどに抑えがきいていたのもよかったかもしれません。
そして、日本公演にあたってマイルスの音を20年近く作り続けていたテオ・マセロを招聘して、大阪での公演をライブ録音してくれたということは、もう当時のCBSソニーのスタッフに感謝するしかありません。
そうやって生まれたのが''AGHARTA''と''PANGEA''という二つのライブ・レコードでした。アガルタが最初に出たときに、中のリーフレットの曲目紹介の下に小さな文字で書いてあったことが衝撃的でした。
このレコードは住宅事情の許す限り大音量でお聞きください。
こんなことをお奨めするレコードなんて、いまだかつてありませんでした。ディープ・パープルの''Live in Japan''でさえ、そんなことは書いてはありません。しかし、残念ながら当時所有していたステレオ装置の最大音量なんて出せるわけもなく、その点においては残念な思いをしたのでした。
しかし内容は、とにかくほぼノンストップにマイルスのワンダーランドがつづき、とにかくあまりのパワーに聞いていてもへとへとになるほどでした。マイルスの一挙手一投足でテンポ、リズム、カラーがすべてどんどん変化していく様は「すごい!!」としか言いようがありませんでした。後年、車の中で一人の時に大音量にあらためて聴いて、感慨はひとしおでした。
マイルスはこの2枚を発表した後、長い沈黙に入り引退説が囁かれ、また死亡説まで飛び出すようになったのです。復活までの6年間、ファンはひたすらアガルタに浸り続けていたので、この2枚に寄せる思いは膨らむ一方だったというわけです。