2011年2月21日月曜日

たかが映画じゃないか

アルフレッド・ヒッチコック監督が、大女優イングリッド・バーグマンにいった名言。

そう、たかが映画なのです。所詮、たかが2時間程度の中に面白おかしくストーリーを詰め込んで、観客を楽しませればいい。

でも、これはヒッチコックだからこそ言えたセリフ。観客をいかに楽しませるか、どうやって怖がらせるか、そしてどれだけ満足させられるか、考えに考え抜いた映画監督だからこその含蓄のある言葉です。

言葉にこそしませんが、クリント・イーストウットの映画作りにも、似たようなところがあると思っています。

イーストウッドは俳優ですから、純粋な作り手ではなく演じる側の立場を相当理解しているわけです。幾多の作品でも、共通していることはほとんど撮り直しをしないということ。

頭の中には撮影する前に、ほぼ映画出来上がっているはずですが、その場の勢いというのを大事にしている。キャスティングされた俳優の力量を信じているからこそ、多少のイメージの相違が生じても、それを取り込んでいくゆとりを絶えず持っているということでしょうか。

もともとが、イーストウッドの映画作家としての師匠はドン・シーゲル監督で、ダーティ・ハリーを初めとしていくつもの作品を一緒に作ってきた先輩です。シーゲルはいわゆる「B級」の監督であり、低予算・短期間で観客を集める映画を作ることにかけてはかなりの実力者でした。

イーストウッドも、そんなシーゲルの手法を十分に吸収し、自分の映画作りにいかしてきたことは間違いありません。しかし、表では「たかが映画じゃないか」という作り方でも、俳優が自分の考えている演技を自然とするように周到な準備 - 雰囲気作りをしているのでしょう。

それが40年以上にわたってハリウッドで現役を続けることができている、つまり物凄い大作を作るわけでもなく、超話題作でもないのに消えずにいる大きな要因なのかもしれないと思うのでした。