2011年2月25日金曜日

えんしょう

えんしょう・・・シリーズ化しようと思ってはみた物の、それほど単語がなくて、次は医者らしく「炎症」を取り上げて終了・・・の予定だったのですが、Dr.Flickerに見破られてしまいました。

ネタばれしてしまうと、天の邪鬼な自分としては素直に炎症の話をするということは自尊心が許さない。う~ん、だからと言って・・・しょうがない封印していたネタを使うことにしましょう。

つまり、実はすでに使ってしまったので、もうこのネタでは書けないと思っていたことなんですけどね。まぁ、何とかしてみましょう。

そこで、今日の話題は「圓生」です。

圓生は落語の三遊亭の中で、もっとも権威のある大名跡。現在までに6人の圓生が誕生し、そしてその最後が、自分の落語趣味の中で最も尊敬する六代目であり、1979年9月3日に亡くなって以来、その名跡は空席のままとなっているわけです。

圓生という名前は、三遊亭の本家本元であり、笑いをとる落とし噺は言うのおよばず、人の機微を語り尽くす人情噺、歌舞伎仕立ての芝居噺・怪談噺など、高度な技量を要求されるネタを得意としてきたわけで、そんじょそこらの噺家にはとても名乗れるものではありません。

実は、この名前を誰が襲名するかというのは、けっこう大きな問題。本来なら六代目の一番弟子だった最近亡くなった五代目圓樂が第一候補だったはずですが、結局襲名できなかった。はっきり言って、実力的な部分でだいぶ物足りなかったことは事実でしょう。

五代目圓樂は自分の一番弟子の鳳樂に襲名させようと動いていたようですが、実力的にはまぁまぁのところですが、いまひとつ物足りない感は否めない。

自分でなりたくてしょうがないのが円丈ですが、もともと際物落語ばかりをやってきた人ですから、圓生の名前はどう考えてもつりあわない。

そして、もう一人の候補が六代目圓窓です。もともとは六代目圓生の弟子ではなかったために、外弟子のように扱われることが多いのですが、おそらく実力的には最も三遊亭の名に相応しいかもしれません。

いずれにしても、自分にとっては圓生と言えば六代目しかありません。少なくとも、自分が生きているうちは、七代目が誕生しないで欲しいと思うのはわがままでしょうかね。