三代目桂米朝さんが亡くなりました。
もう、様々なところで偉業は語られており、今さらですが、戦後ほとんど消えかけた上方落語を復興させた最大の功労者であることに異を唱えるものはいません。
そして、 米朝の死によって、上方落語の真髄を語れる落語家は再びほとんどいないという状況に戻ってしまったことも、大変残念なことです。現存する「師匠」と呼ばれているような方は、もはや「お笑い芸人」の域を出るものではありません。
高校生の頃に、落語にはまったとき、江戸落語とは違う上方落語にも大変興味を持ったものです。当然、その中心は米朝、三代目桂春團治、六代目笑福亭松鶴でした。
中でも米朝は、賑やかで勢いがある関西弁ですが、一定の品があり、芸としての完成された世界は、一聴して引き込まれる魅力がありました。研究者としての知識だけなら学者ですが、それを実演するための演技者としての力量とのバランスは絶品でした。
大変多くのレパートリーがありましたが、やはり「地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)」は、最も有名な演目でしょう。上方落語には旅噺と呼ばれるジャンルがあり、その中でも最も長尺で難しいと言われています。
米朝が、散逸していたエピソードをこつこつと集めて、現代的な感覚もうまく混ぜて再構成したことは良く知られています。
最近は「落語ブーム」みたいなことが言われていますが、自分の知っている昭和の落語からすれば、芸としての熟練度は到底及ぶものではなく、江戸だけではなく桂米朝の死によって上方落語も終わった感があることが大変寂しく思います。
合掌