ついに三位一体節後第22主日になりました。いやぁ~、長かったです。三位一体主日は、6月15日でしたから、その後から数えて5ヶ月間、いよいよ最後の三位一体節後第××主日、キリスト教的年度末になるわけです。
三位一体節後は、いくつかのキリスト教の祝日が間にありましたが、基本的にはほぼ無風状態でした。おかげで、ずいぶんと本を読んだり、ネット探索をしたり、そして音楽そのものも、いろいろと聴くことができました。
この日のために残されているカンタータは3つです。
BWV163 各々に各々のものを (1715)
BWV139 幸いなるかな、おのが御神に(1724)
BWV52 偽りの世よ、われは汝に頼まじ(1726)
BWV163はワイマール時代、宮廷の喪が明けて演奏されたもの。3曲目のバスのアリアが特徴的で、伴奏の弦楽器が終始低音域で動き回ります。
BWV139は、バッハにとっては新しい17世紀末に作られたコラールを主題にしています。途中のバスのアリアが、快活な三拍子の弦のからみで歌いこまれていくところが印象的。
BWV52はソプラノ独唱カンタータ。冒頭のシンフォニアは、ケーテン時代のブランデンブルグ協奏曲第1番第1楽章が、ほぼそのまま用いられています。華やかですが、どこかのんびりした感のあるシンフォニアが終わると、ソプラノとオルガンによる急転直下の展開が見事です。
いずれも比較的短く、ガーディナー先生の全集では、あと有名なBWV140が収録されています。鈴木雅明版は、原則として作曲された年代順なので、教会暦にそってまとめて聞こうと思うと大変。コープマンも同じ。アーノンクール&レオンハルト版はBWV順で、それぞれ聴き方はいろいろです。
キリスト教における三位一体論は、なかなか理解しにくいところがあって、内部的にも歴史上議論が多い。そもそも4世紀の公会議で整理された概念ですが、実際「理解するものではなく信じるもの」とされています。
唯一である神でしたが、イエスが昇天して神になるとしたことから、「父と子と聖霊は一つである」と考えましょうということのようですが、音楽を聴く上ではあまり踏み込んでもしょうがない。
とにかく、いよいよ神の子の誕生を待望する待降節がやってきて、キリスト教では新しい年が始まろうとしています。