さて、ミサ曲です。ミサというと、単にキリスト教の礼拝のことと思っていたのですが、バッハの音楽を通していろいろ勉強してみると、最も基本的なことですが、ミサはあくまでもキリスト教カトリックの典礼のこと。
ミサ曲は、歌詞は聖書を基にしたラテン語で書かれていて、一字一句変更は許されません。基本的な構成も決まっていて、必ず入ってくる部分(通常文)と典礼の内容によって除いたり加わったりする部分(固有文)があります。
キリスト教プロテスタントは、ルターの宗教改革により派生して、より民衆にわかりやすくすることを目的にして、自国語であるドイツ語の聖書を使い、ドイツ語による会衆が歌えるコラールを導入しました。
熱烈なルター派に属していたJ.S.バッハは、プロテスタントの教会音楽を暦に沿って整備することをライフワークとして、膨大な量のドイツ語の教会カンタータを作り続けたわけです。
そのバッハが、本来カトリックのためのミサ曲を作っているというのは、少し知識がついてくると奇異に感じるわけです。しかも、バッハの最後の作品とされるのも「ロ短調ミサ曲」であり、実際に演奏する具体的な目的が無かったにもかかわらず、バッハは過去の作品を集大成するかのようにまとめあげたのです。
ルターは、最初からローマから分離独立することを考えていたわけではなく、あくまでも当時のローマの抱える様々な問題を正すために告発しました。結局、ローマから受け入れられず、結果としてプロテスタントと呼ばれる別派を立ち上げることになってしまいます。
ですから、最初からラテン語を排除していたわけではなく、ルター派プロテスタントでは、ラテン語による正規ミサと日常語による礼拝が混在していたわけです。
バッハは1723年のライプツィヒに着任後、早い段階、1か月もしない洗礼者ヨハネの祝日に演奏するカンタータ(BWV167)との抱き合わせで、ミサの中のサンクトゥスを作曲・演奏しています。
さらにその年のクリスマスには、やはりラテン語によるマニフィカト(聖母マリアの祈り)が演奏されています。さらに1733年、ライプツィヒ市当局との対立から、ドレスデン宮廷を味方につけるために、キリエとグロリアからなる小ミサ曲を作曲しザクセン選帝侯に献呈しています。この小ミサ曲は、後年ロ短調ミサ曲に、そっくり取り込まれることになります。
1738年には、集中的に小ミサ曲を立て続けに作り上げました。これらの4曲(BWV233~236)は、通常「ルター派ミサ曲」という呼ばれ方をしています。いずれも、実際には自身のドイツ語教会カンタータに由来しており、実際カンタータの雰囲気を色濃く残しています。これらのパロディ関係については、大変詳しく解説しているホームページがありますので、そちらを参照してください。
いずれにしても、これらの4曲の小ミサ曲と、いくつかある単独のキリエ、サンクトゥス、クレド(偽作も含まれる)などは、その目的は不明ですが、何らかの礼拝での使用を念頭に置いていたと考えるしかありません。
CDは、小ミサ曲を網羅したものは多くはありません。ヘレヴェッヘのものや、パーセル・カルテットのものが、比較的入手しやすく人気があるようです。
自分は、フランス人のカウンターテナー、ラファエル・ピジョンが率いる新進気鋭のEnsemble Pygmalionのものを購入しました。1733年版ミサ曲も含めて収録していて、まとめて聴くことができます。