2014年1月3日金曜日

藁の盾 (2013)

昨年のカンヌ映画祭に出品され、「そして父になる」と共に、話題にはなった三池崇史監督の作品。昨年の映画界がいまいちと感じた作品の一つ。

それにしても、思い出すのはヒッチコックの言葉。「サスペンスは迫る側と迫られる側を交互に描いていく」ことで観ている側に緊迫感が増す。そして「映画は観客の期待を裏切ってはいけない」という主旨の発言もしていました。

この映画は、サスペンスなのですが、ある種逃亡劇で主人公たちの主観からなかなか離れることが無い。危機は突然振って沸いてくるので、びっくりさせられる。すべてそうなら、それも一つの演出として成り立つのでしょうが、逆に妙にのんびりしていてだらけた瞬間も、特に後半に多い。

そして、絶対的にだめなのが、結末までに観客の期待を裏切り続けるところ。つまり、観ていてほっとできないし、最終的に見終わった後の救いがない(わずかな救いを用意はしているものの本筋とは関係が無い)。

物語は、完全に人間のクズと言える殺人犯(藤原竜也)に対して、被害者の大金持ちの家族が懸賞金10億円をかけて殺害するようにメディアに対して大々的な広告を出すところから始まります。そこで、福岡から安全に護送する任務についたのが大沢たかおと松嶋奈々子のSP。

人を殺しても10億円が手に入ればよしとする一般人が現れ、次々と危険が迫ってくる。さらに警察内部にも、すでに手がまわしてあって、彼らの行動はインターネットで筒抜け。警察官すら、殺そうとして襲ってくるという絶望的な状況。

そもそも、金のために何でもしてしまうという心理がいただけない。確かにそういう面は誰にでもあるかもしれませんが、それは人に知られなければという条件付のものではないでしょうか。その方が、より人の道徳観念に厳しい言い方かもしれません。逆に、衆人環視のもと、堂々と殺人をするほど、人は落ちぶれてはいないと思います。

それでも、前半は突進してくるタンクローリーや、鉄道での護送に切り替えてからの列車内のアクションなど、スピーディな展開でけっこう飽きずに観る事ができます。ところが、列車を降りてからの後半のテンションの下がり方は尋常じゃない。

歩くか車に乗るだけで、アクションと言えるものは皆無に使い。裸同然のそこんとこで、襲われなくてどうするのと言いたくなる。この過程で「クズ」の藤原竜也は徹底的に、クズ発言を繰り返し、その度に観ていて気分が悪くなる。

途中で松嶋をだまして逃亡を試みるのですが、ここでは執拗に松嶋が気を取られる演出。完璧なSPという設定にしては、ぼんくらすぎ。さらにどうしようもないのは、このあと、ぼんくらが極まって松嶋は藤原に射殺されてしまうというところ。

基本的にはこの映画の唯一のヒロインである、松嶋を殺してしまうことは松嶋ファンならずともがっかりしまうわけです。しかも、殺した理由が「おばさん臭い」からとくれば、もう観客は何らかの形で藤原が死なないと気持ちの収まりがつかない。

そして、ついに大沢一人で警視庁の前に護送してくることになるわけですが、ここで懸賞金をつけた張本人、山崎務がよぼよぼの老人として登場してくる。どうしたら、こういう場面が成立するのか理解に苦しむのですが、あまりに陳腐なエンディングで笑うしかありませんでした。

エピローグで、死刑判決を言い渡された藤原が言う「後悔・・・反省しています。どうせ死刑になるなら、もっとやっておけばよかった」というセリフだけはすごいと思った。こういう形の映画の締めとしては許せます。こういう流れで、徹底的に藤原の異常な凶悪犯像を描いてきたのだから、いまさら「ごめんなさい」とか言われるほうが白けます。

ところが、その後に、さらに追加して松嶋のこどもと仲良く歩いている大沢というおまけはよけい。さすがに、どこかに観客の救いを入れたかったのかもしれませんが、この不徹底で完全にアウト。

・・・と、まぁ、さんざんなことを書いてしまいましたが、さんざんなことを言いたくなるような映画でしたということ。こういう映画もあっていいとは言いませんが、こういう映画があると多少は他の映画がよく見えるというものです。