2022年7月26日火曜日

俳句の鑑賞 2 獄門島の句

俳句鑑賞の力をつけるために、まずは聞き覚えのある俳句から入ってみるのがよさそうです。とは言っても、知っている句は数限りなく少ないので、とりあえずこの3句を並べてみました。

たぶん、昭和の人間は、70~80年代に角川書店が仕掛けた横溝正史ブームを覚えていると思います。昭和の推理小説、と言うより探偵小説と呼ぶ方が似合っているんですが、名探偵、金田一耕助が何事件に挑むシリーズが大ヒットして、映画やTVドラマがたくさん制作されました。

「獄門島」は金田一シリーズとしては初期の作品ですが、横溝正史作品としては3本の指に入る傑作とされています。戦地からの復員船の中で、自分が帰らないと妹たちが殺されると言い残し息を引き取った友人に替わって、金田一耕助が獄門島にやってきます。しかし、三人の娘が、俳句に見立てて次々と殺されてしまうのでした!!


というわけで、その俳句がこちら。


無残やな兜の下のきりぎりす 松尾芭蕉

鶯の身を逆さまに初音かな 宝井其角

一つ家に遊女も寝たり萩と月 松尾芭蕉

最初は「奥の細道」から、石川県の多太神社を訪れた芭蕉の句。は、平家側の斎藤実盛は、幼い木曽義仲の命を救ったものの、後年、白髪を染め若武者と見せ出陣し義仲に討たれました。義仲は、恩人のために多太神社に兜を奉納したのです。「戦いたくない戦を強いられた実盛は気の毒だ。この兜の下のきりぎりす(こおろぎ)は、その悲しみを思い鳴いているのだろう」という内容のもの。

これは史実を知らないと理解できない句で、「獄門島」でしか知らなかったら、きりぎりすが兜の下敷きになって潰れて死んでいるかのように思います。俳句を心底理解するには、本当に知っておくべき知識量が半端ないというところでしょうか。

二番目は、芭蕉の弟子、宝井其角(榎本其角)のもの。身の軽い鶯が木の枝につかまり、上下が逆になっても、初音を聞かせてくれる。初音は、その年最初に聞く鳥や虫の鳴き声ですが、一般には鶯に特化された言葉。

三番目は再び芭蕉の「奥の細道」から。月の美しい晩に、庭に萩の花が咲く一軒の宿に遊女と泊り合わせた。おそらく、芭蕉は遊女達の薄幸を気の毒に思う心情から詠んだと思われます。

本来は、いずれもとても風情のある句なんですが、どうも「獄門島」で殺された娘たちがこれらの句に見立てられていたため、そっちのイメージがなかなか払拭できません。半世紀戻せるなら、先に芭蕉を勉強しておくべきでした。

というわけで、これじゃああまり鑑賞の勉強にはならなかったかもです。