2022年7月25日月曜日

俳句の鑑賞 1 高濱虚子

俳句は作るのは大事ですが、それと同等に重要なのが他人の句を鑑賞すること。まさに「人の振り見て我が身を直す」ことをしないと、いつまでも自己満足だけで終わってしまいます。

そもそも俳句という形式を確立したのは松尾芭蕉と言われていますから、おおよそ400年という歴史があり、多くの名句が誕生しているわけで、それらすべてを鑑賞するわけにもいかない。

それでも、それなりに代表的な俳句は、例えば歳時記の季語の例句として掲載されていますので、季語を調べるときに必ずどうして名句とされるのかをしっかり鑑賞することを心がけたいものです。


炎天の地上花あり百日紅 高浜虚子

これは高濱虚子(たかはまきょし)の句。虚子は、明治の巨星、正岡子規に端を発する「ホトトギス」を引き継ぎ、五七五の形式と季語を重視し客観的な見たままを詠むことを強く推奨し、明治から昭和戦後期の俳句界の最重鎮となった人。現在も、ホトトギスおよびその派生集団は、ほぼ虚子の孫、曾孫らが主宰となっています。

さて、この時期にまさにぴったりな俳句です。虚子の言うまさに客観写生の句と言えます。まず、鑑賞するに当たって、最初にすべきは解釈です。そのまま何を表しているかを明確にします。

この句の解釈は、「大変暑さの厳しい時期であるが、地の上(高い所)には百日紅(さるすべり)の花が咲いている」ということ。

次に句の構造を理解しましょう。形式は定型的な五七五で、季語は、夏の天文に分類される「炎天」ですが、実は「百日紅」も夏の植物に含まれる季語。つまり、季重なりです。

季重なりは初心者はできるだけ避けることが望ましいと言われますが、主役となる季語が明確にわかる場合は良しとされます。「炎天や」というように、暑さを詠嘆・強調するように切ると、主役は「炎天」になってしまいそうですが、「炎天の」であくまで中七の「地上」を修飾するので、名詞止でびしっと決まった「百日紅」が主役と考えるのが順当。

百日紅は夏の間、ずっと花が次から次へと咲き続けることから漢字が、また、樹皮がすべすべしていて、「木登り上手の猿でも滑ってしまう」ということから呼び名が由来します。夏の暑い時期を象徴する草木と言えます。

そこまで理解した上で、この句の言いたいことを考えることが鑑賞ということになります。鑑賞は個人の自由ですから、個々に色々と感じるままに内容を理解すれば良いこと。真夏のギラギラと照り付ける日差しに、思わず上を見上げたら、直接に陽があたるようなずっと高い場所に真っ赤な百日紅の花が咲いていることに生命力のすばらしさを感じた・・・というところでしょうか。