2022年7月18日月曜日

俳句の勉強 6 てにをは

研究論文などで、「てにをは」が正しくない文章と怒られたことがあります。「てにをは」とは、正しくは助詞のことで、言葉に付け加えて前後の関係を表わす付属語。英語だと"on"とか"in"のような前置詞みたいな働きをします。

国文法の勉強に深入りするのは難しすぎるので、このくらいの知識に留めておきますが、俳句では助詞が大事で、使い方一つで内容がガラっと変わってしまうこともあるので、慎重に選ばないといけません。

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)」という有名な句がありますが、「ば」は仮定をつなぐ接続助詞、「が」は動作の主体を示す格助詞です。

たとえば「柿食うと」とすると、同じ接続助詞でも、「と」は確定を意味するので「柿を食べれば必ず鐘が鳴る」ような感じになります。

また「鐘も鳴る」とすれと、係助詞の「も」は似たものを強調するので、鐘以外にも鳴っているものがあることになってしまいます。

このような初心者向けの説明は、ちょっと探すと山ほど出てきます。作者が注目したいものによって慎重に助詞を選ぶことが重要ですし、読む側もそれを読み解く力が必要だということになります。


夏の海驚き払う飛ぶ海月

当然「夏の海」が夏の季語です。小学校の臨海学校に行った時の思い出ですが、泳いでいて急に腕に痛みを感じて「驚き」、何かゼリー状のものがへばりついていたので腕を振り「払う」ようにしたら、そのままゼリーは「飛ぶ」ようにいなくなりました。それが「海月(クラゲ)」との初接触だったわけで、腕を滑っていったので、全体が赤く腫れてけっこう辛い思いをしたものです。

おそらくこの句のポイントは、驚く、払う、飛ぶという動詞が3つ出てくるところじゃないでしょうか。一般に、俳句では動詞は少なくし、無くてもかまわないという考え方が主流のようです。

動詞をたくさん使うと、散文的になってしまい、情景が確定して想像性が希薄になるということらしい。動詞を省略して、読み手に何が起こっているのかうまく想像させることができる句が良いということ。

そして、当然指摘されるのは「海月」も季語なので季重なりということ。ただ、この句の場合はクラゲで季節を表現したいわけではないので、単なる物体として登場していると考えれば、主体はあくまで「夏の海」なのでご容赦願いたいところです。

それと、もう一点気になるのは、夏の海、驚き、払う、飛ぶ、海月というように全部がぶつぶつと切れている感じがするところ。声に出して読んでみると、それがテンポの良いリズムになっている感じもするんですが、どうでしょう?