原則として俳句は「上五、中七、下五」と言うように、17文字(17音)から成立します。これ組み合わせは、読んだときにリズムがあって、日本人的な落ち着きが得られる組み合わせ。
その中に組み込めるように、最大限の省略や言い換えなどをするわけですが、どうしても5文字、あるいは7文字以内に収まりきらない言葉を使いたい時があるものです。そもそも6文字、あるいは8文字以上の季語もあったりします。
上中下の決まった文字数を超えて作句する場合、それを「字余り」と呼びます。逆に、あえて埋めきらない場合もあって、それは「字足らず」です。ただでさえ使える文字数が少なくて四苦八苦しているので、字足らずの句は珍しい。
字余りでも、何文字でも増やしていいのかというと、きちんと決まっているわけではありませんが、どんなに多くても3文字までが望ましいと言われています。たいていは1文字多い物が多いようです。多くなればなるほど、リズムがとれなくなり、散文調になってしまいます。
ただし、どうしても適切な文字数の言葉が思いつかないから、結果として字余りになったというのはダメで、最初から余りが出ることで句としての面白さが増すようにわざと使うというのが正しい・・・とは言っても、初心者には難しいですよね。
字余りの代表句として、しばしばあげられるのは芭蕉の句です。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 松尾芭蕉
芭蕉の生前、最後の句としても有名な物。上句が「たびにやんで」で6文字で1文字の字余り。「病んで」としなくても、「病み」とかで文字数を合わせても意味は通りそうです。しかし「病んで」としたことで、「病んだために」という意味が強くなり、続く中句以下の原因としいて強調されます。また、字余りでリズムを狂わせ、不安感を醸し出す効果もありそうです。
雀の子そこのけそこのけお馬が通る 小林一茶
これも有名です。上五中八下七で、全体で3文字オーバーですが、この場合は声に出してみると妙にリズムがはずんで、いかにも馬が歩いている様子が見えてきます。
一方、字足らずの例として必ず取り上げられるのがこれ。
兎も片耳垂るる大暑かな 芥川龍之介
上四の字足らずです。当初は「子兎も」で5文字にしていたのが、人に言われて「子」をとって、あえて字足らずにしたらしい。
睡蓮、根は泥の中モネ知らず
またもや無謀な挑戦。字足らずに挑戦です。
「睡蓮」は晩夏の季語で、水面に美しい花と葉を浮かべている様子はとても絵になります。植物にとって一番大事なのは根っこですが、睡蓮の根は水底の泥の中にあります。印象派のモネのたくさんの睡蓮をモチーフにした絵画はとても有名ですが、モネは根が泥の中だって知っていたのかなぁと・・・
上五にどんっと「睡蓮」を置いてみましたが、残念ながら4文字しかない。睡蓮のイメージを強く印象づけるための定石としては、「睡蓮や」と切れをつけるのが普通だと思います。
でも、あえて4文字で止めて一瞬の間を作ると、睡蓮をぼーっと見ていたら中下の内容をふと思いついたみたいなほんわりした感じにできるように思いました。間を強調するため句読点を入れています(文字数としてはカウントしません)。
でも、素人の無理矢理感は否めませんよね。