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2019年10月28日月曜日

Leonard Bernstein WPO / Mahler Symphony #9 (1971)

実は、この2週間くらい、手持ちの音源だけでなく、いろいろな動画サイトを駆使してマーラーの交響曲第9番を繰り返し見聞きしています。

アバドだけでも、CDでベルリンフィル、ウィーンフィル、ビデオでグスタフ・マーラー・ユーゲントとルツェルンの4種類。

コンセルトヘボウのハイティンク、シュトゥッガルトのノリトン、サイトウキネンの小澤征爾などのビデオが手軽に観れちゃうなんてすごい時代です。

そして、マーラーといえばバーンスタイン。CDは4種類。他にウィーンフィルを引き連れてベルリンフィル本拠地に乗り込んだ公式ビデオがあります。さらに1985年のイスラエルフィルを引き連れた日本公演のビデオ(隠し撮り?)も見れます。

録音数の割に、マーラー通の方々からあまりアバドは高い評価を受けていないように思うのですが、たぶんそれは他の指揮者がいろいろな思い入れたっぷりに「自分の音はこれだ」と言わんばかりの演奏をするからじゃないかと。

だんだんとわかってきたんですが、マーラーは作曲家であると同時に優れた指揮者でした。マーラー自身が、指揮者が曲をいろいろと歪曲して好き勝手に演奏することを知らないはずがない。

ですから、自分の楽曲を大切にするために、ものすごく細かいところまで楽譜に書き込んで演奏方法を指定していました。ただし、第9番は自ら初演する前に亡くなっているので、実際に演奏しての推敲が含まれていない。つまり演奏者が付け入るスキが残されているかもしれません。

アバドのマーラーは「おとなしい」と言われ、オケがやりたいようにやっているみたいな思われるわけなんですが、はっきりと「死」をテーマにしている楽曲であることを考えると、アバドの演奏は奇をてらうことなく、むしろマーラーの意向を最大限素直に表現しているように思います。

とは言っても、こういうことは結局人それぞれ好き嫌いの話で、主観的なものですから、技術的な部分は別として、誰がなんと言おうと自分の感覚にマッチすればそれが名演・名盤ということで落ち着く話です。

若者だけのグスタフ・マーラー・ユーゲントは、さすがにアバドのこどもたちで、只物ではない。26歳以下のメンバーだけとは思えないくらいの実力で、アバドに必死に食らいついていく感じはさすがです。

ただし、続けてルツェルンを聴くと、さすがに超がつく実力派集団です。演奏能力は圧倒的に優っているのが、素人の耳にもわかります。特に最終数分間、他の指揮者の演奏と比べてもこれ以上は無理と言えるくらいの最弱音での安定感は圧倒的です。

そして、バーンスタインにも触れないわけにはいきません。70年代のバーンスタインの全交響曲の映像は、クラシック音楽の世界遺産です。ただし、アバドのマーラーに慣れてしまうと、ここで聴かれる音楽は「バーンスタイン節」なんでしょうね。元気はつらつ、ファイト一発みたいなマーラーで、主たるオケであるウィーンフィルはついていけていないところもあるように思いました。

第9番は、特に敵地に乗り込んでみたいところで、硬さがあることは否めない。何かお客さんもカラヤンに慣れていて、バーンスタインの指揮ぶりには面食らっている感じがします。それでも、バーンスタイン本人はのりのり。第4楽章途中からは、譜面をめくることもしなくなって、音に委ねているのか次から次へと自然と体が動いている感じ。

これは編集上の問題ですが、曲が終わると途端にばっさり映像が終了してしまうのは残念。アバドのまるで自らの「死を迎えた」かのような長い余韻は、この曲のエピローグとして重要な要素に含まれていると思います。

作曲家であり指揮者、ニューヨークフィルとウィーンフィルをまたにかけたユダヤ人という共通点が多いマーラーとバーンスタイン。バーンスタインは、マーラーの曲を「自分が作ったみたいに思う」と言っていたくらい思い入れがある。

当然、マーラーの演奏の在り方として一つの時代を作った名演の数々によって、バーンスタインは忘れてはいけない存在であることは間違いありません。そうであるなら、アバドのマーラーは余計な衣ははぎ取ってマーラーの考えを端的に表現したものと言える名演だろうという気がします。