2012年11月30日金曜日

対症治療と原因治療

以前、けっこう遠く(普通なら旅行感覚でいくような場所)の病院へ土日の2泊3日当直バイトに行っていたことがあります。かなり田舎で、医者を探すのに大変だったのでしょう。普通のバイト料の1.5倍くらいで、往復が大変だったことを除けば、かなり美味しいバイトでした。

さらに時々院長の土曜日外来の代診こみというときもあったりして、その場合は給与の上乗せが半端ではありません。そこの院長というのが、整形外科の学会ではかなり有名な先生で、某有名私立医大で教授になるかならないかくらいの方でした。

実際は、教授になれずに都落ちみたいなところだったようですが、それでもあの先生のかわりの外来をするというのは、初めてのときは相当緊張したのを覚えています。

ところが、実際行ってみると・・・看護師に呼ばれて行くと、診察室のベッドに患者さんのお年寄りがこちらに背を向けて4人座っています。しかも、みんな服をめくって、腰を出している。

そして渡されたのが、痛み止めの入った注射器。何も聞かなくていいから、さっさと腰に注射しろと言わんばかりの目配せで、こちらもよくわからないので「ハイ、次。ハイ、次」と注射をしていく。4人終わると、また待合室から4人呼ばれて入ってくるなり、同じように座って腰を出すんです。

数十人、そんな具合に注射すると、あとは普通の外来がポツポツあって、なんともいいんだか悪いんだかわからないようなうちに終了。代わりで診療をしている身としては、余計なことは何も言えませんから、黙って指示されたようにこなしましたが、あの先生ともあろうものがという気持ちが出てくるのは当然のこと。

さすがに、今でもあれはないわと思っていますが、一つだけ勉強になったことがあります。

患者さんは、体調を崩したときその原因をはっきりさせた上で、2種類に分かれるということです。多少語弊があるかもしれませんが、比較的都会に多いのが、原因をしっかり取り除くことを希望する方。そして、比較的田舎に多いのが、とにかく辛い今の症状を減らして欲しいと思う方。

仕事を休んだり、代わりを頼める人と、自分が休むと生活が成り立たないような人の違いという言い方もあるかもしれません。単なるめんどうくさいのが嫌いなだけかもしれませんし、考え方はいろいろだということです。

原因の種類によっては、選択の余地がない場合はありますが、患者さんの求めているものは何かを考えて、原因治療をすすめるか対象治療を中心にするかは、よく相談をしていくことが大切。やはり、患者さんと医者は同一の目線で病気を考えないと、治療に対する満足度というのは高くできませんね。

2012年11月29日木曜日

クリニック大掃除

今日は、午後からクリニックの床の清掃を業者を入れてやりました。

実は、業者が入るのは初めてのこと。今までどうしていたかというと、もともとワックスなどの必要のない床にしていたので、毎日の清掃とときどきのモップでの水拭きが中心。

毎年、年末最後の診療後に気合を入れた掃除を自前でしていたんです。 去年はひざまずいて「激オチ君」大会をしたんですが、おかげで膝は痛いは腰は辛いは、翌日には腕は筋肉痛になるはで大変でした。

さすがに年をとってくると、こういう作業がしんどい・・・ということで、今年は業者にお願いすることにしたわけです。

クリニックが広いので、もしも通常の床清掃作業だと10万円近くかかってしまいそうなのですが、ワックス無しでかなり安くなりました。

それにしても、ふだん動かせないようなものも移動しての掃除ですから、見えないところからたくさんのゴミが出てくるものです。とりあえず、だいぶすっきりしたので大満足でした。

2012年11月28日水曜日

スターフルーツ

何でも知っているつもりでも、知らないことは世界中にごまんとある・・・って、当たり前ですけど。これも知らなかった。今まで見たこともないし、聞いたこともありませんでした。

名称、スターフルーツ。確かに断面が五角形で、まさにスター。切る前の形は、いかにも南国のフルーツという感じ。もちろん、いただきもの。

で、かんじんの味のほうは・・・う~ん、微妙ですなぁ。全体にかなり薄味で、うっすらと甘いような、なんとなく酸っぱいような、ほんわりと渋いような感じ。

食感は、多少さくさくした感じがあって、梨が近いかもしれません。これは、食物繊維が豊富ってことでしょうか。

貰っておいて申し訳ないのですが、とても美味しいとは言えない。でも、けっこう高価なもののようですから、 それなりに味あわせていただきました。

とりあえず、しばしこのフルーツを話題に盛り上がったりできましたので、楽しいときをすごすことに十分に貢献しました。

2012年11月27日火曜日

冬到来準備

この1週間、寒さが厳しくなってきました。街のいたるところで、急速に紅葉がひろがっています。

近くの銀杏の街路樹は、いっきに黄色になって、あとは葉が落ちるだけという感じになってきました。 暦は12月から冬ですから、冬突入の準備OKというところでしょうか。

今年は暖冬という予想が、寒さが厳しい冬になると変更されました。すでに北海道には、猛烈な寒波が入り込んで大雪になっているようです。

大震災以降、しだいに生活は以前の状態に戻ってきましたが、意識は変わったと思います。寒さに対して、どのように備えるかはヒトそれぞれだとは思いますが、少なくとも無駄な電気の使用は控えようと思う気持ちは続いています。

気の早いところでは、すでにおなじみのイルミネーションを始めた個人の住宅はもちろん、お店でもクリスマスの装飾をしたところもありますね。

クリニックでも、毎年12月にはツリーや冬のアイテムを並べたり、サンタクロースの折り紙を差し上げたりしています。こちらは、準備OK。スタッフ全員で400個のサンタを折り上げました。

巷では、ウイルス性急性腸炎が激増しているのも冬のおとずれを感じさせますし、インフルエンザの予防接種もピークとなり冬への備えは万全という感じでしょうか。

さぁ、いつでも来い!! 寒さなんかには負けないぞ!!

2012年11月26日月曜日

肝炎勉強会 @ センター南

今夜は地元のセンター南の大学病院で、再活性化による肝炎についての講演会にいきました。都筑区医師会の内科医会が関係する会で、自分は本来関係ないところですが、行ってよかったです。

必ずしも肝臓疾患を専門にしているとは限らない医者を対象にしていると思ったので、自分のような門外漢にもわかりやすい話を期待していたのですが、まさにその通りでした。

肝炎そのものの基礎的な話は、なかなか聞く機会はないので自分で本を読むしかありません。ただ、特にB型肝炎は複雑なので、専門家でないとなかなか理解が難しい。もちろん、今夜ちょっと聞いただけでわかったわけではありませんが・・・

肝炎の基本はウイルスによる直接の障害ではなく、ウイルス感染した肝細胞を免疫反応によって破壊していくことが原因。ですから、免疫機構に影響を及ぼす何らかの治療を行うことがウイルスの再活性化を起こすことが問題となっています。

そのような治療は、患者数からも関節リウマチが代表的な疾患となります。リウマチは自分の関節に対してアレルギーを起こしているような、自己免疫性疾患の一つです。治療では、内服でも注射でも免疫を調整することが中心。

もちろん、リウマチ患者さんでの肝炎ウイルス再活性は、そんなに頻繁に経験することはなく、比較的珍しいことです。しかし、症状が出た場合には重篤な状態になりやすいため、無視できない。学会でもガイドラインを作って、診療の中で注意をしていくことを喚起しています。

それにしても、学生の頃と違って、新しく勉強することがなかなか頭に入っていかないのは頭がだいぶ固くなったせいでしょうか・・・

2012年11月25日日曜日

休みの日曜日

今日は、かみさんもこどもも朝からでかけてまして・・・

とーちゃん一人の日曜日!!
丸々休みです~

というわけで、ブログもやすみ。あいからず。

それにしても、逆に一人っきりで、何もすることが浮かびませんが・・・

2012年11月24日土曜日

ランナー

健康志向の高まりなのか、単なるブームなのか、まぁ何でかはどうでもいいんですけど、世の中は走っているヒトが多いっす。いえ、何もバスに乗り遅れるからって急いでいるわけじゃない。

ジョギングとかランニングとか言いますけどね、まぁ要するに有酸素運動というわけです。有酸素運動は、呼吸をつづけて酸素を取り込みながらする運動で、より脂肪の燃焼を促進するので・・・

メタボリックなヒトには喜ばれる。こりゃ、嬉しい。何しろ、食事だけでダイエットしても、リバウンドしたり、むしろ筋肉も減ってしまい体力を落として失敗するじゃないすか。筋肉を減らすと基礎代謝も減っちゃいますからね。

何にしても、整形外科的には走るのが好きなヒトで、足を痛くしたり膝を痛くすることがよくあることが問題です。何しろほとんどの走っているヒトは、もともと長距離の走り方のコーチングなんて受けたことがないでしょ。

自分が言うのもなんですけど、短距離と長距離では走り方が違う。言ってみれば、別のスポーツということです。誰でも「かけっこ」はやったことがあるっしょ。そいつは短距離の走り方なんです。

短距離は、息を止めて一気に走り抜ける無酸素運動。これを長距離でやったら、そりゃ足にも膝にも負担がかからないわけがない。

是非、いいことですから、皆さんに走ってもらいたいものですが、その前に一度はしっかりと教室などで走り方を勉強してもらいたいと思うんですよね。

2012年11月23日金曜日

コストコ

コストコは、今更説明の必要はないでしょう。最近は、コンビニで解説本が売られているくらいです。

実は、自分は今まで実際に行った事は無く、大量のトイレットペーパーとか、巨大な肉とかにびっくりしていただけでした。

そもそも、会員制ですけどうちは会員ではないので、家内のともだちにくっついていくコバンザメ戦法。数人で行って、必要なものをあとで半分ずつとかに分けてシェアするのが現実的です。

それにしても、まぁ天井が高いこと。にもかかわらず、みんな巨大なカートを押していくので、通路は渋滞。あちこちで衝突事故が多発していました。

保存が可能なものを中心に、あれも欲しいこれも欲しいとカートに突っ込んでいったので、けっこうな金額になってびっくり。冷静に考えると、それほど安いとも思えない値段も少なくありません。

買い物をするという行為は、質で勝負するか量で勝負するのか、何で満足感を得るのかはいろいろですが、いずれにしてもほどほどがいいようです。

2012年11月22日木曜日

TOKYOエアポート 第6話

久しぶりにテレビのドラマを毎週見ているんですけど、それはフジテレビの日曜日の「TOKYOエアポート」で、ちょっと前にもここで書き込んでいます。

最近のドラマとしては地味なほうで、視聴率も第1回こそ14%くらいでしたが、その後は8~9%で今クールのドラマの中ではベスト10からは落ちてしまいます。

しかし、人気タレントだけにおんぶするような中身の無いドラマと違って、事故がなくて当たり前で注目されることも無く褒められることも無い空港の管制官を主人公にして、現実的な危機管理をしっかりと描く作りは高官がもてます。

さて、前回で後半に突入の第6話ということだったのですが、この話は医者としても大変興味深いものでした。離陸したばかりの政府専用機の中で大臣が脳梗塞を起こし、緊急で羽田に戻ってくる話。

ところが、そのすぐ後ろに200人の乗客が乗った旅客機がエンジンか故障し緊急の着陸を要請してきます。政府専用機はまた燃料がたくさん残っていて、安全な着陸のための規定をクリアしていない。

燃料を捨てたいが、すぐ後ろにいる故障した飛行機への影響を考慮すると管制官は廃棄を許可できない。大臣は一時心肺停止になる状況で、一刻を争う。

そこで管制官は、両方の機体を安全に着陸させ、より多くの人命の安全を確保するために、政府専用機を後回しにして故障機を先に下ろすという選択をします。当然、メディアから大臣が死にそうな状況で着陸を後回しにしたことを批判し、大問題となってしまうというわけです。

燃料をたくさん残して着陸した場合、機体が破損したりオーバーランを起こして大事故になるかもしれません。そうなると、後続の故障機は着陸場所を失い200人以上の人命が失われるかもしれません。

管制官は起こった事故をどうにかするのが仕事ではなく、事故を未然に防ぐことが使命ですから、
確実により多くの命を守るという観点から、管制官側は管制官の選択は正解であると主張します。

実際、自分も基本的にはそれには賛成できると考えます。大災害が起こった場合は、助からない可能性が高い命よりも助かる命を優先するのが災害医療の鉄則です。

ただし、職業で命の大きさが変わるものではないと建前ではありますが、現実には無意識の中である程度の差をつけて考えるのは本音の部分でまちがいなくある。

さらに、この話の場合、まだ災害に至っていないので、発生した順番で助かるか助からないかにかかわらず、最大限の努力をする救急医療の観点から考えると、緊急性の高い大臣の命を優先すべきとするのも当然です。

本当の正解はなかなか結論が出ないのかもしれませんが、こういう点を考えさせるチャンスをもらえるという点でもすぐれたドラマと考えます。ドラマは後半戦に入ってきましたが、是非皆さんにも見てもらいたいと思います。

2012年11月21日水曜日

プチ連休

今週は金曜日に勤労感謝の日がありますので、世間の多くの方は3連休ですね。いやぁ~、うらやましいことです。

もしかして人生が終わるときに何か後悔をするとしたら(・・・そんな大袈裟な話でもないけど)、その一つの候補に挙がるのが「週休二日」を経験したかった、というもの。

なにしろ、今まで一度もそういう経験が無いもんで。研修医は勤務時間なんてあって無い様なものでしたから。家には寝に帰るだけ、休日は同期と交代で出勤、あるいは当直だったりしたものです。

1990年頃だったか、4週6休という制度が始めて病院に導入されました。お~、2週に一度は土曜日も休みになるんだぁと大喜び・・・もつかの間、休みになるのは病院だけだと。

つまり、大学病院に勤務していると、医学部の場合は大学の職員として研究と教育以外に診療という3つの仕事をこなさないといけない。4週6休となるのは、あくまでも病院ですから診療の部分だけ。

付属病院は休みでも、医学部は休みではありませんから出勤しないといけない。というわけで、結局4週4休であることに変わりないというわけです。

でも、患者さんは病院が休診になるので医者も休んでいると思われてしまう。まぁ、そりゃそうでしょう。一般病院はヒトが少ないので、出向しているときは当然休みなんて無い。開業医になってからは、いっそう難しい。

今週は木曜は午前だけで、午後からは仕事が無く翌日が祝日で休診。そらに土曜日が夕方までて゜、その翌日が日曜日という、ダブルで休みが重なるというのは連休ではないにしても、すごいことです。

いや~、正直ちょっと、いやだいぶ嬉しい。その分患者さんに迷惑をかける部分もあるかもしれないのですが、こっちも人間なんで、まぁ勘弁してください。

2012年11月20日火曜日

私はこの映画が嫌いです。

AKB48の大島優子さんが、現在公開中の注目の映画「悪の教典」を観て号泣し、「私はこの映画が嫌いです」とコメントしたと話題になっています。

映画については、自分はテレビなどでやってる予告編などの内容しか知らないですし、またその内容から見たいとも思いません。ですから、どうのこうの言うつもりはありません。ただ、主演の伊藤英明の舞台挨拶などでのはゃぎっぷりが・・・

まぁ、それはさておき、大島さんは現在人気のアイドルですから、その言葉にはそれなりの影響力があります。何かを批判する発言は慎重にすべきところですが、少なくとも匿名での発言ではなく、また未成年でもないのでそれ自体は許されると思います。

結局は、そういう話題も宣伝の一環にしてしまおうという映画製作側のたくましい意図が見え隠れしてしまうところもあったりするわけですが、映画の内容からすれば楽しめるヒトと、拒絶するヒトにわかれることは想定内なのは当然でしょう。

以前、深作欣二監督作品「バトルロワイヤル」(2000)という邦画がありましたが、ここでも国の方針によって殺し合いをさせられる中学生という内容に、多くの賛否両論が巻き起こりました。

これはDVDで見ていますが、殺人が行われるある一定の根拠は説明されていますが、少なくとも映画を見ている側が納得できる理由とはいえない。そういう不条理を投げかけたまま映画が進行していくので、自分はまったく映画に入っていけなかったです。

単なる殺し合いのゲームという映像で、何かの問題提起とかもっともらしい理由をつけても映画としての価値は見出せませんでした。基本的に、そういう設定を思いつく原作者がいると言う事のほうが恐ろしい気がします。

映画やテレビドラマでは殺人事件は山ほど描かれていますが、直接殺すシーンが出で来る場合は、一般に残虐と思われる状態が強いほど見ている側にきちんとした理由がわかるようにすることは映画製作上必要なことだろうと思います。

ヒッチコックは「観客の期待を裏切っては、賛同は得られない」というような内容の発言をしています。それを逆手にとって成功したのが「サイコ」なのですが、基本的に映画術として守るべきことのはず。

今後、「悪の教典」についてもいろいろとメディアで論争が起こるのかもしれませんが、いずれにしても教師が自分の生徒を虐殺して行くという基本プロットは、それ自体考え付くこと、また映像化しようと思うことに疑問を感じるのは自分だけでしょうか。教師からの攻撃は「告白」(2010)のようなストーリーが限界という気がします。

2012年11月19日月曜日

L.Visconti / Conversation Piece (1974)

「地獄に堕ちた勇者ども」、「ベニスに死す」とくれば、当然次はゲルマン三部作として有名な「ルードヴィヒ」としたいところですが、実はこれを劇場で見たことが無い。

「ルードヴィヒ」は80年代になってビデオで見たのが最初。しかも完全版で4時間の大作でした。作品としてはもちろん悪いはずがないのですが、自分としては映画館で見た鮮烈な印象が強い「家族の肖像」をヴィスコンティ作品のベストにあげたい。

まずキャスティングの魅力。ヴィスコンティお気に入りの新旧の男優、バート・ランカスターとヘルムート・バーガーが共演しているところがいい。

ランカスターはつまらない西部劇俳優で、あとは「泳ぐ人」、「大空港」でくらいしか思い出さないのですが、ヴィスコンティの「山猫」とこの「家族の肖像」の2本で、映画史に刻まれる俳優となったといったら言い過ぎでしょうか。

バーガーは「地獄に・・・」で鮮烈な女装で衝撃のデヴューをし、ヴィスコンティとは特別な関係があったことは有名で、監督亡き後は未亡人を公然と名乗っていました。

ヴィスコンティの映画としては珍しく、室内のシーンがほとんどで、どちらかというと舞台劇のような・・・つまり、ヴィスコンティにすれば昔取った杵柄のような得意とするステージで話が進んでいきます。

豪華絢爛たるシーンはなく、地味なヴィスコンティの作品の中でも、さらに地味な設定となっていますが、かえってそこに強烈なリアリズムが込められている。

老教授は、身よりもなく家族の様子を描いた古い絵画の収集を唯一の楽しみにしています。そこへ強引に間借りすることになった現代の若者たちが、教授の平穏な毎日に割り込んでくる。はじめは疎ましく感じていた教授は、しだいに「家族」ができたと思うようになりますが、悲劇によって終止符をうたれ、教授も病により息を引き取る。

何も救いがあるわけでもない話ですが、家族という物がどれほどもろい物かを語っているのか、それともだからこそ家族の大切さを語っているのか。それは、見る人の判断なのでしょう。

「ベニスに死す」でのマーラーのアダージオのように、最後の教授の死の床のシーンに流れるのはワーグナーの未発表だったピアノ曲です。この寂寥感が素晴らしくマッチしていて、見終わった後の余韻をながく残す要因となっています。

2012年11月18日日曜日

L.Visconti / Death in Venice (1971)

ヴィスコンティは貴族社会の出身であり、20世紀に入って崩壊していく貴族制度の中で数々の悲喜劇を実体験していた人物です。若い頃から舞台の仕事をはじめ、名監督のジャン・ルノワールのもとで映画を学びました。

1942年の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で監督デヴューし、ネオリアリズムの先駆者の一人としてイタリアのみならず世界映画史上に名を残すことになります。後半生では、自分の出自である貴族の没落がテーマとなり、リアリズムを求めつつも幻想的な作品を作り続けました。

ヴィスコンティの作品では、ひとつの対決軸があるわけで、それは崩壊していく旧体制と勢力を増してくる新体制であることが基本。その構図の中から、翻弄されていく人々のドラマが生まれてくるのです。

ノーベル賞作家であるトーマス・マンが書いた「ベニスに死す」は、まさにヴィスコンティのためにあると言っても過言ではありませんでした。マン自身もドイツの富裕な家庭に生まれ、家族の崩壊、ドイツからの亡命という人生を歩みました。

主人公の作家のモデルは、作曲家のマーラーであることは周知の事実。創作意欲をなくした老境に入った作家が、保養のために訪れたベニスで美少年に心を奪われ、今で言うストーカーまがいの行動をおこすが、流行していたコレラにより命を落とすという話。

マーラーはあくまでも、主人公の設定の上での参考であり、実際にベニスでの話はマン自身の実体験に基づく物でした。そして、映画の中でも美少年への憧れは、そのままヴィスコンティの思いとも重なっていることは間違いない。

この映画の白眉となるのは、最後の浜辺のシーン。マーラーの交響曲第5番第4楽章アタージオが流れる長いシーンです。老いて醜塊を晒す主人公は、床屋のすすめるままに顔を真っ白に塗り、髪の毛を染め、偽りの若さを手に入れます。

そして浜辺で椅子に座って、波打ち際で遊ぶ美少年を見つめ続けます。コレラによって体力を失っている主人公は、美少年がいじめられても助けるだけの行動を起こすことができない。

美少年は、自分の若さや美しさを見せつけ、一方主人公は流れ落ちる汗のため染料が流れ出し、いつわりの若さがはがれ落ちていく中で息絶えていくのです。

老いと若さ、美しさと醜さ。これほどに感動的に描き出したシーンは、知る限り映画史上にはありません。死ぬまでに見なければいけない映画の一本として、絶対に忘れられない作品と思います。

2012年11月17日土曜日

L.Visconti / The Damned (1969)

イタリアの映画監督、ルキノ・ヴィスコンティが亡くなったのは1976年。ああ、もう36年も前だったのかと、最近ふと気がつきました。

若い頃は、いろいろなところで背伸びをしてかっこつけたくなるものです。自分も、当然ずいぶんと生意気なことをやっていた。高校の同級生が映画が大好きで、しかもやたらと難しい映画ばかりを好む奴だったので、浪人していたときに彼からずいぶんと感化されたものです。

彼とは池袋の場末の映画館でオールナイトで黒澤映画を立て続けに見たりもしましたが、男同士で「生きる」とか「どですかでん」とかを眠い目をこすりながら徹夜で見続けて、まぁなんとも色気の無い話です。

ヴィスコンティを知ったのも、そんな彼からの影響でした。遺作となった「イノセント(1976)」の公開にあわせて、過去の作品も上映されたんです。

当時は、ヴィスコンティがどんな人なのかもよく知らず、映画とはとにかく難しい芸術論を戦わせるための道具と思っていて、その素材としては最適なものと考えていたんでしょうね。

「地獄に堕ちた勇者ども」という邦題がついたこの映画は、最初のモーリス・ジャーレの激しい音楽とともに鉄工所の作業の様子がタイトルバックに流れ、とにかく不安をかきたてるような始まり方をします。

富裕層である鉄鋼王の一家の没落の話・・・と思って見ていましたし、退廃した自堕落な生活に主眼がおかれているような印象をもちましたが、結局何の話かよくわからなかったというのが本当のところ。

それでも、ヴィスコンティの画面からほとばしるような強いエネルギーみたいなものはどこかで感じていたんだと思います。どうにかしてこの映画のメッセージを理解しないといけないというような、感覚はずっと続いていました。

この数十年の間に、テレビでも懐古放映されたりもしましたし、DVDも発売され繰り返し見ることができるようになりました。一度見ると、何かひとつわかった気がするのですが、いまだに理解できない何かが残っています。

貴族というもの、ヒットラーが率いたナチスというものを歴史の中からしっかりと把握しないと、この映画の本質はわからないのでしょう。積極的に理解するための努力はしていませんが、また何か新しい発見のために何年かに一度は見たくなる映画の一つです。