夏季臨時休診のお知らせ

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2025年7月20日日曜日

大河への道 (2022)

伊能忠敬記念館というのが千葉県香取市にあります。伊能忠敬は、19世紀初頭に幕府の事業として、日本全国を測量して歩き、初めてのほぼ正確な日本国土の輪郭を表す地図(大日本沿海輿地全図)を作ったことで知られています。

落語家の立川志の輔は記念館を訪れその地図に感動し、伊能忠敬を大河ドラマの主人公にして地域活性に繋げたい市役所職員と当時地図を作っていた人々の右往左往する様子を創作落語「伊能忠敬物語 - 大河への道」にしました。これを原作として、「おんな城主直虎」や「べらぼう」の森下佳子が脚本を担当し、中西健二が監督して実写化されました。

香取市役所総務課の池本(中井貴一)は、観光客誘致のために、大河ドラマで郷里の有名人である伊能忠敬を取り上げてもらうために動き出します。高名な脚本家である加藤(橋爪功)ははじめは池本の話を聞こうとしませんでしたが、記念館を訪れ大日本沿海輿地全図の素晴らしさに感動して仕事を引き受けることにしました。

しかし、プロットの打ち合わせに現れた加藤は、「いろいろと調べた結果・・・伊能忠敬は大河ドラマにはならない」と宣言するのです。あわてた池本らはその理由を尋ねると、「伊能忠敬は大日本沿海輿地全図が完成する3年前に亡くなっている。地図を完成させたのは弟子たちで、盛り上がるラストシーンに主役はいない」と説明するのでした。

ここから、江戸時代に舞台は移ります。幕府天文方である高橋至時の下で修業した伊能忠敬は、1800年、55歳から全国行脚して測量を開始しました。しかし完成まであと一歩という1818年に忠敬は死去します。綿貫善右衛門(平田満)ら弟子たちは、忠敬の死が公になると地図作製は破棄されることを恐れ、このことを秘匿して継続できるように、高橋至時から天文方を引き継いだ息子の高橋景保(中井貴一)に頼み込みます。ばれたら打ち首物だと景保は断りますが、忠敬の元妻だったエイ(北川景子)の策略によって承知せざるをえなくなるのです。

いったい地図はどうなっているという幕府からお尋ねをのらりくらりとかわしつつ、弟子たちは影武者を引き連れて不足分の測量に出かけたりして3年が立とうとしていました。一部の幕府の重鎮は怪しんで密偵の神田(西村まさ彦)に調査を命じ、とっくに忠敬が死んでいるらしいことは知られるところになった時、地図はやっと完成し景保は大博打を打つことにするのです。

伊能忠敬の話は、とてもドラマとして興味深く、主役は弟子たちであっても十分に一本の映画として成立できる内容です。ですから、あえてコメディ・パートの現代劇の前後に置く必要があるのかという疑問が生じます。落語としてはわかる部分ですが、映画となるとどっちつかずの中途半端な印象がありました。

主演の中井貴一が落語に興味を持って映画化を勧めたといい、「単なる時代劇だと受けない」からと説明しているのですが、それは視聴者を見くびっているように思います。誰もが忠敬が地図を「作った」と思っているところに、実は完成前に亡くなっていて弟子たちが引き継いだというだけでも十二分にドラマになっていますし、忠敬の偉業の価値が減じるものではありません。時代劇であっても、人間ドラマとしての面白さには変わりないと思います。

現代と江戸時代で登場する俳優は共通で、そこはちょっと面白い試みだと思います。松山ケンイチ、岸井ゆきのらの他に原作者の立川志の輔も少しだけ登場し、千葉県知事と将軍家斉を演じるのは草刈正雄です。

とぢらかいうと江戸時代が中心なので、大河ドラマを招聘しようとするドタバタ喜劇の意味合いが強いタイトルは似合いません。それなら現代劇だけでしっかり笑わせてくれれば納得というところでしょうか。