2008年2月3日日曜日

節分といえば

・・・・豆まきが定番ですが、最近は恵方巻きもずいぶんとポピュラーになってきました(うちだけ?)。

今日は雪の降るあいにくの天気だというのに、当直あけですぐさま近所のスーパーの朝市にでかけていきまして、食材を調達。まぐろ、かんぴょう、うなぎ、卵焼き、いなりあげ、とびこ、きゅうりなどが勢揃い。七福神にちなんで7種類の具材をいれるそうで、多少せこい具もありますが、とりあえずOKかな。

出来ているものは1本400円程度ですけど、全部で2500円ていどで7本できましたので、まぁまぁ元は取れているかいな。

でも、皆さん想像してみてください。家族がそろって立ち上がり、南南東の方向を向いて太巻きにかぶりついている姿。客観的にみたら爆笑ものかも、と思いつつ、これで家内安泰なら笑われてもいい!!

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夫婦喧嘩は医者も食わない

夜間の救急は、たいていのことは「気の毒になぁ」と思えるし、たまに「しょうがないなぁ」とか「なんで昼間に来ないのよ」程度のことは思うことがあっても、基本的には前向きに対処する覚悟でいます。

が、しかし、しかしですよ、酔っぱらいだけは、同情できることはまずないんですよね。まぁ、昔は先輩に無理矢理に一気飲みをさせられたとかで、運ばれてきたくる人もいましたけど、結局飲んだのは自分でしょ、みたいなとこがあるわけです。さすがに、こればっかりは「嫌な仕事」ですよ。救急車の受け入れで急性アルコール中毒だけは、後で後悔しなかったことはありません。

まず、意識障害というのはやっかいです。本人が症状を自己申告してくれないので、もしかしたら脳出血かもしれない、なんてこともあり得るわけで、酔っぱらい相手にこっちはマジになっちゃう。連れてきた人に話を聞こうにも、たいていそっちも酔っぱらいなわけで、病院に来てシャキッとしている風なんですけど、酒臭いし、ほとんど状況はよくわからんという感じ。

とにかくアルコールを出すには点滴。大量の点滴をして、尿でなるべく早く出すしかありません。それも10分、20分では終わらない。数時間相手をしなければいけません。しかも、タクシーなら割り増し料金になるような時間からですよ。点滴に利尿剤を入れて、少しでも早く尿を出すなんてこともします。

酔っぱらいは、当然トイレに行きたくなります。動こうとすると、ドバーっと吐いたりして惨憺たる状況にしばしばなります。時には、尿カテーテルを入れたりしますけど、これは酔いが覚めてくるとけっこう屈辱的なので、状況によってですかね。そんなこんなで、ホロ酔い程度にもどったら帰ってもらうわけですが、ため息しか出ませんよ。

もう一つ、けっこう気まずい雰囲気で困るのが夫婦喧嘩。しかも、二人揃って来られると、どう話を聞いていいものか悩んでしまいます。どっちも口が硬くなっていて、状況がよくわからなかったり、逆に興奮していて、こっちにまでとばっちりきそうだったりと、これまた話が右往左往してしまいます。下手すりゃ警察沙汰かいな、ってこともあるわけです。

昨夜は、そういう困りものの救急がいっぺんに来ました。つまり、夫婦喧嘩をして殴り合い、奥さんはあちこちに打撲の痕、旦那は唇を切っていて、口の周り血がついていたりして。旦那家を飛び出し、飲み屋に行って酒をかっくらう。奥さん、家で一升瓶を抱えて飲みまくる。旦那が家に戻ると、奥さん意識朦朧、ぶるぶる震えている。旦那はあわてて病院に担いでくる(ということらしい)。

例によって、大量点滴利尿剤入り開始。旦那は耳から血が出たのは大丈夫でしょうか、なんて心配しているんですけど、やったのはお前だろう!!という感じですよ。そのうちトイレに行きたいというわけで、よしよし作戦進行中だぞ。そして、お約束。トイレでゲロゲロ。まぁ、トイレで吐くなら許せます。そうこうしているうちに、病棟で吐血。こっちは同じ吐くにしても、真っ赤な血ですよ。大変大変。あんたたちに関わっている暇はないんだよ(またもやつきを呼んでいる)。

日にちが変わって午前2時前には、ご帰宅していただきました。せめて、次回から酒か喧嘩かどっちかにしてよね。でも、できることなら他のところに駆け込んでくださいよ、と思わず声をかけたくなるのでした。

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2008年2月2日土曜日

時には思い出にひたる

自分の卒業した小学校は、渋谷区立渋谷小学校といいます。青山通りと明治通りと表参道の3つの幹線道路にはさまれた三角形の中央にあって、今から考えると、めちゃめちゃモダンな場所だったわけです。

気高き富士を望みみる 美竹(みたけ)の丘の学舎(まなびや)は
遠き明治の昔より 学びの道を進みなん
あー あー あー 伝統の渋谷 渋谷 我が渋谷

明治から100年の歴史があったのですが、実はずいぶん前に廃校になってしまいました。生徒数が激減したからです。もっとも、自分が在校していた時でも、一学年2クラス。各クラスは30人ですから、全校生徒でも360人しかいなかったのです。

校庭はアスファルトで、トラックは1周100mはなかったと思います。何故か校庭で栽培されていた唐辛子を食べて、唇がお化けのように腫れてしまったことがあります。運動会では、徒競走でリボン(3着以内)を付けてもらったことがありませんでした。職員室の隣の部屋にガリ版印刷の輪転機があって、いろいろなものを印刷しました。裏にはコークスが積み上げられ、冬はストーブにくべるため当番が取りに行きます。

隣には東京都児童会館というのがあって、そこでもいっぱい遊べました。そして、何より、一番の遊び場は青山通りに面した広大な都電の車庫でした。昼間は都電は出払っていますから、ひたすら空き地になっています。その中には使われなくなった廃屋があったりして、勝手に入っては2階から床をが抜けて1階に落っこちたこともあります。

そこらに転がっている廃材を集めて、勝手に基地を作ったこともあります。近くの志賀昆虫という、今もある昆虫採集専門店で道具を調達して車庫の原っぱを駆け回ると、おにやんま以外ならスタンダードな虫はすべて揃うので、夏休みの宿題は問題なしです。

小学校の跡地は消防署に、都電車庫の跡地は子どもの城や国連大学になって、自分の思い出の場所は無くなりました。でも、いろいろな楽しい思い出はいつでも思い出せます。写真もビデオもありませんが、素敵な昭和30年代だったんですよ。

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2008年2月1日金曜日

CookDoがいるエビチリ

これまで、CookDoのいらないシリーズで青椒肉絲麻婆豆腐を紹介しましたけど、残念ながらエビチリだけはCookDoを使った方が早いのです。

なぜなら、他の料理への近い回しがききにくいのです。調味料をそろえても、なかなか消費できませんので、こういうときは、あっさりとCookDoを使った方がいいわけです。

今夜はエビの特売(荏子田の丸正)で、中華にしようということになりました。でも、そこはちょっとがんばりますよ。そのまんまCookDoではネタになりません。とは言っても、そんなにすごい話ではありませんが、春雨を揚げて敷き詰めます。春雨は、袋から出したら、そのまま揚げちゃうわけです。これだけで、けっこう本格ぽくなるんですよね。

もちろんCookDoのいらない青椒肉絲も登場して2品目ですが、うちの肉食獣の腹を満たすには不十分なので、オリジナル中華を一つ追加しました。もやしとキクラゲを炒めます。その上に、鶏のむね肉の細切りを炒めて、薄めの塩とオイスターソースで味付けをしたものをのせました。あっさりした味ですが、なかなか好評でした。

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和食弁当


Dr.Hの朝のアドレナリン放出を願って、いきなり今朝の弁当公開!!

ご飯は茨城産こしひかり(清水台マルエツ 10kg 3400円)
間に海苔をはさんだ2段仕様 おきあみの佃煮付き
頂き物のほうれん草のごま和え
ゴボウとニンジンとリンコンのきんぴら
そして、メインはサワラの味噌漬け
やはりマルエツで2切れ600円の半額を、一晩みりんと八丁味噌でつけました。

次男は一目見てがっかり、長男はOK。社長は「私か求めていたのはこれ!!」
どう?

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2008年1月31日木曜日

今日は大学で手術

このブログの最初の頃に「いつまで手術ができるのか?」みたいなとを書いたんですが、なんだかんだ言って、いまだにコンスタントに手術しているんですよね。今日は昼にクリニックを終えて、青山の女子医大の病院へ直行。この青山の病院は、ちょっとホテルっぽくてきれい。でも、中身は普通の病院なんですけど。

5年前くらいから、時々相談に乗っている30歳のリウマチ患者さんの手の変形の手術をしてきました。変形による日常生活の不便が増してくると、どうしても薬ではどうにもできないので、手術を考えることになってしまいます。特にこの方は全身性エリテマトーデスという膠原病の代表的な病気を合併していて、若いのに大変苦労しているんですよね。以前に指を動かす腱がか切れたのを直す手術をしているので、今回が2回目ということになります。

膠原病とは、内臓や骨・筋肉などを除いた結合組織と呼ばれる部分、特に血管に対して自分でアレルギーを起こしてしまう病気で、リウマチも広い意味では膠原病の一つです。ただ、治療方法が比較的独立していて、手術などのアプローチができるので膠原病の中では独り立ちしました。しかし、仲間の他の膠原病を合併することは、珍しくなく、特に全身性エリテマトーデスは特に多いと言われています。

全身性エリテマトーデスは、基本的には関節の変形は起きませんが、しばしば関節炎は起こし、その結果関節がゆるんでしまうことがあります。たいていはサポータで何とかなるので、手術的な治療が必要になることはありません。ただし、治療上副腎皮質ステロイドホルモンを多量に使うことがあるため、副作用で一部の骨が死んでしまい、手術が必要になることがあります。

一般的には、膠原病は血管炎を主体としており、血流が悪くなりやすいので、手術の時には注意が必要です。ただでさえ、手術では血管をいろいろ切ることになり血流を悪くするわけですから、できるだけいじりすぎないように注意しなければいけません。

今日は若い先生が助手に入ってくれました。若い先生と手術をするときには、できるだけ今何をやっているのか喋りながら手術をするようにしています。とりあえず、やらせてしまうという方法もありますけど、手の手術は、けっこう微妙な部分があるので、とにかく説明をするようにしています。ちゃっと聞いて、理解してくれるようなら、次のチャンスにはメスを預けることがあります。

手術は患者さんという相手がいることなので、きちんとした準備、つまり解剖学の復習、手術の術式の検討、そして実際の手術のイメージトレーニングをしていなければ、メスを持たすのは患者さんに失礼だと思います。これは自分の育てられた環境がそうだったのです。

自分も2年目の最後の方で、初めて腱鞘炎の手術をさせてもらえました。でも、それまでは多くの手術に助手として入って、上の先生から、実際に術者として手術をみているように指導されていて、助手でも手術記録を書かされ、必ず添削されました。ですから、3年目から当直で、いきなり夜中に緊急手術をするようなことになってもあわてないですんだんだと思います。

若い先生は手術ができないとつまらないということをよく言いますが、助手を完璧にこなす方がはるかに大変なことだと気がついてほしいと思います。別の言い方、いやきつい言い方をすると、助手は助ける手と書きますが、ちゃんと勉強をしてこないと邪魔手になっていることの方が多いんですね。ですから、本当の意味で助手になれるように、できる限り説明をするようにしているわけです。

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あっさり鶏むね肉長ネギ和え


えーっと、ちょっと簡単なレシピなんですけど、紹介してもいい? だめ? まぁ、いいじゃないですか。とりあえず、1月最後のネタですから、がまんして読んでくださいよ。

まず、一応、はっきりさせておきたいのは、うちではとーさんが食事の用意をしているのは75%くらいだってことです。当直した日やイベントがあったときは、かーさんがご飯を作っています。いつからでかねぇ? かーさんはクリニックの唯一の正看護士さんなので、ほとんどたち続けで働いています。そんなわけで、いつのまにか朝の弁当もとーさんの仕事になったんですけど、もともと嫌いではないので、定着してしまいました。

さて、今夜は鳥のむね肉をできるだけヘルシーに食べてみたいと思い、初めてやってみました。皮ははがします。これは冷凍しておいて、別の料理に使います。肉の部分を薄めに切ります。ちょっと多めの塩を入れて、少なめのお湯でゆでました。軽く火が通ったら、長ネギをたっぷりいれて、さっとあえます。ざるにあけて、お湯であくを流し去ったらできあがり。

あっさりしていますよね。洗い流すので、塩味もそんなに濃くありません。ご想像の通りです。でも、うちの肉食獣にも好評でした。ご飯のおかずでもOK。酒のあてでもOK。是非、お試しを。

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きょうのワンコ うぎゃー!!

いつも自分の布団の中に潜り込んで寝てしまううちのワンコなのでした・・・・。

ところが、今朝は大変!! うっ!? 何か冷たい・・・うわっ!! おしっこだぁー。一発覚醒、午前4時。それに何か臭い。うぎゃー!! ウンコもある。とーちゃんもおしっこまみれだぁ。

朝から洗濯機を2回まわして毛布やらなんやら洗濯・・・・・さむっ・・・・

2008年1月30日水曜日

The Best Miso-soup

自分は味噌汁が大好きなのです。もしも、もしもですよ、世界が破滅することになって、最後の食事をオーダーできるとしたら、あなたは何にします?

自分は迷わず、おいしい味噌汁とご飯、そして白菜の漬け物。俺は日本人だぁ~!! という食事を是非したいと思っているわけです。たぶんお袋が作ってくれた味噌汁は、ほとんどにぼしのだしで作っていました。

豆腐と絹さや、千六本の大根と油揚げ、わかめ、タマネギとじゃがいもなどなど、たぶん世帯数の数だけ、日本には味噌汁のレシピがあるんでしょうが、昔から自分のBESTはなめこと豆腐と長ネギの3点盛り合わせなのです。

これこそ、The King of Miso-soup、The Greatest Miso-soup in the World。

にぼしは、今ではむしろ手には入りにくいので、かつおだしの素を使っています。スーパーで2袋で100円のなめこを見つけたときには、もう迷わず決まりのメニューとなります。豆腐をいれて、だしを追加。なめこは煮すぎてはいけません。ちょっと煮立ったらOK。味噌はこうじ味噌がいいけど、赤味噌系の仙台味噌もいい。なめこに白味噌は似合いません。火を止めたら最後にたっぷりの長ネギをドバっ。なんか文句あっかぁ~!!

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2008年1月29日火曜日

親の気持ち

自分はこどもができるなら、できれば30歳までにほしかったんですよね。

だって、女の子だったら、いつかどっかの男を連れてきて、「彼と結婚したいの」みたいなことをいうかもしれないじゃないですか。その時、自分が60歳以上になっていたら、力じゃきっと負けるから、「はい、どうぞ」としか言えないじゃないですか。50歳代なら、変な男なら勝負できるんじゃないかと・・・

実際、最初のこどもは女の子で、当時働いていた病院の上司に生まれたという話をしたら、特別に休んでいいから病院に行ってこいと言ってくれました。それから、家内の実家の近くの病院まで数百km。ちょうど、この時が初めての東名高速道路の集中工事だったんです。いつもなら3時間くらいでいけそうなところまで、7時間くらいかけて行った覚えがあります。

それからは、「うちの子が世界で一番かわいい」と周囲に言い続け、親が親ばかしなかったら誰が親ばかすると本気で考えていました。自分が親になると、初めて、自分の親の気持ちがわかってくるんですね。こどもは親が何を言ってもわからない。でも親は、将来を考えてこどもにいろいろなことをいうもんなんですね。こどもが成長することはイコール親が成長するということなんだと、つくづく思い知らされました。

長男が生まれたときは大変でした。今度は自分の実家で生んだのですが、きたぁーもというので、病院に連れて行き、それから待合室で延々と待ちました。日付が変わって、だいぶ待つのに疲れた頃に「はい、お父さん、男の子ですよ」と言われて、ほっと一息。ところが数日後から高熱を出して、小児科の先生に呼ばれて「死ぬかもしれません」と説明され、呆然。親として、しかも医者なのに、何もできません。ただひたすら待つだけです。でも、無事退院。

次男の時は、自宅の近くで出産。いよいよの時は、近所の人にいろいろ頼んで産科に家内を連れて行き、今回は何事もなく出産。両方のおばあちゃんも交互にに手伝いに来てくれました。

こんな話は、他人が読んでもおもしろいものでもないでしょうが、まあいつかこどもたちが、これを読んだとしたら(すでに読んでいるようですけど)、あまり夕食の話題にはならないので、ちょっとは親の気持ちも理解してくれるのではと思っています。

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2008年1月28日月曜日

壁に耳あり障子に目あり

今日は、午後の診療を休ませていただいたのですが、それというのも個別指導というものをやってきたのです。これは開業してから1年半から2年くらいのところで、ちゃんと保険診療をしているかチェックするから、カルテやらなんやら資料を用意して来るのだぞ、という会なのです。

とにかく資料を準備するだけで、たいそう疲れてしまいました。うちは電子カルテ+デジタルレントゲン(フイルムレス)で診療をしているわけで、これは国の要望に沿った形式であるわけです。ところが、資料は全部「紙」で持って行かないといけません。レントゲンも紙に印刷してこいというわけで、電子カルテを通常の紙カルテの形に印刷し直すなんて、ほんと馬鹿げた話です。こんなことをやっているから、電子カルテが普及しないんだぞ!!っと思ってしまうわけです。

それはともかく、閑話休題、By the Way、まず市営地下鉄に乗って、ふっと前を見ると患者さんが座ってました。「おー、奥さん、元気?」といきなりパンチ攻撃。「また、おかしくなったら行くから」といって途中で失礼しました。

指導の会場について、さて指導の先生を見てびっくり。10年くらい前に、一緒にアメリカの講習会に行ったことがあり、今でも患者さんを時々お願いしている有名な先生なんです。今年の正月明けにも、一人紹介して手術をしてもらったところ。おかげで、やさ~しく指導してもらえました。「もう少しカルテを書いてね」といわれて終了。

帰り道、地下鉄に乗ると、またもや患者さんと遭遇。「これから行きますから」って、今日は休診ですから。おしゃべりしていたら、センター南で降り損ないました。

センター北で降りると、目の前に別の患者さんが。「なんで、こんな時間にここにいるのよ」と言われ、かくかくしかじかと説明しているうちに、南行きの電車を一つ乗り過ごし・・・・ほんと漫画みたいな午後でした。

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2008年1月27日日曜日

つきを呼ぶ医者

自分が医者になったばかりの時には、卒業した大学の夜間の救急は小さな夜間専用外来があって、入院が必要なときには各科の病棟に入院することになっていました。救急専門の医者はいないので、看護士さんが何となく当直を呼んでいたんですかね。

2年目のときに、全国でも早い救命救急センターが完成し、救急専任の医者とローテーションで回る研修医が配属されるようになりました。守備範囲は神奈川県西半分全部と伊豆半島の東側までを含む広い範囲で、当初より絶対に救急車を断らないことが徹底していたのです。おかげで、すさまじい野戦病院状態となりましたが、医者は育ちました。自分で判断できることは、さっさと決めて行動に移さないと、どんどん仕事がたまってしまいます。

自分は2年目の最後のローテーションで救命センターに行きました。整形外科以外に、一般外科、放射線科、麻酔科などをやりましたのでけっこう実働できたと思います。この時に直接胸の中に手を突っ込んで、心臓を直接マッサージするなんてことも経験しました。ローテーションが終了して3年目からは希望していた各科の専属となりますが、当然整形外科は外傷のからみで救急とは縁が切れるはずもなく、ほぼ毎日のように救命救急センターに日参していました。

基本的には1カ所しか骨折が無いようなヒトは運ばれてきません。頭やお腹のケガは当たり前。「今日は細かいのもいれると34カ所骨折していた」とか、「珍しく3カ所しか骨折してなかったよ」という会話が普通にかわされます。そうなると、全部をこなしている余裕はありません。開腹手術が始まる横で、邪魔にならないようにさっさと後からでも何とかできるような程度に処置をします。骨折のけがの治療の方が後々まで時間がかかるのは当然なので、初期の応急処置をちゃんとしておかないと困るのは自分です。

救急のスタッフからは「整形に入らず救急にはいったんか?」と言われ、脳外科の先輩には「また、お前か!」とあきれられ、外科の先生からも「君が当直だとろくなことがない」というありさまでした。4年目と5年目は外の病院にいましたが、6年目に大学に戻ってくると、またもや同じ状況で、ピーポーピーポーという救急車の音はセーケーセーケーとまじ聞こえるわけです。さすがにリウマチセンターに移ってからは救急は基本的にないわけです。15年間救急車が当たり前の生活をしてきたので、最初は落ち着かない気分でした。

そして開業して、当然救急とは縁を切ったようなつもりでしたが、医師会の関係で救急関係の仕事が入ります。そして、生活のために当直をするようになると、またしても患者さん急変という場面に遭遇するようになりました。とはいっても、いわゆる「老人病院」での当直なので、救急車はそんなにひどいのは連れてきません。

むしろ、病棟が大変。ご家族と主治医の間で病状の納得ができていて、無理に延命処置をしないケースが多いので、急変時には家族の到着まで何とかするのが一番の仕事になります。しかし、お年寄りはそんな話ができていないうちに急変することはしばしば。こういうときはあせりますよね。心肺蘇生全開モードになるわけですが、こちらも普段を知っているわけではないので、状況把握はほとんど不可能なわけです。家族の方に責められたこともありますが、できるだけするしかありません。

そんなことが重なって、当直に行って病棟に顔を出すと、またあんたかと言われるようになってしまいました。実は、今朝もいきなり心停止で起こされました。救急講習会を成果を見せなければ、というわけではないのですが、幸い心拍再開できたものの、意識が戻らず呼吸が無理なので、ご家族の希望で人工呼吸器をセットすることになりました。

こんなことはそうそう無い病院で、着実にそんな目に遭遇している自分はラッキー or アンラッキー?

(答え:ラッキーだと思っています。おかげで医者としてのカンがにぶらずにすんでいる・・・と思う。たぶん。)

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サッポロ一番 熊本とんこつラーメン

まー油入りに惹かれて買ってみました。サッポロで熊本というのも、ふーんっというところですが、まずパーッケージなんですけど、真っ赤なところは熊本郷土玩具のお化けの金太郎を思い出させます。ただ、デザインとしてはあまりぱっとしないなぁ。

麺はノンフライ、熱湯4分です。最初に入れるかやくにはちょっとだけきくらげが入っているのが、何となく嬉しいかも。スープは粉と液体にわかれていて、さらにレトルトパックがついている。何が出てくるかわくわくします。

さて、お湯を入れかやくを入れ、しばし待ちます。もういいかな、ってんで蓋を開けます。スープは粉の方は、けっこう白い粉と大粒の黒いものがいっぱい。焦がしたにんにく?かなぁ。液体は、何と大量のまー油だ。レトルトはチャーシューとシナチク。スープについてはなかなかいけるんですが、ただ熊本ラーメンといわれるとちょっとなぁ、と思ってしまいます。

熊本といえば、桂花ラーメンがゴールデン・スタンダードですよ。ノンフライ麺は味が染みにくいと思いませんか。なんか、スープと麺が別々に存在している感じなんですよ。それにちょっとまー油はおおすぎかなぁ。それぞれが一体となった感じがする名作が、やはりカップヌードルですかね。

というわけで、スープは★★、麺は×、かやくは★というところで総合★。一度食べればいいかなという評価です。

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2008年1月26日土曜日

ぴあの

クラシックなんて、譜面通りに演奏してんだから、誰の演奏でも一緒じゃん。一応、有名な曲くらい知ってないといかんので、とにかくどれでもいいから安いもので持っていればいいじゃん。というのが、何年か前までの自分の気持ちでしたっけね。特にピアノは苦手で、どれを聞いても同じにしか聞こえない。Midiの打ち込み音楽でもいいじゃん、みたいに思っていたんですね。

でもね、2000年に復活したフジ子さんを聞いたときに、何このピアノ、って思ったわけです。一応世間の評判通り、何か今までに聞いたことがある楽譜をなぞっていくだけの音楽とは違うものがあったんですね。魂を揺さぶるというのは大げさですが、ピアニストの叫びが伝わってくる感じなんですよ。

そして、2006年夏にGlenn Gouldに再会したんです。中学生以来、30数年ぶりに聞いて鳥肌が立つようでした。J.S.BachのGoldberg Variationsは、そのあとの半年くらいの間に本当に数十回は聞きましたよ。Gouldはペダルをほんど使わないんです。時には、信じられないことに足を組んで演奏するくらいですからね。自分の指先の力だけで、一つ一つの音を紡いでいくという感じです。

他の演奏家のGoldbergもいろいろ聞き比べてみました。ピアノ、チェンバロ、ギター、ジャズ版など、それはそれは様々な演奏があるんですね。でも、自分にとってはGouldがバイブルです。

そして、それからクラシックのピアノというものを本気で聞く気にさせてくれたわけです。Beethovenのソナタといったって、情熱的な演奏、ロマンチックな演奏、淡々とした演奏など様々で、演奏者の解釈によって、それこそvariation状態です。

技巧的な部分ばかりが話題になりやすいLisztだって、トータルな音楽の完成度があるから技巧が光るんですよね。交響曲や弦楽四重奏が中心のShostakovichも、Bachの平均律クラーヴィアにヒントを得た前奏曲とフーガ集が素晴らしい。HaydnもBrahmsも、なかなかすぐれたピアノ曲をいっぱい作っているんですね。

ピアノは最も完成された楽器の一つなんでしょう。一人でソロも伴奏も、オーケストラなみに繰り広げる力があるわけで、あーちゃんと習っておけばよかったと、思うのでした。隣家のお嬢さんはお母さんからピアノを習っていて、時々怒られて泣いている声が聞こえたことがありましたが、漏れ聞こえてくる演奏がどんどん良くなっていて、勝手にがんばれー、と応援してしまうのでした。

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