2007年6月15日金曜日

クリント・イーストウッドのDirty Harry

イーストウッドの代名詞とも云える「ダーティ・ハリー」シリーズ。全部で5作あるけど、実際のところロサンジェルス市警のハリー・キャラハン刑事のキャラクターが際立っているのは第1作だけだよね。

第2作は前作のヒットを受けて作られたわけだけど、全体のイメージは引き継いでいるものの、むしろその中で刑事アクション物の色彩を強く出しているし、3作目になるとそれがさらにパワーアップ、さすがにマンネリを嫌って休養に入るわけです。

ちょっと時間をおいて、イーストウッド自らメガホンをとった4作目は、時代がかわりキャラハンも変わらざるえない。キャラハンを終わらせるためのレクイエム的存在。第5作は、イーストウッドが後輩のために一肌脱いで付き合ったっていう程度の作品。映画は読み切り小説だったので、シリーズ化されるものは当時は珍しく、それだけ人気があったということ。

1960年代のアメリカは明らかに病んでいて、ベトナム戦争の泥沼の中からそれまでの体制に対抗する様々なピープルが世に出てきて犯罪が急増した。60年代後半からハリウッド映画界もニューシネマと呼ばれる新しい感性を押し出した映画を数多く製作しだした。巨大なセットを組み人気スターを起用した金をかけた大作は過去のものとなる。

映画の題材はより身近なものに求められ、観客がより共感しやすいテーマが喜ばれるようになった。ただ何となくカーニバルを見に行くバイク乗りの破滅的行程を描く「イージー・ライダー」、反戦活動に関係して悲劇的結末にいたる「いちご白書」、死に方を求めてギャングを続けた「俺たちに明日はない」、いずれをとっても行き場を失ったアメリカの迷走の縮図だ。

刑事ものも当然変化を余儀なくされる。ポパイことジーン・ハックマン演じる「フレンチ・コネクション」は1971年アカデミー作品賞を受賞した異色作であった。

同じ年、B級映画監督とされていたドン・シーゲルが、マカロニ・ウェスタンで一躍名を上げた非主流派西部劇スターのイーストウッドのアウトロー・イメージにそういう時代の風をうまくのせてしまった。

キャラハン刑事は個人主義である。単独行動が好きで、本人は「俺の相棒は死ぬから」とうそぶいているが、実際のところハリーが勝手をするから相棒が困るわけで、自分の価値観だけで行動するところはまさに現在の「アメリカ」に通ずるというといい過ぎか。

悪い奴は悪いんだから、撃ち殺す。ある意味ではわかりやすい行動原理。体制にくみすことなく、名誉に対する執着もない。最後に警察官バッヂを投げ捨てていくキャラハンに、痛烈な風刺がこめられていた。

イーストウッドにとっても、それまでのイメージを転換させるおおきなターニング・ポイントになった。この前にシーゲルとは「マンハッタン無宿」で一緒に仕事をしていたが、これは西部劇をそのまま現代にもってきたような映画で、イーストウッドの役回りは、まさに保安官助手であった。

「ダーティ・ハリー」では部分的にイーストウッドが監督を行った部分があることは有名な話で、このあと監督デヴューする布石となる。アウトロー的な部分を残しながらも、都会の中に混ざり合った軽快なアクション・スターとしての一歩となったのだ。

第4作の「Sudden Impact」は、そのきめぜりふがあまりにも有名になってしまい、一見それまでのキャラハンの流れを受け継ぐもののように勘違いしやすい。「Go ahead, make my day (さぁ撃てよ、俺にも撃たせてくれよ)」なんてかっこいいじゃありませんか。

ところが、ちょっと違うんですな。まず、いきなりキャラハンはいつものように無鉄砲にやっちまうんですが、それで上司に怒られ事実上飛ばされちゃう。お前みたいに好き勝手やる時代遅れはいらない、みたいなことをいわれちまう。

ダーティ・ハリー登場して14年。時代はかわったね。人権擁護団体が出てきて、何かと口を挟んでいくんじゃ、さすがのキャラハンもうんざりだ。第1作のバス飛び乗りのパロディと思えるのが、老人ホームのバスに飛び乗りカーチェイス。しかしキャラハンに喝采を送るのは老人ばかりだ。

そういうイライラを吹き飛ばすのが、「Make my day !!」である。ラストのかっこよさは、イーストウッド自らが用意した、キャラハンを葬るための最高の花道でしょう。
すべての人々がキャラハン化した今のアメリカでは、もはやダーティではなく、埋もれてしまったキャラクターとなった。一時代が終わり、もう復活することは無いだろう。