今年も初詣に行きましたので、前にも十社宮の話題は出したことがある。今回は。ちょっと深堀してみたいと思います。
十社宮(じっしゃぐう)は、青葉区美しが丘西2丁目にある小さな神社で、年始と例祭の時は自治会が中心になって世話人が出動していますが、常駐する宮司さんがいない無人の社です。
いつからあるのかはわかっていませんが、「新編武蔵風土記稿」には名が出てくるので、少なくとも江戸時代の初期と考えられています。江戸時代には石川村と呼ばれていたこの地域の氏神として十社権現社と呼ばれていました。
薬師堂と共に別当満願院(現・満願寺、あざみ野4丁目)が管理していたのですが、明治になって神仏分離令によって十社権現社は現在の場所に移転したものとされています。境内には末社として八雲神社が併設されています。
十社宮の御祭神は大勢います。列挙してみます。
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
国狭槌尊(くにのさずちのみこと)
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
泥土煮尊(ういじにのみこと)
沙土煮尊(すいじにのみこと)
大戸道尊(おおとのじのみこと)
大戸辺尊(おおとのべのみこと)
本多和気尊(ほむだわけのみこと)
天児屋根尊(あめのこやねのみこと)
大日孁尊(おおひるめのみこと)
つまり十柱の神を祀っていることが呼称の由来となっています。ここで、ちょっとあれ? っと思った方はけっこう神社のことをよく知っている方です。
一番末席にいる大日孁尊(おおひるめのみこと)は、日本神話の最高神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)の別名・尊称です。すべての神社の頂点に君臨する伊勢神宮は天照大御神を崇めていて、基本的に神社は何は無くても天照大御神は外せない。
実はトップに位置する国常立尊は、天地開闢の最初に現れた神様の中の神様なんです。その次に現れたのが国狭槌尊と豊斟渟尊です。ちなみに国狭槌尊は日本書紀には登場しますが、古事記には見当たらないという不思議な存在。
続いて泥土煮尊と沙土煮尊の夫婦神が現れ、一代飛ばして大戸道尊と大戸辺尊となり、さらに一代飛ばすと 伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)が登場します。伊邪那岐と伊邪那美から天照、月読、須佐之男が生まれていよいよ古代史は盛り上がっていきます。
天児屋根尊が抜けたんですが、天児屋根尊(または天児屋命)は、天岩戸神話の際に、岩戸に閉じこもった天照に出てくるように祝詞を奏上した神様で、天照の孫の瓊瓊杵尊(ニニギ)の天孫降臨に際にお供をしました。
いずれも天照より格上、または年上ということで、天照が末席に甘んじるという興味深い順列になっているというわけです。
小さな氏神様ですが、天照大御神のさらに上をいく強力な神様たちが集まっているので、頼もしさはそんじょそこらの神社には負けるはずがありません。
