夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2026年7月6日月曜日

Around DYLAN - Woody Guthrie


ウディ・ガスリーは、洋楽を聴くなら、どこかで一度は耳にしたことがある名前です。アメリカの最も重要な文化人の一人で、音楽家に限らず多くの人々に影響を与えました。ボブ・ディランにとっても、十代の頃に強く憧れたアイドルであり、彼のフォーク・スタイルに多大な影響を及ぼしました。

ガスリーの代表曲である、「This Land is Your Land」は、アメリカの第2の国歌と呼ばれ、歌えない人はいないと言われています。ディランも度々ステージで取り上げていました。立ち位置は違いますが、例えば日本なら美空ひばりが近い存在感かもしれません。今の若い人でも美空ひばりの名前は聞いたことがあるでしょうし、昭和の頃には美空ひばりに影響されていない歌手はいないと言ってもいいくらいだと思います。

ウディ・ガスリーは1912年、オクラホマ生まれ。1930年代から音楽活動を始め、労働階級の人々の抱える問題を題材とした多くの歌を作り歌います。直接的な政治活動はしませんでしたが、下級労働者や共産主義者からは圧倒的な支持を得るようになります。折しも大恐慌により人々の暮らしが困難を極めた時代に、ラジオから聞こえてくるガスリーの歌は多くの人の心の拠り所になったのです。

1940年代にニューヨークに進出したガスリーは、フォーク・コミュニティに迎い入れられ仲間を作りつつ、レコード制作に乗り出します。下級階層の人々に寄り添うガスリーの歌は、自然と反体制的な内容を持つプロテスト・ソングという流れを作ります。自作した曲は1000曲以上といわれていますが、1940年代を通じてモーゼス・アッシュが録音した一連のものが、「Asch Recordings」として知られています。現在ではスミソニアン・フォークウェイズから、リマスターされた4枚のCD、全105曲がガスリー・コレクションの中核をなしています。

1940年代末から健康状態が悪化し、1952年母親からの遺伝によるハンチントン病と診断されます。また、事故によりギターを弾けなくなるのです。1956年以後は入院生活を余儀なくされたのです。

ロックンロールが好きな普通の高校生だったディランは、大学に入学すると友人からガスリーのレコードを勧められ強い衝撃を受けました。エレキギターを売り払ってフォークギターに持ち替えて、気持ちの上ではガスリーに「弟子入り」したのです。ディランの初期の歌唱は、実に「ガスリー的」です。大好きだったガスリーの節回しを自然と真似てしまうのは、ごく自然な事でした。

1961年はじめ、大学を中退してニューヨークに出てきたディランは、ニュージャージーで入院療養中だったガスリーを見舞いました。半年間ほどの間、頻回にガスリーのもとを訪れたディランは、傍らでギターを弾きガスリーの歌を何度も歌ったのです。このことがディランに歌を創作する意欲をもたらせたわけで、最初に作った「Song for Woody」はデヴュー・アルバムに収録されました。

ガスリーは1965年には話すこともできなくなり、ついに1967年10月3日にニューヨークの最後の入院先の病院で亡くなりました。当時、交通事故後の隠遁生活を続けていたディランは、翌年1月20日にカーネギーホールで行われたガスリー追悼コンサートにThe Bandを伴って1年半ぶりに姿を現しました。観客はロックになったガスリーの歌に驚きますが、2年前に浴びたブーイングと違い、大きな歓声に包まれました。