2011年7月23日土曜日

テレビ終焉

・・・と、言ってもアナログテレビ。明日のお昼で終了です。

今で言う「メディア」というのは情報媒体のことですが、昭和30年代のテレビの登場は画像を伴ったリアルタイムな情報伝達を可能にした、まさにメディアの象徴ではないでしょうか。

昨日話題にした「ぴあ」、は文字による情報伝達の一つの成功した見本でした。文字の特性として、情報を得たい人は、好きな時に好きなものを選ぶことができます。

一方、テレビは基本的には放送された瞬間から音も画面も消えていくわけで、情報を得る側がテレビに合わせないといけない。そこが、ある程度テレビの「おごり」を招いていたのではないかと思うんですよね。

視聴率さえとれればいい番組だみたいな感覚が、きっとテレビ業界の人たちの中にあると思うんです。テレビは本当に、皆が必要とする正しい情報をつたえてきたのでしょうか。

よく引き合いに出されるのは、連合赤軍の浅間山荘事件。このとき、テレビはぶっ通しで「戦争」の生中継を続けました。そして日航ジャンボ墜落事故では、競って現場にカメラを持ち込み、生存者の救出を生中継して称えられたものです。

確かに、リアルタイムにお茶の間に「現実」を届けるという点ではテレビは画期的でした。しかし、視聴率のためのその「現実」を創作するということもしばしば露呈しています。

テレビが終わるといっても、もちろんデジタル放送はとっくに始まっているわけです。視聴者に負担を負わせてのデジタル化が、ただ画面がきれいになっただけで終わらないことを切に希望するしだいです。

ちょうどフジテレビが27時間テレビというのを放送中ですが、生放送中のあまりの時間の無駄使いにあきれてしまいました。こんな低次元の放送に労力を使うくらいなら、27時間完全放送停止するくらいのほうが、よほど社会に貢献できるかも。

そんなわけで、このままテレビ放送すべてが完全に終了しても、あまり困らないだろうなと漠然と考えてしまいました。