2007年7月29日日曜日

正札附

これは昭和の大落語家、六代目三遊亭圓生の出囃子の曲名です。

三味の単音で「チン・チン・チン・チン・チンチトチン・・・」と始まり、「えー、昔はってぇと・・・」としゃべりだす。ここで必ず湯飲みから白湯を音をたててすするんですね。そこまでで、すでに圓生ワールドにトリップしてしまうんです。

20年間育ててきた自分のパソコンの漢字変換辞書には、当初から「圓生」を登録してあります。しばしば「リウマチの圓生は・・・」などと誤変換してしまいます。

落語との出会いは高校生の時でした。当時はロック少年であり、ジャズを聞きだしその一方落語にはまるという支離滅裂な状態であったわけですが、アイドル的には古今亭志ん朝が一番人気でしたが、圓生の貫禄のある、それでいて艶っぽい芸風は高校生も魅了しました。

文楽・志ん生・金馬といった名落語家はすでに鬼籍に入り、小さん・馬生は暗くて気分が乗らない。むしろ、そこを通り越して談志の方が、よほどするどさがあり楽しかったですね。

圓生はスタジオ録音で、自分の演目のかなりのものをレコードに残してくれました。当時、毎月2セットずつ発売され全部で50セットくらいの壮大な企画だったのですが、1セットがレコード3枚組みで6000円くらいでした。さすがに高校生には買いきれません。そこで友人と二人で分担して買っていったのですが、だいぶ買い損ねました。

それでも、だいぶがんばって、今でも手元にかなりの枚数が残っています。ロックやジャズのレコードはかびてしまったので処分して、ぜんぜん残っていないのですが、圓生のレコードだけは実家に置いていたので難をまぬがれました。

数年前に、何とかしてもう一度聞きたくて、わざわざレコードプレイヤーを買いました。この企画の面白いところは、すべての出囃子を圓生が練りに練ってすべて変えているところなのです。まるで、出囃子や小唄・端唄の音楽辞典状態なのです。その中で、やはり正札附が出てきたときにはものすごく嬉しかったのを覚えています。


1979年9月3日、圓生永眠。もう30年近く経ちますが、今でも悔しく思い出されるのは、9月4日の朝刊の1面が「上野動物園パンダのランラン死す」だったことです。

自分にとっては、圓生が亡くなったことの文化的喪失は何事にも変えられないものでしたので、「なんでパンダごときが圓生より幅をとっているんだ!」と、思ったわけです。

さて、今夜は「三軒長屋」をたっぷり1時間楽しみましょう。