2016年11月11日金曜日

女子医リウマチセンター分室の閉鎖


東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター(長っ!!)というのが正式名称ですが、もともとは1982年に現東京都庁の隣にある新宿NSビルの中のテナントの区画として始まったもの。

1982年というと約35年前で、自分もまだ医学生だった頃。関節リウマチという病気の概念がやっと出来上がり、抗リウマチ薬のほとんどがまだ一般使用されていなかったことを考えると、センターとして独立させようという考え方は画期的だと思います。

その後、新宿区河田町の女子医の本拠地の一角に独立棟が完成し、そちらを本部としNSビルは分室という形で診療が継続されてきました。

しかし、分室をついに来年2月で閉鎖することに決まりました。 これにより、すべての診療体制は本部に集約されることになります。

自分が常勤でリウマチセンターに在籍していた時は、分室と本部の外来と青山の病棟という3か所を回るという、考えてみると大学病院施設としてはありえないような形態でした。

曜日によっては3か所全部をまわらないといけなかったので、移動だけでもかなり手間。一時は自転車を使って走り回ったこともありますが、都営地下鉄大江戸線ができてからは多少便利になりました。

実は、自分は3か所の中ではNS分室が一番好きでした。何しろコンパクトで、事務スタッフ、看護師らとの距離が近いので、チームとしてのまとまりを強く感じられる場所でした。

たしか2008年だったかと思いますが、病棟部門も青山病院から本院病棟に移動になり、いよいよ分室が閉鎖するとなると、リウマチセンターは河田町に一本化され、働く側としてはかなりやりやすくなります。

長年、分室を利用されてきた患者さんにとっては、大変残念なことだろうと思いますが、何かあると本部に回されたりしていたことを考えると、必ず利便性は改善されることだと思います。

日本の関節リウマチ医療はここで始まったと言っても過言ではない、リウマチセンター発祥の地の閉鎖はいろいろな意味で残念なところはありますが、より良い医療を提供していくための発展的解消と考えたいと思います。