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2015年1月19日月曜日

イタリア・ルネサンス

キリスト教社会が形成されていくうちに、文化的要素は宗教色、それもキリスト教の絶対性が強まり、しだいに禁欲的で人間性が失われたものばかりになってしまいました。もともと、ローマ・ギリシャ文化では、個性や人間らしさが尊重されていたわけで、14世紀頃にはそれらを抑制された文化が日々を支配していたわけです。

当時のイタリアでは、イスラム圏の文化人の流入により、他文化を空気が流入しやすい環境にありました。そして、東方貿易により経済的には余力を蓄え、特に北イタリアのフィレンツェで大富豪として君臨したメディチ家が学者や文化人のパトロンとしての機能を果たしたことが、まさに今でいうルネサンス(再生)の始まりと言えます。

ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の「神曲」は、ルネサンスの先駆的作品とされています。ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)は西洋絵画の父とよばれ、自然な構図・描出法を取り入れました。ジョヴァンニ・ボッカッチョ(1313-1375)の「デカメロン」は恋愛やユーモアを取り混ぜた、人間くさい近代小説のはしり。

それらの下地のもとに、メディチ家の基礎を築いたコジモ・デ・メディチ(1389-1464)と、続くロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)の時代に、イタリア・ルネサンスは一時代を作り上げました。

そこには、人文主義、あるいはヒューマニズムと呼ばれる考え方があり、カトリックの価値観はそのままに人間を人間らしくありのままに自由に生きていこうという意識が凝縮しています。メディチ家の庇護のもと、15世紀になると偉大な後世に残る作品が次々と世に出ると同時に、ヨーロッパ中に拡大していくことになります。

イタリア・ルネサンスでは、特に絵画・彫刻・建築などの美術分野での作品が多く残されています。絵画を中心に考えると、画家たちへの依頼人はそれまで基本的には教会だったわけですが、宮廷・貴族などの知識人からの仕事が増えるようになります。彼らは、自分に直接的に関係するような内容で描くように頼んでくるわけですが、より知的で複雑な内容を含む主題が用いられるようになりました。

美術史的には、この時期からその絵に描かれているものが単純に何かというだけでは絵の理解が困難になっていきました。示しているテーマが何かを解読するために、描かれたものの隠れた意味を解読し、その内容のベースにある精神的・観念的な思想・哲学の概念を知る必要が出てきます。このような解読方法をイコノロジー(図象解釈学)と呼んでいます。

さて、大胆に画家の数を絞って、イタリア・ルネサンスのエッセンスを勉強してみます。初期の代表的な芸術家としては、マザッチォ(1401-1428)、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1416-1492)の二人があげられます。

マザッチォは、人物描写に立体的な質感を与え、風景空間の中に厳密に配置する技法が特徴で、それはまさに影の描き方と遠近法の確立につながります。27歳という若さで亡くなっていますが、その影響力は絶大でした。サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂の壁を埋める壁画、特に「貢の銭」、「楽園追放」が有名です。

フランチェスカは、徹底的に幾何学的技巧を追及し、それらに基づいた著書も残しています。「慈悲の聖母」では保守的なパトロンの要求に答えつつも、遠近法や数学的な比率を用いる新技術を導入しています。「キリストの洗礼」、「キリストの鞭打ち」、そして長大な連作画である「聖十字架伝説」などが残されています。

次の世代のスーパースターは、サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)とレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の二人です。イタリア・ルネサンスを定着させた、最大の功労者に数えられる存在といえます。

二人に共通する人物がアンドレ・デル・ヴェロッキオ(1435-1488)です。フィレンツェの彼の工房は、ヴェロッキオを親方として、ボッティチェリやレオナルドのような才気あふれる人材が集まり、活気のある共同作業を行っていました。ヴェロッキオ作とされる「キリストの洗礼」では、明らかに左側の風景や天使像にはレオナルドの特徴が見て取れます。

ボッティチェリは、当初マザッチォの影響を強く受けるフィリッポ・リッピ(1406-1469)の工房で修業し、その後ヴェロッキオのもとにも出入りし、メディチ家との関係も深く持っていました。

最大の特徴は、キリスト教が本来否定する前キリスト教文化と人文主義を合理的に結び付け、これらとキリスト教も含めて出所は一緒であるとした新プラトン主義に傾倒した作品といえます。プラトン的な愛(プラトニック・ラブ)によって、人間が神の領域に近づくことができると考え、神秘的・官能的な「春(プリマヴェーラ)」や「ヴィーナスの誕生」が代表作となりました。

レオナルドは絵画だけにとどまらず、彫刻、音楽、医学、数学、建築など「万能の天才」と呼ばれるイタリア・ルネサンス最大の巨人です。彼の興味ほ持った範囲のあまりの広さは、人類史上最大と言われ、しかもすべてを理論的に洞察する超人的な完全主義者でした。

人体を生物として正確に描くことは、ルネッサンスの画家の共通する特徴でしたが、レオナルドは完璧を期すために、自らも人体解剖を行うという徹底ぶりでした。これらのスケッチが大量に残されていますが、いずれも医学的な正確さでは、現代の解剖学所のイラストにひけを取りません。しかも、科学的な解剖図に、芸術的なデフォルメが施されているものも見事の一言に尽きます。

完成作品の少なさでは群を抜いているにもかかわらず、絵画作品はいずれも人類史上最高傑作と呼ばれるものばかりです。特に「受胎告知」、「岩窟の聖母」、「最後の晩餐」、「洗礼者ヨハネ」、「モナ・リザ」などは、絵画に興味がない人でも一度や二度は目にしたことあると思います。

絵画におけるレオナルドの特徴は、完成された遠近法とスママートと言えるかもしれません。数学的に計算され尽くした空間に、完璧な遠近法を導入してるにもかかわらず、自然すぎて見る者はそれをあまり意識しません。それまでははっきりとした線、影、塗など好まれていたのに対して、レオナルドはスフマート技法を積極的に取り込み、淡い色調やぼかした輪郭により、キャンバス上により自然な空気が漂うようになったのです。

イタリア・ルネッサンスの最盛期を支えた最後の巨人が、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)とラファエロ・サンツィオ(1483-1520)の二人。

ミケランジェロは、基本的には彫刻家であり、「ピエタ」、「ダビデ像」は大変有名です。存命中に伝記が発表されたり、「神に愛された男」と呼ばれたりして早くから高い評価を受けていました。しかし、最も名前を不動のものにしたのは、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれた創世記をテーマにした壮大な天井画と祭壇壁画の「最後の審判」です。

ラファエロは、典型的なルネサンス画家として最高の評価をされている一人。芸術的かつ科学的なバランスの調和は、他の追従を許さないといわれています。多数の聖母子像、ヴァチカン宮殿のラファエロの間とも呼ばれる署名の間を飾る一連の作品などがことに有名です。

15世紀末にメディチ家はロレンツォの失策により破綻し、彼の死後すぐにフィリンツェを追放されてしまいます。しかし、1512年にハプスブルク家の援助のもとフィレンツェを奪還し、当主のジョヴァンニは翌年ローマ教皇、レオ10世に即位しました。

ローマとフィレンツェを支配するメディチ家の援助のもと、イタリア・ルネッサンスは最盛期を迎えたわけですが、レオ10世の巨額な浪費、サン・ピエトロ大聖堂建設の資金繰りのために大量の免罪符の販売に乗り出したことが、マルティン・ルターによる宗教改革運動の引き金になりました。

美術史上はラファエロの死をもってルネサンスの終焉としています。また、ミケランジェロの表現手法は、弟子によって「マニエラ(手法)」と呼ばれ、古い芸術家はこのマニエラが無いことを根拠に劣っていると考えられるようになります。16世紀以降は、レオナルド以降の手法を真似たり、強調するような変形を伴うような作品が目立ち始め、これらはマニエリスムと呼ばれるようになりました。

宗教の混乱に加え、ヨーロッパ全体の政治的混乱も加わり、1527年に神聖ローマ帝国の進軍と破壊・略奪によりローマは破壊され、イタリア・ルネッサンスは完全に終わったとされています。ローマ略奪に関わったドイツ傭兵にはルター信奉者が多く含まれ、カトリックとプロテスタントの決定的な分裂にもつながります。時代は、新しい混沌の中に進んでいきました。

美術史上きわめて奥深いテーマを数多く内包している、イタリア・ルネサンスという一時代を、かくも簡単に整理してしまいましたが、きっと大事なポイントをたくさん見落としていると思います。専門家や、本気で勉強しようという方々は、こんなブログは参考にしないでしょうから、あくまでも自分用です。間違いがあったら、教えてもらえると助かります。

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