2021年6月11日金曜日

インフェルノ (2016)

神曲・・・アイドルの代表曲みたいな「かみきょく」じゃなくて、「しんきょく」です。14世紀初めのイタリアの古典文学を代表するダンテの長編叙事詩。まぁ、おそらくたいていの人は名前は知っていても読んだことは無い。自分のその一人。

ちょっと、勉強してみると、オリジナルのタイトルは「La Divina Commedia」で、直訳すると「神聖喜劇」ということになるのですが、日本で初めて森鴎外が紹介した時に「神曲」という言葉を使ったとのこと。

フィレンツェの官僚だったダンテが、市政の政争に巻き込まれフィレンツェを追放になったことから、経験した欺瞞やそれに対する怒りから、人が生きていくための道徳を書きまとめたものとされ、地獄篇(Infrno)、煉獄篇(Purgatorio)、そして天国篇(Paradiso)の3部から成立しています。

さて、映画です。ダン・ブラウン原作のラングドン・シリーズ。監督はシリーズ続けてロン・ハワードが担当し、ラングドン教授もトム・ハンクスが続投です。今回はキリスト教にまつわる陰謀ではありません。

タイトルのインフェルノは、「地獄」のこと。まさに、ダンテの「神曲・地獄篇」のこと。ただし、映画を見るにあたって、「神曲」そのものの知らなくても困らない。原作を読むなら、理解しているともっと楽しめるかもしれませんけど。

ここでは、ダンテの「神曲」にインスパイアされて描かれたボッティチェッリの 「地獄の図( 1490)」が謎を解く鍵として用いられています。


これはダンテが「神曲」の中で構想した地獄の階層構造をヴィジュアル化したもの。下の階層に行くほど重い罪を背負うことになり、「神曲」の主人公ダンテは案内されて下へ下へ進み、そこを抜けると今度は煉獄の階層がある。さらにその先には天国の階層があり、ダンテの永年の憧れであったベアトリーチェの案内を受ける。

ロバート・ラングドン教授は、世界が地獄にようになる幻影を見ます。目を覚ますと、そこはフィレンツェの病院で、頭に傷がありこの数日の記憶が思い出せない。担当の若い女医、シエナ・ブルックス(フェリシティ・ジョーンズ)は、銃撃され担ぎ込まれ、一過性の記憶喪失だと説明します。そこにさらに暗殺者が襲撃してきたため、シエナはラングドンを連れ自分のアパートに隠れました。

ラングドンの持ち物を探すと、上着のポケットから小さなプロジェクターが見つかります。映し出されたのはボッティチェッリの地獄の図ですが、あちこちに追加の文字があり、どうやらゾブリストという人物からのメッセージだとわかります。

ゾブリストをネットで検索すると、人口の増加による人類の危機を訴え、致死性ウイルスをばらまくことで人口を減らそうと計画している過激思想の持ち主であることが判明します。地獄の図は、どうやらウイルスを仕掛けた場所を示す手がかりということらしい。

助けを求めるためシエナが領事館に電話をしますが、やってきたのは病院を襲った暗殺者。さらに、ネットを利用したことで居場所がばれて、エリザベス・シンスキー(シセ・バベット・クヌッセン)が率いるWHOの特務機関もやってきます。

ここからは、例によって得意の名所・旧跡を超特急で巡る、ラングドンとシエナの逃亡劇が展開します。今回は、誰が敵で誰が味方なのか、二転三転する構成で本当に息つく暇を与えてくれません。

謎の奥行が無いので、ラングドン・シリーズのファンからは物足りないという意見が出ているようですが、純粋にサスペンス映画としては、犯罪が少しずつ解きほぐれていく流れはうまく出来ている。また、派手なアクションがあるわけではないのに、普通のおじさん風のトム・ハンクスがうまく視聴者を味方につけて応援したくなるように仕向けてくるあたりもさすがです。

ラングドン・シリーズは、この「インフェルノ」の前に、アメリカのフリーメーソンをテーマにした「ロスト・シンボル」が出版されていますが、いまだに映画化されていません。現代に生きる謎の多い組織を描くのは、いろいろと問題があるのかもしれません。