2009年の「第9地区」で一躍注目された、南アフリカ出身のニール・ブロムカンプの監督・脚本による富裕層と貧困層の格差社会を象徴的に描くSF映画。主演はマット・ディモン。ジョディ・フォスターが、おそらく初めての悪役というのも注目です。
かなり硬派な内容を盛り込んだアクション映画として見れば、それなりに良く出来たストーリーだと思いますが、SFアクションを伴う社会派ドラマとしては底が浅い感じがします。いずれにしても、SF感は薄く、人間を描くことに力が入っているのはわかるのですが、設定が甘いかもしれない。
22世紀半ば、荒廃した地球から富裕層の20万人が、地球から離れた宇宙空間にエリジウムと呼ばれる巨大宇宙ステーションを建造し移り住んでいました。ちょうど、「機動戦士ガンダム」のスペースコロニーのようなイメージ。そこは、あっという間に体をスキャンして再生する医療ポッドがあり、脳さえ生きていれば人間は死ぬことは無い世界です。
地上からは、不法なIDを取得して病気やけがを治そうとする非エリジウム市民が非正規シャトルでやってくる。エリジウムの防衛長官デラコート(ジョディ・フォスター)は、エリジウムの秩序を乱す侵入者を容赦なく始末することをためらわない。政府高官からは、その過激な姿勢は問題視されていました。
マックス・ダ・コスタ(マット・デイモン)は、働いている工場で事故によって致死量の被爆をしてしまい、余命5日と宣告されます。マックスは、エリジウムへの不法渡航を斡旋しているスパイダーに頼み、エリジウムへのシャトルに乗せることと引き換えに、地球にいる富裕層市民の口座情報などの脳内データを奪取してくる仕事を引き受けます。
マックスは、工場のオーナー、カーライルをターゲットに定めますが、実は彼の頭脳にはエリジウムをリセットしデラコートを新たな支配者にするプログラムも入っていたのです。マックスは首尾よくデータを自分の脳にダウンロードしますが、デラコートの部下で地上で反政府分子を粛清しているクルーガーに追い詰められます。
マックスは幼馴染のフレイに助けられますが、フレイの娘マティルダは白血病で死期が近い。クルーガーに捕まったマックスは、フレイ、マティルダと共にエリジウムに向かう。マックスの頭の中にあるプログラムを起動できれば、すべての人類をエリジウム市民と認識させられると考えたスパイダーも部下と共にエリジウムに飛び立つのです。
マックスの脳内データは、ダウンロードすると生体が死ぬようにロックされていましたが、デラコートは構わず読みだすよう命じます。マックスは監視を倒し、フライとマティルダを逃がします。クルーガーは、プログラムの重要性に気が付きデラコートを殺害し、自分が支配者となるべくマックスに迫るのでした。
クルーガーを何とか撃退したマックスでしたが、スパイダーにデータを取り出すと死ぬと言われますが、すべてを承知した上で静かにダウンロードを始めるスイッチを押すのでした。エリジウムはリセットされ、IDのなかったマティルダも市民として認識され医療ポッドにより回復するのです。
何しろ、地上で違法侵入者対策をしているのが、クルーガー一人というのからしてバカバカしい(あとから仲間二人が加わりますが)。ダウンロードしたら死ぬ内容を自分の脳に移したカーライルも、自分が死んじゃ元も子もない。
エリジウムそのものにも、防衛長官はいても、実質的な防衛体制については説明されていません。そもそも、スペースコロニーを建造できる科学力があるなら、荒廃した地球を何とかできるんじゃないかという疑問もある。そんなこんなで、突っ込みどころは満載というわけです。
マット・ディモンは相変わらず頑張っていますが、いくら元気を保つ薬があるとはいっても、頑張りすぎて多臓器不全が急速に進行して数日で死ぬ体にも思えない。ジョディ・フォスターも冷酷なクーデターを画策する悪役なんですが、その悪そうな部分がほとんど見えないで殺されちゃうというのももったいない。
監督としては、主として医療格差に的を絞っているので、その他の細かいプロットは省略ということなんでしょうかね。監督の出身の南アフリカは、かつて厳格な差別社会だったことが、映画に反映していることは間違いありません。現実に国民皆保険制度では無いアメリカ社会では、貧富の差によって受けられる医療に違いがあるわけで、アメリカの低所得者層にはある程度共感を得られるテーマなのかもしれません。
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