旧約聖書に登場する「正当」な天使はミカエル(ミハイル)とガブリエルの二人。これに聖書外典に登場するラファエルを加えて、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教のいずれでも三大天使として扱います。これにいろいろな名前の天使が加わって、四大天使とか七大天使という呼び方をします。
ミカエルは人間の守護者として最も重要な大天使で、フランスのモン・サン=ミシェルは聖ミカエルの山という意味。ガブリエルは神の言葉を伝える役目が多く、「受胎告知」ではマリアにイエス・キリストの誕生を伝えます。ラファエルは守護天使のお目付け役。
守護天使(Guardian angel)は、たとえキリスト教徒でなくても、神が人間一人一人につけ心を善に導く天使。キリスト教では、悪魔(Satan)は、もともとはルシファーと呼ばれる天使でしたが、神に対して敵対し天国から追放され、堕天使として地獄の治めるようになったと考えられています。
さて、この映画は守護天使が人間になりたいと思ったらというテーマの作品。監督はヴィム・ヴェンダースで、カンヌ映画祭で監督賞を受賞しました。ヴェンダースというとドイツの巨匠の一人で、「パリ、テキサス(1984)」のようなロード・ムービーが得意な映像作家という印象があります。
脚本は監督自身と共に2019年ノーベル文学賞を受賞したドイツの作家、ペーター・ハントケが関わり、ヴェンダースと組むのはこれが3作品目。ハントケ作の「子どもは子どもだった頃」という詩が、映画全体にフィーチャーされています。
撮影は壁によって東西に分断されていたベルリン。当然、ほとんどは西ベルリンで行われましたが、ごく一部密かに東ベルリンでの撮影も含まれ、壁の間の緩衝地帯のシーンはセットを作ったそうです。
主役の守護天使ダミエルを演じるのは、「ヒトラー最後の12日間」で狂気のヒトラーを熱演していたブルーノ・ガンツ。ダミエルら守護天使たちは、今はベルリンの図書館を棲家として、歴史が始まる前から生物たちの営みをずっと観察してきました。そして人間たちには、彼らの心の声を聴いて、良い方向に向かうように適切なアドバイスを気が付かれず送ってきたのです。純粋なこどもには時には見えることがありますが、基本的には人が天使を見つけることはできません。
ある日、ダミエルは、経営不振で今夜の興行が最後となるサーカス一座を訪れました。花形の空中ブランコ乗りのマリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)は、今夜が最後だと思うと落ちてしまうのではないかと緊張する。ダミエルは、そんな彼女に恋をしてしまいました。
ダミエルは親友のカシエル(オットー・ザンダー)に、永遠の命があっても物質的に満ち足りない今の生活の不満、そして人間になって何でもない日常に喜びを感じたいと話します。街では、「刑事コロンボ」でお馴染みのピーター・フォーク(自らの役名で登場)が映画の撮影をしていました。ピーター・フォークは見えるはずがないダミエルに向かって「兄弟、いるのを感じる。人間はいいよ」と言いながら握手をするかのように手を差し出すのです。
ダミエルは、いつも人間たちを見てきた戦勝記念塔(塔の頂上に金色の勝利の女神ヴィクトリアが設置されています)からついに飛び降りると人間になっていました。頭をぶつけて血が出ていることや初めて飲むコーヒーに喜びを感じる。
撮影中のピーター・フォークを見つけ、ダミエルは思わず「兄弟」と声をかけます。ピーター・フォークは、「ついに人間になったのか。世界中に同じような奴がたくさんいるよ」と説明し、彼もその一人だったのです。ダミエルに去られたカシエルも、しだいに自分の生活に疑問を感じ始めました。そして、ダミエルはマリオンと「再会」し、マリオンは彼が自分を見つめ守ってきた人だと直感するのでした。
天使の視点、あるいは天使がいる時は、画面は白黒。人間の視点ではカラーという構成になっていて、ダミエルの人間への変化もわかりやすい。比較的静かな展開の進行ですが、これらの工夫が随所にあり飽きさせません。
ソルヴェーグ・ドマルタンは、特訓で空中ブランコを自ら演じています。最後の演技シーンはかなり長めの印象ですが、せっかく頑張って練習してきたので、カットせずに全部使ったと監督自ら説明しています。また、カシエルも思い切って人間になるラストが撮影されていましたが、こちらは今回はカット。カシエルが人間になった話は、続編の「時の翼にのって(1993)」で描かれました。
なお、ニコラス・ケイジとメグ・ライアンが出演した「シティ・オブ・エンジェル(1998)」は、この映画のハリウッド版リメイクです。