残念ながら、出演作を見れば見るほどそれらを越えられる作品が無い・・・というのが、ファンとしては最大限譲歩した表現。もっとも、アカデミー賞がすべてではないし、女優だけで映画の良しあしが決まるわけでもありません。
この映画は、ヴェネツィア国際映画祭で金若獅子賞を受賞し、作品としては高い評価をされているもの。フランスの作家・女優であるヤスミナ・レザが書いた戯曲「大人は、かく戦えり」を原作としてレザ本人とロマン・ポランスキーが脚本、ポランスキーが監督しました。原題は「carnage」で、「虐殺」と言う意味ですが、ここでは「修羅場」と訳すのが適当かもしれません。
タイトル・シークエンスは、軽快なちょっとコミカルな音楽が流れる中、公園で遊ぶこどもたちを遠くからカメラが捕えます。主だったキャスト、スタッフのテロップが流れた後、こどもたちの中の二人が喧嘩になり、一人が持っていた棒を振り回し、相手が顔をおさえる。
次のシーンは殴られケガをした側のロングストリート家の書斎。作家である母親はペネロペ(ジョディ・フォスター)、金物屋を営む父親はマイケル(ジョン・C・ライリー)。ペネロペがパソコンでこどもの喧嘩の状況を文書にしているのを、一緒にのぞき込んで確認しているのは、ケガをさせた側のカウワン家の両親。母親は金融ブローカーのナンシー(ケイト・ウィンスレット)、父親は弁護士のアラン(クリストフ・ヴァルツ)です。
文書ができて両者が確認し、カウワン夫妻が帰ろうとしますが、ロングストリート夫妻が「コーヒーはいかが」と言って引き留める。最初は、別のきっかけで知り合えるとよかったですねみたいな平和な雰囲気ですが、この会話劇のなかで、少しずつ4人の歯車がかみ合わなくなっていくのです。
もともとはこどちたちが仲直りしてくれればいいさ、という感じだったマイケル。しかし、こどもであっても相手がきちんと謝罪する必要があると思っているペネロペ。何とか穏便に話を終わらせたいナンシー。これに、話をこじらすきっかけを作りまくるのが、仕事の電話で度々話の腰を折るアランで、彼はこんな面倒にかかわっている暇は無いと思っている。
初めのうちはペネロペが攻めて、マイケルとナンシーがとりなす風でしたが、ストレスをため込んだナンシーが嘔吐してしまい、今度はナンシーがマイケルを攻め立てる展開になる。攻め込まれたマイケルはペネロペに絡み・・・4人がこどもの話から飛躍して、それぞれが感じていた不満が爆発していくのです。
二組の夫婦全員にとって、「人生最悪の日」となり、エンドロールが再び公園のこどもたちを捉えます。喧嘩した二人のこどもたちはとっくに仲直りをして、楽しそうに遊んでいるのでした。
夫婦間の信頼とかに留まらず、アフリカの少数民族の虐殺問題などを交えて、人と人とのつながりをテーマにした話・・・というと大袈裟かもしれませんが、基本的にはこどもを持つ親としては「あるある」の話を膨らませたもの。
もともと舞台用の作品を映画化する場合、ある程度原作を尊重すると登場人物が少なく(ここでは4人だけ)、台詞が多くなる。演じる場所も固定されます(ロングストリート家のアパート内だけ)ので、映画としてのメリットをいかしにくいところがあります。
まず、重要なのは演じる俳優たちの技量。舞台より表情がわかりやすいので、ちゃんとした演技ができないとかなり残念になる。そこは、ジョディ・フォスターはもとより、「タイタニック」のケイト・ウィンスレット(2008年にアカデミー主演女優賞)、ポール・トーマス・アンダーソン監督の作品の常連であるジョン・C・ライリー、2度のアカデミー助演男優賞に輝くクリストフ・ヴァルツという強者が集まりました。
監督は名匠ポランスキーですが、前半の探り合いはどうしてももたつきがありますが、中盤以降、それぞれの本音が露になってヒートアップしてくると、映画らしいカット割りをそれぞれの登場人物の心情にあわせてつないでいき、たたみかけるような演出はさすがです。
アカデミー賞のような評価には向かない作品ですが、良質な映画として必見の1本に上げておきたいと思います。