2025年4月7日月曜日

SAKURA 2025 @ あざみ野


昨日の日曜日は、天気予報は怪しかったのですが、何とかもちました。

各地で盛大にお花見が行われたことだと思います。

自分のテリトリーで、一番見応えのあるのは、あざみ野の通称「桜通り」です。今年も見頃を迎えています。

ただし、ここは街路樹なのでシートをひいて花見を楽しむことはできません。

500m近く、道の両側植えられた桜が花のトンネルを作っているので、車で通るだけでも実に気持ちが良い。

この時期は、ちょっとだけ遠周りをして、何回かは楽しみたいと毎年思います。

ちょっと気になるのは、昨年に比べると、ちょっとボリューム感がないような・・・まあ、そんなことは気にしないで、今年の桜を楽しみましょう。

2025年4月6日日曜日

ねずみ騒動


近頃話題になった、某牛丼店でのねずみ混入・・・じゃなくて、もっともっと身近な話。

ハムスターとかだと、ペットとして飼ったことがあるかもしれませんが、いわゆる家鼠と呼ばれるのはドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミの3種類で、自分も小学生の頃には風呂場をはい回る、たぶん(大きさからして)ドブネズミを目撃したことがありました。

ですから、その頃は「ウィラード」というイエネズミを主役にしたアメリカ映画がヒットしても、特別な違和感もなく受け入れることができたように思います。

さすがに下水管理が向上して衛生面では格段に改善されたご時世ですから、ネズミを見かけることなんて・・・何と、あったから驚きです!!

帰宅して台所の灯りを付けた途端に、換気扇のあたりから床に何かが飛んできてゴミ箱の裏の方に走り込んでいったんです。大きさは10cmないくらいのもので、隠れる瞬間に細い尾のようなものを視認できたので、どう考えてもネズミとしか思えない。家の中でネズミと遭遇するなんて60年ぶりのことです。

さすが殺鼠剤なんてものは常備しているわけもなく、すぐに手に取れたのは殺虫剤のキンチョール。適時、キンチョールをまきながら、懐中電灯であちこち探していると、電子レンジの裏側にいるのを発見。その後ろはすぐ窓なので、キンチョールをまきつつ窓を一気に開け放ち・・・一応、気配が無くなったので外に出て行ってくれたのかと一安心しました。

しかし、翌日またもや登場したのです。こりゃ本気でかからないと無理と判断して、ホームセンターでネズミ捕りを購入。罠になっている生け捕り用のかごもありましたが、とりあえず安いものを用意しました。わかりやすくいえば、強力な粘着剤による巨大なゴキブリホイホイです。

ゴミ箱の裏を中心に通りそうな場所に3個仕掛けて、1日たってどうなったか・・・おお~、見事に捕獲していました。たぶんハツカネズミなんでしょうか、びくりともしなくてすでにお亡くなりになっているようでした。とりあえず、めでたしめでたしなんですが、ゴキブリみたいに1匹みたら大量にいるなんてことは・・・無いことを祈ります。

2025年4月5日土曜日

SAKURA 2025 @ 茅ケ崎城址公園


今年の桜は、ある程度開花してから1週間。

冷たい雨が降る天気が続いていたので、ずっとせっかくの桜も見栄えの良い物ではありませんでした。

でも、昨日はやっと晴れ間が見えて、この週末は本格的なお花見をする方も多いことと思います。

センター南の茅ケ崎城址公園は、それほど広い公園ではありませんが、まとまって桜が見れるお花見スポットとしておすすめです。

今日のお花見は、ちょっと夕方から天気が怪しいので、明るいうちがおすすめです。

2025年4月4日金曜日

晴れたらいいね (2025)


テレビ東京開局60周年記念として製作されたドラマですが、1月にAmazon Prime Videoで配信されていたので、先日の地上波放送を待たずにすでにご覧になった方も多いかもしれません。原作は藤岡陽子の小説で、多くのヒット作を手掛けた岡田惠和が脚本、深川栄洋が監督をしています。

東京の病院で働く看護師の高橋紗穂(永野芽郁)は、中堅どころで仕事はできますが、もうひとつ生きがいみたいなものを見出せずに、日々の業務をこなしているだけになっていました。特別室に入院している名誉師長の雪乃サエ(倍賞美津子)の担当だった紗穂は、サエの病室にいた時に大きな地震があり気を失ってしまいます。

気がつくと、そこは何と昭和20年のフィリピンのジャングルの中。周りにいるのは、野戦病院で働く仲間たちで、紗穂のことを雪乃サエと呼ぶのでした。サエと一番仲が良い藤原美津(芳根京子)は、何から何まで忘れてしまったかのようなサエを不思議に思い、ついに「顔はサエでもあなたは誰なの?」と尋ねます。

紗穂は実は私は80年後の未来から来た、と美津に話しますが、美津は話を信じるのです。現代の病院とは違って何もない現場で、紗穂は少しずつ仕事に慣れていきます。ある時、何か歌ってと頼まれた紗穂は、当時としてはかわった曲であるドリカムの「晴れたらいいね」を歌いますが、その楽しさは仲間にも伝わるのでした。

病院を統括している軍医の佐治(稲垣吾郎)に、病院を放棄して前線の軍と合流するように命令がおります。佐治は看護婦たちは民間人なので、内地に戻るように言いますが、ただし港まで独力でいくしかないと伝えます。婦長の菅原(江口のり子)は、紗穂、美津らを連れて出発しますが、女性だけでジャングルを抜け崖を上る行軍は過酷なものでした。

ついにもともと足が悪い婦長が動けなくなり、自分を置いて先に進むように言い出します。紗穂は「全員が無事に帰ることが大事なんだから、そんなことは許さない」と声を上げ、「自分は未来から来た。雪乃サエさんは未来で生きているんだから、私といれば絶対に帰れる。皆を守ることが私がここに来た理由だと思います」と説得するのでした。

現代人が戦時中にタイムスリップするという、定番のシチュエーションなんですが、そこに人物の入れ替わりを加えた欲張りな設定がユニークです。

ただし、正直時空移動のきっかけが弱い。映像的に地震で主人公がかなりショックを感じるような状況はいくらでも作れそうなんですが、どこか予算不足? みたいな感じ。実は、主人公が現代に戻るところもあっさりしています。

なので、そこのところはあまり触れないでおきますが、野戦病院の緊迫感というところも、看護婦たちが主役ですからそれほど描かれているとは言えません。「生きて帰る」ことが大事であると言いたいのはわかりますが、国のために死ぬことを厭わない時代ですから、もっと死と隣り合わせの状況を描いてほしかったように思います。

何とか最後まで見れるのは、永野芽郁、芳根京子、江口のり子らの演技の素晴らしさのおかげ。芳根京子は「研修医まどか」とずいぶんと違うキャラを好演していますし、永野芽郁も突然理解できない世界に放り込まれた困惑を見事に演じていますので、ファンの方々は楽しめると思います。

2025年4月3日木曜日

終わりに見た街 (2024)


2024年9月にテレビ朝日で放送されたスペシャル・ドラマです。もともとは、脚本家の山田太一が1981年に発表した小説が原作で、1982年に自らの脚本でドラマ化されました。その後2005年にも、山田太一自身が現代に追加あわせて改変したドラマが放送されています。その間には、舞台劇としても上演されている作品。

今回は宮藤官九郎が、さらに令和の今を反映させた脚本を作り、テレビ朝日出身の片山修が演出を務めています。スマートホンを効果的に使ったりして、いかにも今風のアレンジがなされています。

あまり有名ではない脚本家の田宮太一(大泉洋)は、妻のひかり(吉田羊)、生意気盛りの高校生の信子(藤間み)、小5の稔(今泉雄土哉)、認知症の母親・清子(三田佳子)との五人暮らし。終戦ドラマの脚本を頼まれ、膨大な資料を呼んでいるうちに寝込んでいるうちに雷鳴と共に家ごと昭和19年6月にタイムスリップしてしまうのです。売れない役者の小島敏夫(堤真一)と息子の小島新也(奥智哉)も、一緒にタイムスリップしていました。


小島親子と合流して、付近を探索してしだいに状況が理解してきた太一でしたが、兵隊が突然現れた家を不審に思いやってきます。彼らは逃げ出しますが、家は燃えてしまい愛犬も殺されました。少しずつ時代に適応しようとみんなが努力をし始めるのですが、新也が清子の初恋の人、敏夫の叔父の敏彦に似ていることがわかります。しかし、新也は突然いなくなってしまいます。

11月になり空襲が始まります。太一もこの時代に溶け込むことで精一杯でしたが、未来を知っている太一は3月10日の大空襲で少しでも助かる人を増やそうと、清子を占い師に仕立て、3月10日は逃げるようにふれまわることにします。

深夜に大空襲が始まるという時に、新也が突然戻ってきますが、彼はしばらく見ないうちに戦時思想にすっかり染まっていました。新也は太一や敏夫を非難し、信子や稔までもが「国のために、勝つために行動すべき時だ」と言い出すのです。その時、突然、空襲警報が鳴り響きます。太一は混乱の中で何とか稔の手を取って走り出すのでした。

もともとこの話は読んでも見てもいなかったので、大泉洋主演で、共演が吉田羊という洋羊コンビですから、タイトルに一抹の不安を感じながらも笑って終われるものとたかをくくっていたら大間違いでした。

知らずに見ると、あまりのバッド・エンドに愕然とします。しかし、それは徹底的に戦争というものの理不尽さを訴えるものだと言えそうです。家ごと家族ごとタイムスリップという設定は他では見たことが無い。さすが人気作の多い山田太一、目の付け所が一味も二味も違う。

タイムスリップから戻れてめでたしめでたしで終わると、戦争の悲惨さが薄れてしまうところを、さらなる悲劇で追い打ちをかけるという発想は衝撃的です。大泉洋も出だしだけはしがない中年風情ですが、タイムスリップ後は笑いの要素はゼロで、彼の体験を通して戦争の過酷な状況を現代人の我々に伝えることに徹しています。

もしも未見の方は、再放送の機会があれば、あるいは配信で是非ご覧ください。ただし、その時は襟を正して、ラストシーンまで一瞬たりとも気を抜かずに見ることを強くお勧めします。

2025年4月2日水曜日

恋は雨上がりのように (2018)

いやいや、大泉洋主演で恋愛物って・・・もっとも、冴えない中年男の役なんで、それはそれでいいんですが、それが女子高生にもてるという、なんとも不思議なシチュエーション。原作は眉月じゅん原作の漫画。監督は「帝一の國」の永井聡、脚本は「フォルトゥナの瞳」の坂口理子。

橘あきら(小松菜奈)は、母親のともよ(吉田羊)と二人暮らしの17歳。陸上部の短距離の有望な選手でしたが、練習中にアキレス腱断裂を起こし、もとからの寡黙な性格に磨きがかかってしまいます。やたらとアタックしてくる同級生の吉澤(葉山奨之)とは同じファミレスでバイトをしていていますが、そこの店長は冴えない中年男でばつ一で子持ちの近藤正己(大泉洋)でした。

ケガをした日に店に入った時、近藤がすごく優しくしてくれたことから、あきらは近藤の事が好きになってバイトに入ったのです。ある日、忘れ物をした店の客を走って追いかけたあきらは、まだ完治していない足を痛めてしまいました。心配した近藤はあきらを病院に連れて行きますが、ついにあきらは近藤に「好きです」と告白してしまいます。

一度口にしたら、あきらはどんどん積極的にアプローチするのですが、近藤はなかなか気を許してくれません。ずっと一緒に陸上をやってきた親友のはるか(清野菜名)は、あきらのことをずっと心配していましたが、たまたま近藤に対して楽し気に笑っているのを見てショックを受け、喧嘩別れしてしまうのです。

近藤は、学生の頃に同人誌仲間で、今は売れっ子小説家になった九条ちひろ(戸次重幸)と久しぶりに会います。近藤は、すぐに学生時代に戻れる自分に気がつきます。近藤は、あきらに「ともだちをあきらめたら、ずっと立ち止まったままになってしまうよ」と話します。あきらに憧れて自分もアキレス腱断裂から立ち直った倉田みずき(山本舞香)も、あきらに陸上に戻るように迫ります。

バイト仲間の加瀬(磯村勇斗)はあきらの想いに気がついていて、「あまり店長を追い詰めるな。君は無くした楽しさを求めているんだろうけど、店長は何とかその楽しさを思い出させてあげようとしている」と話します。あきらは雨の中、近藤のアパートに走るのです。

恋愛物が苦手・・・っていうか、見てて何か体がかゆくなっちゃう自分でも、安心して最後まで見れる映画でした。何しろ主役が大泉洋ですから・・・って本人に怒られてしまいますが、ダメダメ中年の大泉洋が、だんだんすごくいい人に見えてくるので不思議です。

中年男と高校生じゃ、はたから見れば援助交際とかにしかならなさそうなんで、女子高生をうまいことまっすぐな道に戻してあげる大泉洋はかっこいい。もちろんそれだけではなく、女子高生のおかげで、あきらめていた夢にもう一度立ち向かう力を逆にもらう中年に拍手したくなるというところでしょうか。

あきらと近藤の会話をする場面はいつも雨が降っているのですが、雨がやんできらきらと光る地面に新しい何かが産まれているというタイトルなのかなと思います。多少ストーリー展開は早めで、たくさんいる登場人物を整理しきれていない感じはありますが、110分という時間制限のある中では、ぎりぎりセーフというところでしょうか。

2025年4月1日火曜日

SAKURA 2025 @ 早渕川 此岸


4月1日、新年度、新学期の始まり。エイプリル・フールです。

クリニック裏の早渕川の川岸のこっち側。

向こう側と比べると、ボリューム感はやや劣りますが、ソメイヨシノが満開となりました。

ただ、天気がいまいちで気温も低くて、いわゆる「花冷え」ですから、盛り上がりに欠けるのはしょうがない。

でも、その影響は開花期間を長引かせて、楽しめるチャンスが増えることにつながるのかもしれないので、必ずしも悪いことではありません。

2025年3月31日月曜日

我が音楽愛好歴


似たような話は過去にも小出しにしていた気がするんですが、そもそも自分の音楽好きの一面の来歴をまとめて書いておくことにします。

そもそも父親が主として歌謡曲好きだった。家には8トラックテープ・・・って、まずほとんどの人はわからないけど、それがいくつかありました。小川知子とか、黛ジュンとか、西田佐知子などの昭和女性歌手のヒット曲がテレビ・ラジオ以外で聞くことができた。自然と音楽に触れあうことがあったのですが、決定的だったのは小学校の同級生の文房具店の倅のK君の影響です。

K君はクラリネットを習っていて、日本のジャズ・クラリネットの草分け的な存在である北村英二氏とも知り合いだった・・・と思います。自分の家にはモノラルのレコード・プレイヤーしかありませんでしたが、彼の家に遊びに行くと家具のような立派なステレオ装置があって、いろいろな音楽を聞かせてくれました。

今でも記憶に強く残っているのは、ビートルズの「Let It Be」のLPで、豪華な分厚い写真集が付属している特別限定版。他にも牛の写真がドーンと写っている「ピンク・フロイド/原子心母」みたいなプログレッシブ・ロック、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズのようなポップス、そしていろいろなクラシックのレコードが次から次へと出てくるので楽しくてしょうがない。

さらにK君は、近くの河合楽器の店を紹介してくれました。当時は楽器だけでなくレコードを扱っていて、担当の店員さんと懇意になれたので、レコードをいつでも2割引きで買えるようにしてくれたのが大きかった。

そのころSONYがレコード業界に進出して、アメリカのコロンビア・レコードを独占的に日本で販売するようになりました。最初はCBSソニーというレーベルを知ってもらうために、バーゲン価格のレコードをいろいろと出したので、これはねらい目でした。

初めて買ったクラシックのレコードはそういったセットで、レナード・バーンスタイン指揮、フィリップ・アントルモンがピアノの「ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番」が含まれていました。他にはカザルス四重奏団による「モーツァルト/クラリネット五重奏曲」とかカール・ベーム指揮の「ベートーヴェン/交響曲第9番」などが記憶にあります。

そういったごく初期に買ったクラシックの中にグレン・グールドの「バッハ/2声と3声のインベンション&シンフォニア」もあったんですが、この頃はまったく良さがわからず、なんでハープシコードの曲をピアノで弾いてんだくらいにしか思いませんでした。

K君からいろいろなジャンルの音楽を聴かされたおかげで、天地真理、石川さゆり、小林幸子なんてのも買ってましたし、中学生になるとビートルズを卒業して本格的なロックに傾倒していくのは自然な流れだと思います。レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルはもちろんのこと、ユーライア・ヒープ、ピンク・フロイド、EL&P、イエス、キング・クリムゾンなどを中心に聴くようになるわけですが、高校生になるとジャズ好きの同級生がいて新たな次元に突入することになります。

たまたま入ったdisk unionの店で、一番前にあって目に付いたのがマイルス・デイビスの「'round about midnight」のジャケット。サングラスをかけたマイルスのドアップ写真がめちやくちゃかっこいい、というだけで衝動買いです。「ロックなんてこどもだぜ。大人はジャズ」とでも思ったのか、そこからは学生のうちは主として聴きまくっていたのはジャズでした。

そんなわけで、学生時代までに集めてLPレコードは200枚くらいあったと思いますが、社会人になった頃から時代はレコードからCDに変わり、これらのレコードは部屋の隅の棚に眠ってしまうわけで、ある日気がついたら全部が湿気でカビだらけ。もう、泣く泣く捨てるしかないという・・・今はまたレコード盤が有難がられているので、ちゃんと保管していればけっこうな価値があったかもしれません・・・

まぁ、こんな話、誰も興味は湧かないところなんで、このくらいにしておきます。

2025年3月30日日曜日

SAKURA 2025 @ 早渕川 向岸


去年より、1週間ほど早く桜の便りが届いています。

毎年の光景ですが、やはり「満開の桜」というのは春代表的な風物詩ですから、思わず足を止めて見入ってしまうのは日本人の本能みたいなもの。

クリニックの裏手に流れる早渕川の川岸は、ちょっとした桜並木になっています。特に、クリニックから見て向岸、市営地下鉄の高架脇には、真っ先に咲き始める桜が並んでいます。

よく見るソメイヨシノよりもピンク色が濃い目なので、山桜の種類なのかなと思っていますが、数日前にほぼ満開となりました。すでに花見を楽しむ人がたくさん集まっているようです。

昨日はあいにく雨模様でしたが、今日天気は回復して絶好のお花見日和になりそうです。

2025年3月29日土曜日

グッドバイ〜嘘からはじまる人生喜劇〜 (2020)

太宰治という名は、誰もが知っている昭和の文豪の一人ですが、どこか屈折したイメージがつきまとう・・・というのも、愛人と入水自殺し38才の短い生涯を閉じたこともあり、およそコメディを想像させることはありません。ところが、太宰治が生前、最後に執筆し未完のままとなったのが「グッドバイ」で、モテ男が多くの愛人とグッドバイするため偽装結婚をするという、喜劇性の強い小説でした。

内容の面白さだけでなく、未完ということで様々に想像を膨らませることができるところから、何度も戯曲化もテレビドラマ化もされ、演出家・脚本家のイマジネーションを刺激し続けています。今作は2度目の映画化で、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(小林 一三)が舞台用に戯曲化したものを、自ら映画用脚本に手直してして、「ソロモンの偽証」などを手掛けた成島出が監督をしています。

終戦直後の東京。雑誌編集長をしている田島周二(大泉洋)は、優柔不断のくせに女性に対して大変優しくもててしまうため、望んだわけでもないのにあちこちに愛人がいるのです。青森に疎開している妻とこどもがいて、こどもに胸を張って再開するために、愛人を整理する決心をした田島は、小説家の漆山(松重豊)に相談しました。漆山は誰か女性を連れて行って、妻だと紹介すれば別れられるだろうと提案します。

田島は闇市で知り合いだった永井キヌ子(小池栄子)が、ふだんは汚れた格好をしていますが、実はなかなかの美人であることを知り、キヌ子に妻の役を頼み込みます。キヌ子を連れて、花屋の青木保子(緒川たまき)のもとを訪れた田島は「グッドバイ」と言って別れることに成功します。

次に挿絵画家の水原ケイ子(橋本愛)を訪ねると、保子が2階に間借りしていて失恋を苦に飛び降り自殺を図ろうとしていたため、あわてて引き上げました。漆山にキヌ子をものにしておけば、後がやりやすくなるとアドバイスし、取材で青森に行くから奥さんとこどもによろしく言ってあげると言うのです。田島はキヌ子に迫りますが逆に2階の物干し場から投げ出される始末。しかも、ケイ子にも事情が知られてしまい「グッドバイ」されてしまいます。

次に出かけたのは病院。医師の大櫛加代(水川あさみ)は、逆に田島の妻からの手紙を見せます。そこにはもう田島には愛想が尽きたので、好きにどうぞと書かれていましたが、加代はそんな田島にはこちらから「グッドバイ」だと言って去っていきました。助けを求めて漆山の家に行くと、ちょうどそこへ漆山が田島の妻、静江(木村多江)とこどもを連れて帰ってきました。驚く田島に、漆山は二人のことは自分が面倒みることにしたとと説明するのです。

絶望した田島は、飲み屋でキヌ子に愚痴りまくって、手持ちの金をばらまいて店を出ていきます。道端にいた占い師(戸田恵子)が田島に声をかけ、いろいろあるだろうけど、実は身近なところにあんたを一番理解し気兼ねなく接することができる女性がいると教えます。田島はそれがキヌ子のことだと気がつき、店に戻ることにしますが、占い師はそっちは大きな厄災があるから、反対の方角に行くようにという忠告を無視して店への近道を急ぐのでした。

太宰治がどのような結末を考えていたのか、誰にもわかるはずはありません。少なくとも「たくさんの女性と別れていったら最後に妻からグッドバイされる」という滑稽話として構想されたことだけは確からしい。

最初の女性には「グッドバイ」と言えた田島ですが。これはあくまで前振り。この後は、すべて逆グッドバイされ、最後は妻からの強烈な一撃を食らうという流れはなかなかよく出来ていると思います。ただし、コメディとしてはOKかもしれませんが、妻と作家がいとも簡単にできてしまい田島を捨てるというのは、やや強引すぎる。もう少し早い段階から匂わせるか、コメディ色を強調してもよかったように思います。

大泉洋は普段はあからさまに人から笑いを取るキャラクターとして認知されていますが、映画の中では大真面目だけどその行動が笑いを誘うような役柄が多い。この作品もそういう意味でははまり役で、何度か共演経験がある小池栄子とも息ぴったりです。

キヌ子は闇市をたった一人で生き抜いてきた女性なので、たくましいけど実はどこかに人恋しさを隠しているはずで、そのあたりは小池栄子は上手に演じていると感じました。ただ演出上の仕掛けだと思いますが、ずっとだみ声でしゃべるところはやや耳障りが悪く、わざとらしさを感じてしまいます。

それでも「店への近道を急ぐ」田島までは、うまく描かれていて楽しめます。ところが、見舞われる「大きな厄災」から後のオリジナル・ストーリー部分については、田島の部下の清川(濱田岳)のエピソードも取ってつけたような感じですし、ちょっと盛り過ぎのような感じがしました。ハッピーエンドは歓迎するところですけど、もっと素直な形の終わり方でよかったように思います。

2025年3月28日金曜日

グッモーエビアン! (2012)

吉川トリコの小説が原作で、2007年にはテレビドラマがすでに作られていますが、これを山本透が監督をして映画化されました。タイトルは「Good morning, everyone」をネイティブっぽく発音したものです。

名古屋で元パンクロックバンドのキダリストをしていた広瀬アキ(麻生久美子)は、17歳で産んだ中三になるハツキ(三吉彩花)と二人暮らし。数年前までは、アキのバンド仲間、ボーカルのヤグ(大泉洋)もなぜか一緒に暮らしていましたが、ヤグは世界を見ると言って出て行ったきり、たまにハガキが来るだけでした。

ある日、そのヤグが突然帰って来て、再びアキのもとに転がり込んできました。アキとヤグはしょうもないことで笑って騒いで、明日の事などお構いなし。無遠慮に日常の中に入り込んでくるヤグは、年頃のハツキにはうざい存在でした。進路指導の三者面談の話をしても、アキは自分の事は自分で決めればいいので、母親が出る幕じゃないと言って取り合いません。

ハツキの親友で、アキやヤグのことを羨ましく思っているトモミ(能年玲奈)は、ヤグから箱入りトモちゃんと呼ばれていました。トモミはヤグが父親だったらよかったと言い出すので、ハツキはそんなこと言わないでよと席を立ってしまいます。しかし、翌日学校に行くと、何とトモミが両親の離婚によって昨日で転校してしまったと聞かされます。

たまたま空港に向かうところだったトモミと出会ったヤグは、話を聞くと学校に飛び込んできて、ハツキに「サヨナラは言える時に言わなきゃいけない」と大声で叫びます。ヤグはハツキを乗せて自転車で空港に向けて全力疾走するのですが、出合い頭にトラックとぶつかってしまうのでした。

お調子者で騒ぐのが大好きというヤグのキャラクターは、まさに大泉洋のためにあるみたいな役どころ。でも、考えていないようでしっかりと心の中に仕舞っている人間として生き方を持っている人物で、アキも同類なのです。ハツキは、表面的な部分で二人を反面教師にして、優等生であることを崩そうとしません。

ほぼ実年齢だった三吉彩花は、少しずつヤグとアキの筋が通ったいい加減さを理解していき、無理していた自分に気がついてちょっと成長していくという役どころでしょうか。トモミの能年玲奈は「あまちゃん」でブレークする前で、ハツキに家族って何と考えさせる重要な役どころです。

家族の形はいろいろなものがあって、血族=家族とは限らないことが映画で示されています。互いを信頼し愛し守るなら、それが家族であるということ。家族になるためには互いの気持ちをしっかり考えることも重要だと、この映画ではいっているようです。

2025年3月27日木曜日

黄砂だけど・・・


この数日、大陸由来の黄砂が日本にまで大量飛来している・・・ということでした。

まぁ、実はこの写真は加工してある。昨日のクリニックから見たセンター南の風景ですが、いつもよりちょっと黄色を強調しちゃいました。

遠くになるほどややいつもより霞がかかったみたいな感じはあるんですが、そんなにはっきりしたものじゃありません。ただし、雲一つなく晴れているわりには、青味が少ない印象です。

でも、車のボンネットには明らかに細かい砂のような粒子が付着しているので、黄砂飛来は間違いないところだと思います。

花粉症の人は、黄砂に花粉が付着していると言われているので神経質になってしまいますが、何しろ3月だというのに25゚cを超えるような暑さ。ずっと窓を閉め切っているのも難しい。

いろいろなところで気候変動の影響を感じますね。

2025年3月26日水曜日

鶏唐揚げ or ザンギ ?


みんな大好き、鶏肉の唐揚げ。

いつ頃からか、巷には唐揚げの事をザンギと呼ぶものが登場していました。なんか、地方の方言かなんか? と思っていましたが、あまり深く追求することもなく何年もたってしまいました。

そもそもザンギとは・・・って、知ったのは数年前だったか、北海道での唐揚げの呼び名のことだと。

一般には、しっかりとした味を付けた鶏もも肉の唐揚げのことをザンギと呼ぶのですが、鶏肉以外他の肉で作った唐揚げでも呼び方は同じらしい。

それはともかく、我が家の唐揚げは・・・

ずっとずっと前から、食べやすい大きさにカットした鶏もも肉を、醤油、ニンニク、ショウガなどで漬け込んで、片栗粉2、小麦粉1くらいの割合でまぶして揚げるというもの。

・・・って、これザンギじゃんか!! !!

何と我が家で作っていたのは、まさにザンギだったんです。唐揚げと単純に呼んでいたことに対して、慙愧(ざんき)に堪えません。

2025年3月25日火曜日

騙し絵の牙 (2021)

塩田武士による小説が原作ですが、もともと大泉洋をイメージして当て書きされた物。これを「桐島、部活やめるってよ(2012)」の吉田大八が監督しました。大泉洋自身は、自分に当て書きされたわりには一番自分らしくない作品と言っていますが、出版業界の今を描いたスリリングな映画になっています。

出版大手の薫風社が発光する文芸誌「薫風」は、日本文学界にとっても重要な役割を果たしてきましたが、昨今の本が売れず本屋も減っている状況では苦戦を強いられていました。薫風社の社長(山本學)が病死して、後継者と思われていた息子の惟高(中村倫也)は実力者の新社長の東松(佐藤浩市)によってアメリカに飛ばされてしまいます。薫風を守る編集長の江波(木村佳乃)とその後ろ盾になっている常務の宮藤(佐野史郎)は、抵抗しますが東松は薫風を月刊から季刊に変更してしまいます。

最近、薫風社のカルチャー雑誌「トリニティ」の編集長に迎えられた速水(大泉洋)は、東松からトリニティも廃刊候補と言われ、まず薫風の大御所作家である二階堂(國村隼)に自身が生き残るためにトリニティに連載するマンガの原作を書かせることに成功します。

そして、薫風から外された高野(松岡茉優)を自分の編集部に向かい入れます。高野は本屋の娘で、本当に良い本を真に理解している人材で、薫風では却下された新人の矢代聖(宮沢氷魚)の小説を高く評価していました。速水は、矢代の小説もトリニティで利用していくことにします。

また以前にジョージ真崎というペンネームで面白いエッセイを書く人物が、実は人気モデルでガンマニアの城島咲(池田エライザ)であることをつきとめた速水は、咲を表紙の顔にしてエッセイを連載することにします。

高野は20年来筆を折り行方不明になっている幻の作家、神座(リリー・フランキー)に注目し、最後の作品の原稿を細かく調べ上げます。そこから、ある飛行場でセスナを所有していることを推察し現地に向かいますが、丁度離陸するところで直接会うことに失敗します。

咲はストーカー被害にあっていてましたが、いよいよトリニティが発行される直前についに直接ナイフを向けられてしまいます。咲はとっさに持っていた改造銃で発砲してしまい、警察に逮捕されてしまうのです。速水はたとえ広告が無くなっても、咲への同情も手伝って必ず発行部数が増えて赤字にはならないと東松を説得し、予想通りの売り上げ増に成功します。

宮藤と江波は、トリニティに奪われた矢代を説得し薫風に鞍替えさせますが、その発表の記者会見で、矢代は実は自分は作者ではなく行方不明の友人の作品であることを暴露してしまいます。責任を追及された宮藤は取締役から外され、ついに薫風は休刊が決定してしまうのでした。

確かにユーモアはほとんど無いので、大泉洋らしくないと言えばそうかもしれません。登場人物が何かしら誰かを騙しているというところはありますが、大泉洋が演じる速水がその中心にいて、だからと言って悪者にはなりきれていないあたりは、らしいと言えばらしい点かもしれません。

矢代、咲、神座という3人のエピソードがバラバラのようで最後につながっていくあたりはなかなか面白い構成なんですが、謎を作り出している速水と、謎を追いかける高野の存在によって、やや話が複化していることが難点になっているかもしれません。2時間弱の映画ですが、あと30分くらいは長くても良いと思います。

それにしても、出版業界の苦境は明快に示されていて、関係する仕事に就いてる方には耳の痛い話になっています。ネット社会になって、文字を粗末に扱うようになったというのは実感するところで、時代と共に文化も変化していくのは必然だと思いますが、コミュニケーション手段として重要なところなので、ネット社会が取って代わるのではなく上位互換となってもらいたいものだと感じています。