ボブ・ディランがThe Bandと一緒に行った1974年の「復活」ツアーは大成功で、各アリーナ会場は満員盛況でした。しかし、ツアー期間中に発売されたニュー・アルバム「Planet Waves」は高評価で初期こそ順調でしたが、途中から急速に販売枚数が鈍ります。これは新興レーベルのアサイラムが、ディランほどのビッグ・ネームを売るための体制が不十分だったことが原因で、大量の注文をさばける生産能力・運搬体制が整っていなかったのです。
また、ディランは過去の音源の権利を持ち続けるコロンビアが、「DYLAN」に続くお蔵入りネタばかりのアルバムをさらに作り出すことを怖れていました。そんな中で、ディランを復帰させたいコロンビアは、会長自らが密かに接触を試みてきました。
渡りに船という状況で、ディランが復帰の条件としてコロンビアに提示したのは、(1) 原盤権の返還、(2) 過去に遡って印税率の引き上げ、(3) 未発表音源の管理権、(4) アサイラムから出した2つのアルバムの原盤権をコロンビアが獲得する、(5) アルバム「DYLAN」をただちに廃盤とし市場から回収する、(6) 今後の制作される音源の内容に口を出さない、(7) 破格の前払い金(標準の10倍程度)の支払いなどで、コロンビアとしては全面降伏と言える屈辱的な内容でした。
それでもコロンビアは、これらの条件を了承したため、歴史的ともいえるアーティスト側の圧倒的な勝利と言える復帰契約が成立したのです。アサイラムに移籍して1年もたたないうちの8月に、ディランのコロンビアへの電撃復帰が発表されますが、まったく状況を知らされていなかったアサイラムのデヴィッド・ゲフィンは、どうにも打つ手がありませんでした。
順風満帆に見えるディランでしたが、プライベートでは妻サラとの関係が悪化し、家庭崩壊の危機に直面していました。ツアーを終えたディランは、ウクライナ出身の画家ノーマン・レイブの教室に通い出します。具体的なことは語られていませんが、ディランはレイブからかつて経験したことがない精神的な変革を教示されたようです。ただし、少なくともサラにはそれは理解不能で、二人の溝を深めるだけでした。
コロンビアと再契約したディランは、9月になるとすぐさまスタジオ入りしてニューアルバムの制作を開始します。これが邦題「血の轍」と題された、数あるディランのアルバムの中で最高傑作と評価されるものになりました。
内容は、そんなディランの精神的窮状を反映して、妻サラに対する捨てきれない愛情、一人になってしまう怖さなどを反映した私小説とでも言いたくなるようなものでした。ディラン自身は「私小説」であることを否定して、「こんなものを皆が楽しめるなんてどういうことだ」と語っていますが、超が付くほど内省的なものなので説得力はありません。
1曲目「Tangled up in Blue」は、男女の出会いの頃を中心に、いろいろなことを思い出しながら憂鬱な想いにかられる心情があふれます。そして、ちょっとしたボタンの掛け違いから「運命のいたずら」に翻弄される様子を歌い、今や君は自分にとって「大きな存在」となっていると訴えます。
ここで、想像の世界に入り込んだディランは、君が口を開くたびに「愚かな風」が吹いて、自分を悩ませるのです。そして君が去った後には、「孤独が襲い掛かり」、「朝になったらもう一度会いたい」と歌うのです。ここで10分近い16番まで歌詞がある、ディランかひたすら歌い続ける「Lily, Rosemary and Jack of Hearts」が登場します。ハートのジャックが、銀行強盗が成功するように隣のクラブで三角関係のドラマを仕組むという内容で、実際の歌詞はかなり難解。
現実に戻って、もしも(去った)彼女に会うことがあったら、「僕からよろしく」と伝えてほしいと多少の未練は残しつつ気持ちが整理できたと語り、彼女がいろいろな「嵐からの隠れ場所」になっていたことを思い出します。そして最後に、「バケツにいっぱい溜まった涙」があって、人生は悲しく儚いものだと歌いました。
後年ディランの息子ジェイコブは、このアルバムは「まるで両親の会話のようだ」と語っていて、ディラン自身が否定しようと、プライベートを色濃く反映していることは間違いありません。アルバムのタイトルも「血のにじむような人生の足跡」という解釈がされていて、当たらずとも遠からずというところでしょうか。
しかし、レコーディングはディランの気紛れに振り回されっぱなしでした。集められたミュージシャンには、楽譜どころかコード進行すら教えられずに、全員がディランの演奏の雰囲気とギターを弾く手元から、必死に伴奏を付けていくという常識では考えられないセッションでした。
ディラン自身も、当初からフォーク期のような自分のギター、ハーモニカだけの演奏をかなり意識していたようで、バックのバンド演奏は目立つ必要はないと考えていた節があります。4日間の短期集中で、一発取りに近い緊張感のあるセッションで録音を終了し、すぐさまテスト盤が作られコロンビアはクリスマス・シーズンでの発売を予定します。
ここで恒例となったディラン伝説が生まれるのですが、ホリディ・シーズンに地元ミネアポリスに戻ったディランは弟のデヴィッド・ジマーマンにテスト盤を聴かせ感想を求めました。デヴィッドの反応は否定的で、「シリアスすぎて地味。売れるとは思えない」というものでした。ディランもこの意見に同意して、ただちにコロンビアと連絡を取り工場を止めてしまいました。
*Minneapolis Session:













