女の子の殺し屋二人組が活躍する人気の映画、その第三弾。
今回は二人に「生きてて良かったぁ~」と言わせる、最強の敵との死闘が描かれます。もちろん、監督・脚本は 阪元裕吾、主演もお馴染みの髙石あかりと伊澤彩織が勤め、豪華ゲストが参戦します。
仕事で宮崎に出張しているのは、殺し屋協会所属の正社員、明るくいい加減で長い黒髪の杉本ちさと(高石あかり)とコミュ障の社会的不適合者で金髪ショートの深川まひろ(伊澤彩織)です。軽く一仕事を終えて、明日はまひろの二十歳の誕生日。やっと酒が飲めるとはしゃぐのも束の間、もう一件、協会の金を横領して逃亡した松浦(かいばしら)の抹殺の指令が下ります。
ところが、現場で松浦を殺そうとしている協会に所属していない「野良」の殺し屋、冬村かえで(池松壮亮)と鉢合わせし、まひろは冬村に倒され松浦も取り逃がしてしまいます。冬村は野良の殺し屋集団「ファーム」の協力で、別の理由で松浦を狙っていたのです。
殺し屋協会は、ベテランの入鹿みなみ(前田敦子)とその相棒である七瀬(大谷主水)を派遣し、4人で冬村と松浦の始末をつけさせることにします。ちさとは先輩として高圧的な入鹿に反発するものの、しぶしぶ任務を遂行することにしますが、松浦を確保するもののまたもや冬村の邪魔が入り、入鹿は足を負傷してしまいました。
冬村は、ファームのメンバーを力で仲間に引き入れ、4人と松浦が潜伏する廃屋を襲撃することにします。
池松壮亮、前田敦子というゲストの参戦で、だいぶストーリーの幅が広がった感じがしますが、やや伊澤彩織のアクションに頼り過ぎというところが目立ちました。ただし、今作ではちさととまひろの友情というか、絆というか、お互い無くてはならない存在であるという面が強調されているのが特徴かもしれません。
とか、例によって難しいことは考える必要はありません。今回も、とにかく笑えてかっこいいシーンがてんこ盛りなので、ただただ楽しめばよい作品です。
2025年12月9日火曜日
2025年12月8日月曜日
北海道ラーメン きむら 初代 @ たまプラーザ
もう、これについては新しいことはありません。
あくまでも、自分が食べた、という記録だけ。
近隣の主だった店にはだいたい行ってしまったので、ラーメン外食については、行きつけの店が決まってしまいました。
今回も、「北海道ラーメン きむら 初代」です。
今回も、辛味噌オロチョン・ラーメンです。
今回も、美味しくいただきました。
今回も・・・今回も・・・
・・・
近隣の主だった店にはだいたい行ってしまったので、ラーメン外食については、行きつけの店が決まってしまいました。
今回も、「北海道ラーメン きむら 初代」です。
今回も、辛味噌オロチョン・ラーメンです。
今回も、美味しくいただきました。
今回も・・・今回も・・・
・・・
2025年12月7日日曜日
今年の最後の満月
12月5日の夜は、今年の最後の満月が見れました。
「寒月」という呼び名もありますが、アメリカでは「Cold Moon」という言い方もあるそうです。
いずれも、寒い時期の満月という意味合いがありそうです。
月の写真はISO感度、露出、シャッター速度を自分で設定できるカメラであれば、それほど撮るのが難しいということはありません。
ただし、現状のスマホでは、どんなに性能が良くなっても、カメラのセンサーサイズが極端に小さくなるので無理な話です。
ただし、問題は超遠距離の被写体の撮影ですから、相応なカメラの望遠能力と確実なブレの抑制が無いとまともに見ることはできません。
・・・なんて、かっこつけたことを言ってますが、最近は一眼レフとか、ましてや何百mmの望遠レンズとか重たくてとても持ち歩く元気が無くなりました。
なので、この写真もコンデジです。光学30倍可能なレンズがついているので、かなり鮮明な月の写真が撮れました。
それにしても、全周がはっきりわかる、正真正銘の満月というのはなかなかお目にかかれません。今回はなかなか貴重な写真になりました。
2025年12月6日土曜日
ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー (2023)
阪元裕吾の監督・脚本によるシリーズ第2弾。前作に続き、髙石あかりと伊澤彩織が主役の最強殺し屋コンビを務めました。
杉本ちさと(髙石あかり)は黒の長髪で社交的(裏を返せばいい加減)、深川まひろ(伊澤彩織)は金の短髪でコミュ障で社会的不適合者という不思議なコンビ。殺し屋企業の正社員としてそれなりに評価される働きをしていましたが、未払いのジムの費用や保険の掛け金を入金しなければならず、しぶしぶ銀行に行きます。
ところが、そこで偶然登場した銀行強盗の二人組に振り込みを邪魔された二人は、強盗をやっつけてしまいます。しかし、会社からの正規の仕事以外で目立つ暴力沙汰を起こした二人は、服務規程違反となり謹慎処分となってしまいます。
ところが、そこで偶然登場した銀行強盗の二人組に振り込みを邪魔された二人は、強盗をやっつけてしまいます。しかし、会社からの正規の仕事以外で目立つ暴力沙汰を起こした二人は、服務規程違反となり謹慎処分となってしまいます。
神村ゆうり(丞威)と神村まこと(濱田龍臣)の兄弟は殺し屋企業のアルバイトの身分で、仕事を取っくる赤木(橋野純平)と共に正社員に比べて雑に扱われることに不満があります。正社員が減れば、自分たちが上に上がれると言う噂を信じて、二人はちさととまひろを抹殺することにしました。
しかし、最初の襲撃はあっさりと返り討ちに合います。謹慎中は殺しをしてはいけないという規則のため、ちさととまひろは意識を失った兄弟の後始末を清掃員の田坂(水石亜飛夢)に依頼します。しかし、ちょっと目を離した隙に兄弟は逃亡し、後を追った田坂が撃たれてしまうのでした。
ちさととまひろは、一晩中兄弟を探してやっと二人追い詰めますが、そのままだとまた規則違反と言われてしまうので、二人のサポータである須佐野(飛永翼)に連絡して許可を求めます。須佐野は田坂の見舞いに来ていたところだったので、田坂は自分から殺しを依頼すれば仕事だから構わないだろうと言うのでした。
・・・というような、一般企業のような殺し屋のドタバタが今回も描かれていて、特にそれ以上でもそれ以下でもない、単純な笑えてかっこいい映画です。もちろん、主役は死なないという安心感があるので結末は予想できるのですが、それでも笑いとアクションのバランスがよく、前作よりも展開がこなれている感じします。
しかし、最初の襲撃はあっさりと返り討ちに合います。謹慎中は殺しをしてはいけないという規則のため、ちさととまひろは意識を失った兄弟の後始末を清掃員の田坂(水石亜飛夢)に依頼します。しかし、ちょっと目を離した隙に兄弟は逃亡し、後を追った田坂が撃たれてしまうのでした。
ちさととまひろは、一晩中兄弟を探してやっと二人追い詰めますが、そのままだとまた規則違反と言われてしまうので、二人のサポータである須佐野(飛永翼)に連絡して許可を求めます。須佐野は田坂の見舞いに来ていたところだったので、田坂は自分から殺しを依頼すれば仕事だから構わないだろうと言うのでした。
・・・というような、一般企業のような殺し屋のドタバタが今回も描かれていて、特にそれ以上でもそれ以下でもない、単純な笑えてかっこいい映画です。もちろん、主役は死なないという安心感があるので結末は予想できるのですが、それでも笑いとアクションのバランスがよく、前作よりも展開がこなれている感じします。
2025年12月5日金曜日
ベイビーわるきゅーれ (2021)
まだ20代の若い阪元裕吾による監督・脚本で、大人気となりシリーズ化、さらにはテレビドラマ化もされた作品。10代の女の子が企業としての殺し屋会社に入り殺し屋として優秀であるだけでなく、ごく普通の社会人としても試練を乗り越えると言うギャップをユーモラスに描きつつ、本格的なアクション映画としても成立させています。
殺し屋になるのは、朝の連続テレビ小説に抜擢され注目されている杉本ちさと役の高石あかりと多くの映画でスタントを行ってきた深川まひろ役の伊澤彩織。ちさとは愛想が良くて、黒のロングヘアー、社交的でお調子者。まひろは、金髪のショートヘアで、コミュ障、社会性は皆無だが、格闘能力は極めて高い。
二人は、殺しを請け負う会社から月給をもらって仕事をまかされるのですが、二人をサポートするのは須佐野(飛永翼)という、ごく平凡なサラリーマン風の男性で、彼女たちの仕事の後片付けをする清掃担当員は田坂(水石亜飛夢)です。田坂は、二人の荒っぽい仕事ぶりに怒っていて、片付ける方のことも考えてほしいと説教をするのです。
仕事でヤクザの親分を始末した二人ですが、その一番の部下浜岡(本宮泰風)は、自分の娘のひまり(秋谷百音)に犯人捜しを命じます。ひまりは側近の渡部(三元雅芸)とともに依頼人を突き止め、ちさとを誘い出して銃を奪って去っていきました。
殺し屋になるのは、朝の連続テレビ小説に抜擢され注目されている杉本ちさと役の高石あかりと多くの映画でスタントを行ってきた深川まひろ役の伊澤彩織。ちさとは愛想が良くて、黒のロングヘアー、社交的でお調子者。まひろは、金髪のショートヘアで、コミュ障、社会性は皆無だが、格闘能力は極めて高い。
二人は、殺しを請け負う会社から月給をもらって仕事をまかされるのですが、二人をサポートするのは須佐野(飛永翼)という、ごく平凡なサラリーマン風の男性で、彼女たちの仕事の後片付けをする清掃担当員は田坂(水石亜飛夢)です。田坂は、二人の荒っぽい仕事ぶりに怒っていて、片付ける方のことも考えてほしいと説教をするのです。
仕事でヤクザの親分を始末した二人ですが、その一番の部下浜岡(本宮泰風)は、自分の娘のひまり(秋谷百音)に犯人捜しを命じます。ひまりは側近の渡部(三元雅芸)とともに依頼人を突き止め、ちさとを誘い出して銃を奪って去っていきました。
メイドカフェでバイトすることになったちさとでしたが、そこに新しい金儲けを考えている浜岡と息子のかずき(うえきやサトシ)がやってきて、ちょっとしたことから浜岡が激怒してしまいます。なりゆきで、ちさとはかずきの銃を奪い取って射殺、その流れで浜岡も殺してしまいます。ひまりは浜岡とかずきの死体の匂いから、犯人はちさとであることを察知し、宣戦布告してくるのでした。
殺し屋なのに、家賃の払いとか、健康保険とかで悩むところがなかなか楽しい。特に、この他愛ない設定を、痛快な活劇に高めているのが伊澤彩織のアクションです。「キングダム」や「るろうに剣心」でのスタントのみならず、「ジョン・ウィック・コンセクエンス」でも見事なアクションを披露している腕は超一級品です。
とにかく、あまり深く考えずに、笑ってドキドキして、痛快・爽快感を味わうという、エンタメとして楽しめる作品になっています。
殺し屋なのに、家賃の払いとか、健康保険とかで悩むところがなかなか楽しい。特に、この他愛ない設定を、痛快な活劇に高めているのが伊澤彩織のアクションです。「キングダム」や「るろうに剣心」でのスタントのみならず、「ジョン・ウィック・コンセクエンス」でも見事なアクションを披露している腕は超一級品です。
とにかく、あまり深く考えずに、笑ってドキドキして、痛快・爽快感を味わうという、エンタメとして楽しめる作品になっています。
2025年12月4日木曜日
このまちはぼくたちのもの
これは横浜市青葉区役所の入口の植え込みに設置されているもの。
1m四方くらいの大きさのパネルが6つ組み合わさったような感じで、モダン彫刻というような範疇の美術品です。
この下に「このまちはぼくたちのもの We own this town 1995」と書かれたプレートが設置されていて、作者は渡辺豊重となっています。
渡辺豊重は1931年、東京生まれの美術家で、戦後は川崎で活躍しました。晩年は、栃木県のなすで過ごし、2023年に91歳で亡くなりました。
ネット情報が少ないので、あまり詳細はわかりませんが、ユーモラスな抽象的な作風だったそうなので、この作品も比較的ご本人の感性をストレートに感じられるものではないかと思います。
区役所は、たいてい目的があって訪れる場所。さっさと用事を済ませたいとは思いますが、ちょっと足を止めて眺めてみるのも良いかと思います。
2025年12月3日水曜日
レモンの樹
柑橘類がなっている庭の植木というのは、横浜あたりでもしばしば見かけます。
たいていは、蜜柑、柚子とか八朔とか和風の名前がつく、食べれそうなものが多いのでしないでしょうか。
ただし、ちゃんとした果樹園で栽培される物とは違い、実際に口にするとかなり渋かったり、酸っぱかったりで、隣り近所におすそ分けするのは控えた方が良さそうなものだと思います。
今まで気がつかなかったのですが、近所に真っ黄色な果実がなっているのを発見しました。
色からすると、まさにレモン色といえそうな黄色です。形は楕円というよりはやや球形に近いかもしれませんが、大きさからしてもレモンにしか見えない。
レモンを植えるとは・・・ちょっとおしゃれ。なかなかモダンなお宅と見受けます。
それに比べると、うちに生えているのは、あまり面白味はないものばかり。ですが、実がつくものは虫もつきやすいので、まぁ、いいか・・・ってな。
2025年12月2日火曜日
Cloud クラウド (2024)
現代日本の巨匠と呼べる映画作家の一人が黒沢清。いずれの作品も独特の世界観がありますが、主として社会性メッセージを込めたホラー風のストーリーが多い。この映画も、一見クライム・サスペンスのようにも見えますが、登場人物たちの行動は底知れない恐怖を感じさせるものになっています。この作品でも、黒沢清が監督・脚本のいずれも担当しました。
吉井良介(菅田将暉)は、ハンドル・ネーム「ラーテル」を用いて、転売を繰り返していました。ある時は、倒産寸前の町工場の殿山(赤堀雅秋)から、定価40万円の健康器具を3000円で買いたたき、「半額20万」として売り抜けていました。転売業の先輩、村岡(窪田正孝)からは、一緒に大きな仕事をしないかと誘われています。
吉井は工場で働いていましたが、社長の滝本(荒川良々)から、しつこく管理職になって自分のサポートをしてほしいと言われるのがうるさく感じ、会社を辞めて恋人の秋子(古川琴音)と共に、都心を離れた雑木林に囲まれた一軒家に引っ越すのでした。
地元出身という佐野(奥平大兼)をバイトに雇い、転売業は順調のように見えましたが、家の窓ガラスを割られたり、警察に行くと偽ブランド品売買を疑われたり、しだいに周囲に不穏な空気が立ち始めます。
秋子は金回りが悪くなったせいか、出ていってしまいます。佐野がネットを検索すると、「ラーテル」に対する中傷の書き込みがたくさんあり、人物を特定する動きがあることがわかりました。しかし、勝手にパソコンを使ったことで吉井は佐野も追い出してしまうのです。
ネットカフェで生活する三宅(岡山天音)は、何でもいいからどこかに怒りをぶつけたくて、「ラーテル」を潰す裏サイトに参加します。そして、吉井を殺すために集まった人々は、ついに行動を開始するのです。その中には、滝本や殿山も混ざっていました。
最近は、転売屋は大きな社会問題になっています。昔から転売行為はいくらでもありましたが、最近は規模が大きく、人気の最新商品が一般の購買客にまったく手に入らない事態が頻発しています。この作品では、転売を正当化するわけではなく、転売という行為が雪達磨式に膨れ上がり、一度始めると抜けられなくなる怖さ、そして必ずしも安定した利益を得られるものではないことを示しています。
さらに、一歩進んで、個人を簡単に特定してしまうネット社会の中では、転売に限らず意図しない怨みを買うことがいくらでもあることが恐ろしい。実は、佐野というキャラクターは、おそらく意図的にどのような人物が示されていませんが、吉井が潜在的に感じている恐怖を現実化したみたいな存在で、この映画のキーパーソンなのかもしれません。
その一方で、秋子の本性みたいなところは、最初からぷんぷん匂わせているので、結末がなんとなく見えてしまうのは残念なところ。菅田将暉は、この手の役では安定感があります。吉井と面識がなく勢いで参加する三宅という人物は、これもまた岡山天音の得意な範疇の役柄だと思いました。
世の中の「弱者」と呼べる人々の行き場のない怒りの矛先が、何となくいい思いをしているだろうと想像させた特定の一人に向かう怖さを描いた作品ですが、襲う側も襲われる側の両方に感情移入しにくい面があり、何となく違和感を残しました。はっきりとしたて解答が得られないモヤモヤが残るのですが、その不穏な感覚が監督の意図するところであれば作品は成功なのかもしれません。
吉井良介(菅田将暉)は、ハンドル・ネーム「ラーテル」を用いて、転売を繰り返していました。ある時は、倒産寸前の町工場の殿山(赤堀雅秋)から、定価40万円の健康器具を3000円で買いたたき、「半額20万」として売り抜けていました。転売業の先輩、村岡(窪田正孝)からは、一緒に大きな仕事をしないかと誘われています。
吉井は工場で働いていましたが、社長の滝本(荒川良々)から、しつこく管理職になって自分のサポートをしてほしいと言われるのがうるさく感じ、会社を辞めて恋人の秋子(古川琴音)と共に、都心を離れた雑木林に囲まれた一軒家に引っ越すのでした。
地元出身という佐野(奥平大兼)をバイトに雇い、転売業は順調のように見えましたが、家の窓ガラスを割られたり、警察に行くと偽ブランド品売買を疑われたり、しだいに周囲に不穏な空気が立ち始めます。
秋子は金回りが悪くなったせいか、出ていってしまいます。佐野がネットを検索すると、「ラーテル」に対する中傷の書き込みがたくさんあり、人物を特定する動きがあることがわかりました。しかし、勝手にパソコンを使ったことで吉井は佐野も追い出してしまうのです。
ネットカフェで生活する三宅(岡山天音)は、何でもいいからどこかに怒りをぶつけたくて、「ラーテル」を潰す裏サイトに参加します。そして、吉井を殺すために集まった人々は、ついに行動を開始するのです。その中には、滝本や殿山も混ざっていました。
最近は、転売屋は大きな社会問題になっています。昔から転売行為はいくらでもありましたが、最近は規模が大きく、人気の最新商品が一般の購買客にまったく手に入らない事態が頻発しています。この作品では、転売を正当化するわけではなく、転売という行為が雪達磨式に膨れ上がり、一度始めると抜けられなくなる怖さ、そして必ずしも安定した利益を得られるものではないことを示しています。
さらに、一歩進んで、個人を簡単に特定してしまうネット社会の中では、転売に限らず意図しない怨みを買うことがいくらでもあることが恐ろしい。実は、佐野というキャラクターは、おそらく意図的にどのような人物が示されていませんが、吉井が潜在的に感じている恐怖を現実化したみたいな存在で、この映画のキーパーソンなのかもしれません。
その一方で、秋子の本性みたいなところは、最初からぷんぷん匂わせているので、結末がなんとなく見えてしまうのは残念なところ。菅田将暉は、この手の役では安定感があります。吉井と面識がなく勢いで参加する三宅という人物は、これもまた岡山天音の得意な範疇の役柄だと思いました。
世の中の「弱者」と呼べる人々の行き場のない怒りの矛先が、何となくいい思いをしているだろうと想像させた特定の一人に向かう怖さを描いた作品ですが、襲う側も襲われる側の両方に感情移入しにくい面があり、何となく違和感を残しました。はっきりとしたて解答が得られないモヤモヤが残るのですが、その不穏な感覚が監督の意図するところであれば作品は成功なのかもしれません。
2025年12月1日月曜日
決戦は日曜日 (2022)
今。話題になっている「君の顔では泣けない」で監督と脚本を担当している坂下雄一郎が、その一つ前にやはり監督・脚本した作品です。日本の政界には二世議員と呼ばれる方が数多く存在しますが、ユーモアと皮肉を込めて(?)その実態に迫る映画になりました。
父親の衆議院議員が病で倒れたため、後援会や市議会議員らの後押しで娘の川島有美(宮沢りえ)が地盤を引き継いで立候補することになりました。父親から引き続き担当する事務所のスタッフは、濱口祐介(小市慢太郎)、岩渕勇気(赤楚衛二)、田中菜慈(内田慈)、そして直接の世話をする秘書として谷村勉(窪田正孝)です。
しかし、政治の世界にはまったく素人で、様々な周囲の人々のしがらみなどまったく気にしない有美は、あちこちでたくさんの問題を起こして、谷村たちをやきもきさせてばかりいるのです。差別的な発言をしたり、突撃ユーチューバーと喧嘩をしてニュースになったりしても謝罪しないため、ついに後援会の重鎮は引き上げてしまいます。
谷村らが一生懸命にお膳立てをして、それらを何とか納めていき、何とか選挙戦に突入します。いろいろあっても、父親への信用から世論調査では楽勝と思われていましたが、公示後に父親のかつての特定企業への口利き疑惑がスクープされてしまいます。さらに、市議会議員や支援する企業の役員たちが、これまでの既得権益を守ることを要求してくるのです。
有美は初めて裏の世界を知り、政治に対して幻滅して立候補を取り下げると言い出すのです。そんなことをされたら、我々は全員仕事が無くなると谷村は必死になだめるのですが、しだいに谷村自身も考えを変えるようになり、有美に「立候補を辞めるわけにはいかないので、落選しましょう」と持ち掛けるのです。
谷村の作戦で、有美は再び暴れまわって、動画をネットに上げます。対立候補の立会演説でヤジを飛ばしたりするのですが、なかなか支持率が落ちません。ついには、父親のスキャンダルの相手が事実を認めてしまい、これで一気に落選に向かうと思ったとたん、北朝鮮がミサイルを発射したことで話題は一気にミサイルに流れてしまうのでした。
もちろん、早くから政治の世界を垣間見て勉強してきた二世の方は大勢いるのでしょうから、この映画を見たら憤慨するかもしれません。ただ、立候補する人が純粋に日本を良くしたいとだけ思っているというのは稀で、おそらくは多くの利権が絡んでいたりするだろうということは普通に想像できることです。
この映画では、本来はブラック・ユーモア的な題材を、ギリギリ表立って笑えるように作ったところが味噌です。それは、宮沢りえとしてはかなり奇抜な演技と、とにかく議員秘書の大変さを具現化した窪田正孝の演技によるところが大きいと思います。
実際に有美のように最初から最後まで本音を言いたくてたまらない議員が増えると、政治はもっと面白くなると思います。ただし、その一方で、そんな人ばかりだとまとまる話もまとまらなくなりそうですから、ある程度のバランス感覚は必要でしょうね。
父親の衆議院議員が病で倒れたため、後援会や市議会議員らの後押しで娘の川島有美(宮沢りえ)が地盤を引き継いで立候補することになりました。父親から引き続き担当する事務所のスタッフは、濱口祐介(小市慢太郎)、岩渕勇気(赤楚衛二)、田中菜慈(内田慈)、そして直接の世話をする秘書として谷村勉(窪田正孝)です。
しかし、政治の世界にはまったく素人で、様々な周囲の人々のしがらみなどまったく気にしない有美は、あちこちでたくさんの問題を起こして、谷村たちをやきもきさせてばかりいるのです。差別的な発言をしたり、突撃ユーチューバーと喧嘩をしてニュースになったりしても謝罪しないため、ついに後援会の重鎮は引き上げてしまいます。
谷村らが一生懸命にお膳立てをして、それらを何とか納めていき、何とか選挙戦に突入します。いろいろあっても、父親への信用から世論調査では楽勝と思われていましたが、公示後に父親のかつての特定企業への口利き疑惑がスクープされてしまいます。さらに、市議会議員や支援する企業の役員たちが、これまでの既得権益を守ることを要求してくるのです。
有美は初めて裏の世界を知り、政治に対して幻滅して立候補を取り下げると言い出すのです。そんなことをされたら、我々は全員仕事が無くなると谷村は必死になだめるのですが、しだいに谷村自身も考えを変えるようになり、有美に「立候補を辞めるわけにはいかないので、落選しましょう」と持ち掛けるのです。
谷村の作戦で、有美は再び暴れまわって、動画をネットに上げます。対立候補の立会演説でヤジを飛ばしたりするのですが、なかなか支持率が落ちません。ついには、父親のスキャンダルの相手が事実を認めてしまい、これで一気に落選に向かうと思ったとたん、北朝鮮がミサイルを発射したことで話題は一気にミサイルに流れてしまうのでした。
もちろん、早くから政治の世界を垣間見て勉強してきた二世の方は大勢いるのでしょうから、この映画を見たら憤慨するかもしれません。ただ、立候補する人が純粋に日本を良くしたいとだけ思っているというのは稀で、おそらくは多くの利権が絡んでいたりするだろうということは普通に想像できることです。
この映画では、本来はブラック・ユーモア的な題材を、ギリギリ表立って笑えるように作ったところが味噌です。それは、宮沢りえとしてはかなり奇抜な演技と、とにかく議員秘書の大変さを具現化した窪田正孝の演技によるところが大きいと思います。
実際に有美のように最初から最後まで本音を言いたくてたまらない議員が増えると、政治はもっと面白くなると思います。ただし、その一方で、そんな人ばかりだとまとまる話もまとまらなくなりそうですから、ある程度のバランス感覚は必要でしょうね。
2025年11月30日日曜日
朽ちないサクラ (2024)
柚月裕子による警察小説が原作。実写化に当たっては、骨格は変わりないもののいろいろと改変がおこなわれているらしいのですが、むしろ登場人物の内面を深く描き出すことに成功したと高く評価されています。
監督はこれが2作目の若い原廣利、脚本は「全裸監督」など多くの作品に携わっている山田能龍本とこの数年注目されている我人祥太が共同であたっています。我人祥太はR-1グランプリ決勝進出の経験もあるピン芸人という異色の経歴の持ち主です。
愛知県の平井中央署管内で、ストーカー被害の受理が遅れ、被害者の女性が殺されてしまいます。犯人として逮捕されたのは、神社の神官を務める男でした。しかし、受理が遅れた理由が職員の慰安旅行だったことが地方紙にスクープされてしまい、多くの非難をうけることになります。署内では、旅行のことを漏らした「犯人」は誰なのか憶測が広がっていました。
愛知県警の広報課では課長の富樫(安田顕)をはじめ、全員が電話対応に追われる中で、一般職員である森口泉(杉咲花)は親友で県警担当記者の津村千佳(森田想)のことを思い出していました。平井中央署の生活課に勤務する磯川俊一(萩原利久)から慰安旅行のお土産をもらったことを千佳に話してしまったことから、記事になってしまったと疑います。そのことを千佳に聞くと、「私ではない。今まで約束を破ったことはない。自分が漏らしたわけでは無いことを証明する」と言って去っていったのです。
数日後、川で千佳の遺体が発見されます。捜査一課長の梶山浩介(豊原功補)は、千佳の携帯の記録などから泉と頻繁に連絡を取り合っていたことがわかったため、富樫同席の上、泉に事情聴取をします。泉は千佳を疑ったことで、何か事件に巻き込まれたのではないかと自分を責め、自分も出来るだけ捜査に協力したいと言い出します。
思いつめている泉を見かねて、富樫は新興宗教の教団施設を見せにいきます。富樫は以前公安職員だったときに、教団が起こした毒ガス散布事件で、自分の軽率な行動が事件の引き金になったかもしれないという話を泉にします。それでも、前を向いていくしかないと言うのでした。
笑顔が無くなった泉を心配して、磯川は相談に乗る形で泉の捜査を手伝います。磯川は同じ職場の辺見(坂東巳之助)の様子がおかしいことに気がつき、ストーカー事件のすぐあとに職場で付き合っていた女性と強引に別れていたことを知ります。その女性の実家を千佳が訪れた可能性があったため、泉と磯川は実家を訪ねますが、千佳の遺体が発見されたすぐ後に女性は自殺していたのです。
基本的には犯人捜し的なクライム・サスペンスの形を取っていますし、実際巧妙に真相を知るためのヒントがあちこちに隠されていて、2時間の枠の中にうまくまとめ上げられた作品となっていると思います。しかし、映画の製作者、そして原作者も一番に描きたかったのは、人が後悔と向き合っていく姿です。
人は自分の行為が悔やんでも悔やみきれない結果につながった場合、どうすればいいのか。泉はどうして親友が死ななければならなかったの真相を追求しますが、それは親友に対する贖罪なのか、それとも親友を信じ切れなかった自分を正当化するためなのかもしれません。具体的な行動をしていない富樫は、「前向きになるしかない」という曖昧な表現にとどめています。
辺見も、その別れた女性も何かしらの後悔をしていました。津村千佳でさえ、親友に疑いを持たせてしまったことを後悔していたことが、事件に巻き込まれていく大きな要因だったと思います。各自の向き合い方を、蕾だった桜が満開になり、そして散り始める情景の中で、しっかりと映画に焼き付けることができた作品だと感じました。
監督はこれが2作目の若い原廣利、脚本は「全裸監督」など多くの作品に携わっている山田能龍本とこの数年注目されている我人祥太が共同であたっています。我人祥太はR-1グランプリ決勝進出の経験もあるピン芸人という異色の経歴の持ち主です。
愛知県の平井中央署管内で、ストーカー被害の受理が遅れ、被害者の女性が殺されてしまいます。犯人として逮捕されたのは、神社の神官を務める男でした。しかし、受理が遅れた理由が職員の慰安旅行だったことが地方紙にスクープされてしまい、多くの非難をうけることになります。署内では、旅行のことを漏らした「犯人」は誰なのか憶測が広がっていました。
愛知県警の広報課では課長の富樫(安田顕)をはじめ、全員が電話対応に追われる中で、一般職員である森口泉(杉咲花)は親友で県警担当記者の津村千佳(森田想)のことを思い出していました。平井中央署の生活課に勤務する磯川俊一(萩原利久)から慰安旅行のお土産をもらったことを千佳に話してしまったことから、記事になってしまったと疑います。そのことを千佳に聞くと、「私ではない。今まで約束を破ったことはない。自分が漏らしたわけでは無いことを証明する」と言って去っていったのです。
数日後、川で千佳の遺体が発見されます。捜査一課長の梶山浩介(豊原功補)は、千佳の携帯の記録などから泉と頻繁に連絡を取り合っていたことがわかったため、富樫同席の上、泉に事情聴取をします。泉は千佳を疑ったことで、何か事件に巻き込まれたのではないかと自分を責め、自分も出来るだけ捜査に協力したいと言い出します。
思いつめている泉を見かねて、富樫は新興宗教の教団施設を見せにいきます。富樫は以前公安職員だったときに、教団が起こした毒ガス散布事件で、自分の軽率な行動が事件の引き金になったかもしれないという話を泉にします。それでも、前を向いていくしかないと言うのでした。
笑顔が無くなった泉を心配して、磯川は相談に乗る形で泉の捜査を手伝います。磯川は同じ職場の辺見(坂東巳之助)の様子がおかしいことに気がつき、ストーカー事件のすぐあとに職場で付き合っていた女性と強引に別れていたことを知ります。その女性の実家を千佳が訪れた可能性があったため、泉と磯川は実家を訪ねますが、千佳の遺体が発見されたすぐ後に女性は自殺していたのです。
基本的には犯人捜し的なクライム・サスペンスの形を取っていますし、実際巧妙に真相を知るためのヒントがあちこちに隠されていて、2時間の枠の中にうまくまとめ上げられた作品となっていると思います。しかし、映画の製作者、そして原作者も一番に描きたかったのは、人が後悔と向き合っていく姿です。
人は自分の行為が悔やんでも悔やみきれない結果につながった場合、どうすればいいのか。泉はどうして親友が死ななければならなかったの真相を追求しますが、それは親友に対する贖罪なのか、それとも親友を信じ切れなかった自分を正当化するためなのかもしれません。具体的な行動をしていない富樫は、「前向きになるしかない」という曖昧な表現にとどめています。
辺見も、その別れた女性も何かしらの後悔をしていました。津村千佳でさえ、親友に疑いを持たせてしまったことを後悔していたことが、事件に巻き込まれていく大きな要因だったと思います。各自の向き合い方を、蕾だった桜が満開になり、そして散り始める情景の中で、しっかりと映画に焼き付けることができた作品だと感じました。
2025年11月29日土曜日
OTC類似薬
昨今、政治の話題でしばしば耳にするのが「OTC類似薬」という言葉。
OTCは「Over the Counter」の略で、カウンター越しに買うことができるという意味で、OTC薬というと、普通の一般薬局で購入可能な薬のことです。
代表的なOTC薬としては、解熱鎮痛薬のロキソニンS、バファリンA(アスピリン)、胃腸薬のガスター10、総合感冒薬のパブロンS、新ルルAゴールドDX、抗アレルギー薬のアレグラFXなどがあります。
じゃあ、OTC類似薬というのは何?
OTC類似薬は、医師が診察した上で発行する処方箋が必要な医療用医薬品でありながら、成分や効能がOTC医薬品と同等の薬のことです。
例えば、ロキソニンは三共製薬がおおよそ40年前に開発した「痛み止め」です。長年の実績で安全性などが担保されたため、2011年にOTC薬のロキソニンSとして、一般の薬局でも販売されるようになりました。
ただ。ここで一言文句を言いたい。医療用医薬品のロキソニンをOTC類似薬と呼ぶのは、どうしてもしっくりこない。ロキソニンが先で、ロキソニンSが後ですから、OTC類似薬というと後から出てきたみたいな印象になってしまう。OTC薬を医療用医薬品類似薬と呼んでもらいたいものです。
それはともかく、気になるのは価格です。医療用医薬品のロキソニンは1錠が10.4円、ジェネリック薬の場合は10.1円です。1日に3回内服する薬ですので、4日分だと12錠が必要になります。薬そのものの値段は大したことはありませんが、診察料、処方箋料、そして処方箋薬局での指導管理料などが加わりますので3割負担で1000円程度の自己負担となります。一方、一般薬局でOTC薬のロキソニンSを購入する場合は、1箱に12錠入っていて、消費税込みで768円です。
ただし、4週間分必要な場合は、医療用医薬品のロキソニンなら3割負担で300円程度増えるだけですが、OTC薬のロキソニンSだと7箱必要なので5,376円となり、大きな差が出てきます。つまり、とても大雑把な言い方をすると、ロキソニンSが4箱(16日分)を超えなければ、OTC薬を買ったほうが安上がりということになります。
今、政治家の方々が相談しているのは、OTC類似薬は健康保険の対象外でいいんじゃないかという話。ケガやぎっくり腰などで一時的な痛みで使用する場合は、ほとんどが1週間以内の使用であることが多いので、健康保険から外されても金額的にはあまり問題はないかもしれません。ただし、それはあくまでも診察は受けなくてよいと自己判断できる場合です。
中には日常生活を続けるために長期間の服用が必要な方もいますし、いろいろなパターンがあるはずなので、一律に保険適応外としてしまうのはいかがなものかと思います。増加し続ける医療費の中で薬剤費は、このような安くなった薬ではなく、近年次から次へと登場してくる高額な新薬が関与している部分が大きいことは明らかで、OTC類似薬の保険適応を外しても効果は限定的だと感じます。
いずれにしても、現状の皆保険制度の維持は今後困難になっていくことは火を見るより明らかではあるので、抜本的な構造的改革が必要であることは間違いがありません。
2025年11月28日金曜日
フロントライン (2025)
重い。この映画を見た、率直な感想は「重い」です。自分も医療関係者、医師ですから、この映画を単なるエンターテイメント作品として見ることはできませんでした。
映画全体が、最初から最後まで重苦しい雰囲気の中で進行するので、一般の方には辛い作品だと思います。ですから、そういう「重い」部分もあるのですが、やはり登場する医師たちにものすごく共感してしまう部分が重くのしかかってくるのです。
これは日本における新型コロナウイルス(COVID-19)感染症のパンデミックのきっかけとなった、2020年1月末に豪華クルーズ船であるダイアモンド・プリンセス号の乗客にCOVID-19感染者がいることが判明し、2月3日に横浜港に停泊後、全乗船者が下船した3月1日までの事実に基づいた一部フィクションを交えたセミ・ドキュメントと言える映画です。
監督の関根光才は、MV制作から出できて社会問題にもかかわる人物。脚本は「コードブルー」の製作にも携わった増本淳で、福島第一原子力発電所事故を丁寧に扱った「THE DAYS」でも制作・脚本を担当しました。
新型感染者の発生により、多くの病院が尻込みする中、神奈川県は神奈川DMAT(災害派遣医療チーム)に船内での救護活動を要請しました。DMATの指揮官、結城(小栗旬)は、DMATの専門が感染症ではないことは承知した上で、目の前の命の危険がある人々を救いたいという思いから引き受けます。
船内に入って実質的な医療行為を行うのは医師の仙道(室塚陽介)、真田(池松壮亮)らで、結城は主に神奈川県庁から多くの交渉事を一手に行っていました。厚生労働省からは立松(松坂桃李)が派遣され、このウイルスを国内に持ち込ませないことを第一の使命と考えていました。
はじめは結城と立松はぶつかることがありましたが、何の保証もなく自分たちも感染する危険の中で必死に活動するDMATを見るうちに、立松は国としてのルールよりも今現場が必要としていることに出来る限り協力する姿勢を見せ始めるのです。
そんな中で、感染症専門家と称する六合(吹越満)が、船内を訪れ専門家ではないDMATが不適切な感染対策をしているという動画をネットに上げたことで、DMATの隊員たちの中に動揺が広がります。職場から批判されたり、中には、家族が差別を受けたりする者もいて、船内の活動に従事できるスタッフが激減してしまうのです。しかし、結城も仙道も今は反論している時ではないと考えていました。
初めは厚労省やDMATの仕事を批判していたテレビ局の上野(桜井ユキ)は、メディアり取り上げ方に少しずつ疑問を持ち始めました。テレビは最初は何故乗客を降ろさないと批判していたのに、いざ下船準備が始まると何故下ろすと矛先を変えるのです。上野は結城たちの想いを感じ、起こっている事実だけを冷静に報道することを目指すのでした。
PCR検査陰性者も含めて船に足止めして2週間の隔離期間が過ぎたことで、集団下船が始まりクルーズ船での作業は終了します。真田はやっと家族の待つ家に帰宅し、仙道は新たな現場に向かいました。結城は立松に、「あんたが偉くなってくれれば、もっと我々は働きやすくなる」と言うのでした。
現実に同じ横浜市内で起こっていたこの件については、単純な傍観者にはなれませんでした。しかし、自分はクリニックの一人医者ですし専門外ですからという理由に納得して、この現場に参加するようなことは無いと思っていたことは間違いありません。
結果として、自分には何もできなかったかもしれませんが、あらためてこの映画を見ると、ものすごく後ろめたさを感じてしまいます。当時のブログを見返してみると、専門外でも少しでも冷静な客観的な情報を提供しようとしていたことを思い出しました。それすらも自己保身的なものだったかもしれない。そういう意味でも、とにかく「重い」映画でした。
映画全体が、最初から最後まで重苦しい雰囲気の中で進行するので、一般の方には辛い作品だと思います。ですから、そういう「重い」部分もあるのですが、やはり登場する医師たちにものすごく共感してしまう部分が重くのしかかってくるのです。
これは日本における新型コロナウイルス(COVID-19)感染症のパンデミックのきっかけとなった、2020年1月末に豪華クルーズ船であるダイアモンド・プリンセス号の乗客にCOVID-19感染者がいることが判明し、2月3日に横浜港に停泊後、全乗船者が下船した3月1日までの事実に基づいた一部フィクションを交えたセミ・ドキュメントと言える映画です。
監督の関根光才は、MV制作から出できて社会問題にもかかわる人物。脚本は「コードブルー」の製作にも携わった増本淳で、福島第一原子力発電所事故を丁寧に扱った「THE DAYS」でも制作・脚本を担当しました。
新型感染者の発生により、多くの病院が尻込みする中、神奈川県は神奈川DMAT(災害派遣医療チーム)に船内での救護活動を要請しました。DMATの指揮官、結城(小栗旬)は、DMATの専門が感染症ではないことは承知した上で、目の前の命の危険がある人々を救いたいという思いから引き受けます。
船内に入って実質的な医療行為を行うのは医師の仙道(室塚陽介)、真田(池松壮亮)らで、結城は主に神奈川県庁から多くの交渉事を一手に行っていました。厚生労働省からは立松(松坂桃李)が派遣され、このウイルスを国内に持ち込ませないことを第一の使命と考えていました。
はじめは結城と立松はぶつかることがありましたが、何の保証もなく自分たちも感染する危険の中で必死に活動するDMATを見るうちに、立松は国としてのルールよりも今現場が必要としていることに出来る限り協力する姿勢を見せ始めるのです。
そんな中で、感染症専門家と称する六合(吹越満)が、船内を訪れ専門家ではないDMATが不適切な感染対策をしているという動画をネットに上げたことで、DMATの隊員たちの中に動揺が広がります。職場から批判されたり、中には、家族が差別を受けたりする者もいて、船内の活動に従事できるスタッフが激減してしまうのです。しかし、結城も仙道も今は反論している時ではないと考えていました。
初めは厚労省やDMATの仕事を批判していたテレビ局の上野(桜井ユキ)は、メディアり取り上げ方に少しずつ疑問を持ち始めました。テレビは最初は何故乗客を降ろさないと批判していたのに、いざ下船準備が始まると何故下ろすと矛先を変えるのです。上野は結城たちの想いを感じ、起こっている事実だけを冷静に報道することを目指すのでした。
PCR検査陰性者も含めて船に足止めして2週間の隔離期間が過ぎたことで、集団下船が始まりクルーズ船での作業は終了します。真田はやっと家族の待つ家に帰宅し、仙道は新たな現場に向かいました。結城は立松に、「あんたが偉くなってくれれば、もっと我々は働きやすくなる」と言うのでした。
現実に同じ横浜市内で起こっていたこの件については、単純な傍観者にはなれませんでした。しかし、自分はクリニックの一人医者ですし専門外ですからという理由に納得して、この現場に参加するようなことは無いと思っていたことは間違いありません。
結果として、自分には何もできなかったかもしれませんが、あらためてこの映画を見ると、ものすごく後ろめたさを感じてしまいます。当時のブログを見返してみると、専門外でも少しでも冷静な客観的な情報を提供しようとしていたことを思い出しました。それすらも自己保身的なものだったかもしれない。そういう意味でも、とにかく「重い」映画でした。
2025年11月27日木曜日
ある閉ざされた雪の山荘で (2024)
数えきれない実写化作品を輩出しているベストセラー作家・東野圭吾の推理小説が原作。それだけでも、期待してしまうのですが、タイトルからして話の舞台全体が密室となっていて、登場人物が一人ずつ消えていくのだろうと考えてしまいます。監督は「宇宙人のあいつ」の飯塚健、飯塚と加藤良太の共同脚本になっています。
人気劇団「水滸」の次の舞台の主役を決めるため、海辺の豪華な貸別荘に集まったのは7人の役者。集めたのは水滸の演出家東郷です。メンバーは、リーダーの雨宮恭介(戸塚純貴)、実力派人気俳優の本多雄一(間宮祥太郎)、感情的な田所義男(岡山天音)、東郷に取り入って主役を得た噂がある笠原温子(保田真由)、演技派下手ですが父親が劇団のスポンサーである元村由梨江(西野七瀬)、個性派美人女優の中西貴子(中条あやみ)、そして唯一水滸に所属していない久我和幸(重岡大毅)です。
到着すると、早速東郷からのメッセージが壁に映し出されます。それは「これから殺人事件が起きる。その状況を踏まえて各自が独自に演技をすること。犯人を突き止めたものが次の主役になる」というもので、ここが「大雪で閉ざされた山荘」であるという設定で、外部との連絡は禁止されます。
二日目の朝、笠原がいないことに気がつきます。すると東郷からの「笠原は絞殺された」というメッセージが映し出されますが、皆はこれはオーディションの設定の一部かもと考えます。しかし、三日目の朝、今度は元村がいない。彼女の部屋の壁には血糊が撒かれ、リビングには本物の血がついた花瓶が置かれていました。再び、東郷から「元村は撲殺された」とのメッセージ。
雨宮は荷物をまとめて逃げ出そうとしますが、本多はこれらも全部芝居をするための演出かもしれないと踏みとどまらせようとします。田所は、笠原、元村と消えると次は雨宮だろうから怖いのは当たり前だと言い出します。
実は、前回の舞台で最も実力のある麻倉雅美(森川葵)が、主役を笠原に取られたことで劇団を辞めて実家に帰ってしまい、雨宮、笠原、元村の三人が復帰をさせようと説得に行って、かえって麻倉を傷つけてしまったのです。しかも、麻倉は、笠原の嘘のせいで交通事故にあい下半身不随の後遺症を負ってしまったのでした。
そして、最終日、四日目の朝。荷物をまとめて出てきたのは、本多、田所、中西、久我の4人。雨宮の姿はありませんでした。
基本的には推理物ですから、せいぜい紹介できるストーリーはこのくらい。また感想もほとんどネタバレになるので、多くは語れません。
オーディションの最終選考に集められた別荘で、劇団員たちは、携帯などの使用は禁止され、敷地から出たら不合格になるという「クローズド・サークル」が設定されています。クローズド・サークルとは、推理小説で外界との交流が断たれた閉鎖空間の中を意味する用語で、東野圭吾の得意技。ただし、出たくても出れない物理的な密室のようなものとは違い、心理的な施錠がされた状況というのが珍しい。
とは言え、携帯電話などは自己申告で提出していて、2個持ちも有りうるし、本当に殺人があったと考え、かつ次は自分かもしれないと思ったら、いくら配役を貰いたくてもその場に居残るというのはあまりにも不自然ではないでしょうか。家中に監視カメラが設置してあり、そもそもこの最終選考を企画した演出家の東郷が何らかの関りがあることは間違いないわけで、そういう意味でも主役に選ばれたいモチベーションが続くはずがない。
そこは別荘に中で、殺人をテーマにした自由な演技をしろというテーマがあること、殺されたとされる人物の死体が出てこないことで、残された人々は本当なのか演技なのか疑心暗鬼になることで誤魔化されているような感じがします。
原作(未読)にも家の見取り図が掲載されていて、謎を解明する大きな手がかりになっているらしい。それを踏襲してか、見取り図上に登場人物がはめ込まれて、今どこにいるかを示すシーンがしばしば出てくるのですが、ほとんど意図するものが不明なだけ。いちいち東郷のメッセージが、いろいろな場所でプロジェクションで映されるのも嘘くさい。
また犯人の意図が判明した時点で、じゃあそもそも部外者の久我がいる理由がわからなくなります。また、犯人を特定しろという命題があるにも関わらず、そのための手掛かりは映画の中でほとんど示されません。
開けても開けても中にさらに小さな人形が入っているマトリョーシカのような構成になっているのは原作の妙味ですが、最後のシーンを見ると元々の人形が美しい箱の中にしまわれているようなことなのかもしれません。いずれにしても、原作はともかく、映画に関しては、「多くは語れない」と言いましたが、「推理物」としては、かなり雑な作りであり突っ込みたくなるところが多過ぎると思いました。
人気劇団「水滸」の次の舞台の主役を決めるため、海辺の豪華な貸別荘に集まったのは7人の役者。集めたのは水滸の演出家東郷です。メンバーは、リーダーの雨宮恭介(戸塚純貴)、実力派人気俳優の本多雄一(間宮祥太郎)、感情的な田所義男(岡山天音)、東郷に取り入って主役を得た噂がある笠原温子(保田真由)、演技派下手ですが父親が劇団のスポンサーである元村由梨江(西野七瀬)、個性派美人女優の中西貴子(中条あやみ)、そして唯一水滸に所属していない久我和幸(重岡大毅)です。
到着すると、早速東郷からのメッセージが壁に映し出されます。それは「これから殺人事件が起きる。その状況を踏まえて各自が独自に演技をすること。犯人を突き止めたものが次の主役になる」というもので、ここが「大雪で閉ざされた山荘」であるという設定で、外部との連絡は禁止されます。
二日目の朝、笠原がいないことに気がつきます。すると東郷からの「笠原は絞殺された」というメッセージが映し出されますが、皆はこれはオーディションの設定の一部かもと考えます。しかし、三日目の朝、今度は元村がいない。彼女の部屋の壁には血糊が撒かれ、リビングには本物の血がついた花瓶が置かれていました。再び、東郷から「元村は撲殺された」とのメッセージ。
雨宮は荷物をまとめて逃げ出そうとしますが、本多はこれらも全部芝居をするための演出かもしれないと踏みとどまらせようとします。田所は、笠原、元村と消えると次は雨宮だろうから怖いのは当たり前だと言い出します。
実は、前回の舞台で最も実力のある麻倉雅美(森川葵)が、主役を笠原に取られたことで劇団を辞めて実家に帰ってしまい、雨宮、笠原、元村の三人が復帰をさせようと説得に行って、かえって麻倉を傷つけてしまったのです。しかも、麻倉は、笠原の嘘のせいで交通事故にあい下半身不随の後遺症を負ってしまったのでした。
そして、最終日、四日目の朝。荷物をまとめて出てきたのは、本多、田所、中西、久我の4人。雨宮の姿はありませんでした。
基本的には推理物ですから、せいぜい紹介できるストーリーはこのくらい。また感想もほとんどネタバレになるので、多くは語れません。
オーディションの最終選考に集められた別荘で、劇団員たちは、携帯などの使用は禁止され、敷地から出たら不合格になるという「クローズド・サークル」が設定されています。クローズド・サークルとは、推理小説で外界との交流が断たれた閉鎖空間の中を意味する用語で、東野圭吾の得意技。ただし、出たくても出れない物理的な密室のようなものとは違い、心理的な施錠がされた状況というのが珍しい。
とは言え、携帯電話などは自己申告で提出していて、2個持ちも有りうるし、本当に殺人があったと考え、かつ次は自分かもしれないと思ったら、いくら配役を貰いたくてもその場に居残るというのはあまりにも不自然ではないでしょうか。家中に監視カメラが設置してあり、そもそもこの最終選考を企画した演出家の東郷が何らかの関りがあることは間違いないわけで、そういう意味でも主役に選ばれたいモチベーションが続くはずがない。
そこは別荘に中で、殺人をテーマにした自由な演技をしろというテーマがあること、殺されたとされる人物の死体が出てこないことで、残された人々は本当なのか演技なのか疑心暗鬼になることで誤魔化されているような感じがします。
原作(未読)にも家の見取り図が掲載されていて、謎を解明する大きな手がかりになっているらしい。それを踏襲してか、見取り図上に登場人物がはめ込まれて、今どこにいるかを示すシーンがしばしば出てくるのですが、ほとんど意図するものが不明なだけ。いちいち東郷のメッセージが、いろいろな場所でプロジェクションで映されるのも嘘くさい。
また犯人の意図が判明した時点で、じゃあそもそも部外者の久我がいる理由がわからなくなります。また、犯人を特定しろという命題があるにも関わらず、そのための手掛かりは映画の中でほとんど示されません。
開けても開けても中にさらに小さな人形が入っているマトリョーシカのような構成になっているのは原作の妙味ですが、最後のシーンを見ると元々の人形が美しい箱の中にしまわれているようなことなのかもしれません。いずれにしても、原作はともかく、映画に関しては、「多くは語れない」と言いましたが、「推理物」としては、かなり雑な作りであり突っ込みたくなるところが多過ぎると思いました。
2025年11月26日水曜日
ファーストキス 1ST KISS (2025)
今年の春の話題作。話題の理由の一つは、監督が塚原あゆ子というところ。飛ぶ鳥を落とす勢いというのは、最近の塚原に相応しい表現で、2024年だけでも公開された映画は「ラストマイル」と「グランメゾン★パリ」があり、テレビでも大作となった「海に眠るダイヤモンド」がありました。もう一つの話題性は脚本の坂元裕二によるオリジナル・ストーリーだということ。1991年の「東京ラブストーリー」以来、時代の空気を的確に読み込んだ脚本の数々でいつも注目を浴びてきました。
さらに主演がもうベテランと呼ばれるようになった松たか子と「夜明けのすべて」で見事な演技を見せたSixTONESの松村北斗という、18歳差のカップルというのも驚かされました。しかし、年の差があるからこその、ほろ苦さの残るSF的なロマンス映画になりました。
硯カンナ(松たか子)の演劇舞台の美術スタッフとして働いていますが、最近、夫の硯駈(松村北斗)との関係はぎくしゃくしていて、ついに離婚することになります。駈が離婚届を持って仕事に出かけた日、カンナは一本の電話により駈が死んだことを知らされるのでした。駅のホームでベビーカーが線路に転落し、助けようと飛び降りた駈は入って来た電車に轢かれてしまったのです。
しばらくして、舞台の不備で呼び出されたカンナは、首都高のトンネルから出ると、見知らぬ場所にいました。車を置いて田舎道を歩いていくと、立派なホテルにたどり着きます。そこは、15年前に駈と初めて出会った場所で、しかも若々しかった本人と再び出会うのでした。
カンナは、出会った頃の楽しかった日々を思いだし、何度も首都高からタイムスリップをして、駈との初めて出会いを体験します。そして、何とか駈が死なずにすむように、いろいろと違った行動や会話をして、未来を変えたいと思うのでした。しかし、現実に戻るとどうやっても駈が死んでしまう事実は変わらないのです。
そして、駈を死なせない方法としてカンナが導き出した結論は、二人が結婚しないということでした。再びタイムスリップしたカンナは、駈と関係が生じないようにしようとしますが、駈はその時代のカンナを見つけ驚き、また未来のカンナが落とした「2024年 駈死亡」のメモを拾ってしまうのでした。
出会った頃は、あれほど楽しかった二人の生活が、時を重ねて冷めていく様子がたんたんと描かれるシーンがあり、「初めはお互いにいいところばかり探すが、しだいに悪い所ばかりを探すようになるのが結婚」というセリフは、真実を含んでいるように思います。そうなる未来を先に知っていれば、それを回避して修正するポイントはたくさんあるのでしょうが、現実には難しい事です。
若い時の気持ちに戻って、改めて駈に恋するようになっていくカンナの気持ちは切ない。何しろ15年後に二人がどうなるのか知っているし、そもそも駈の運命もわかっている。カンナは何度も何度も最初の出会いを繰り返しますが、駈は毎回初めてのカンナとの出会いになるので、駈にとってはどんどんカンナの変人度合いが大きくなっていくのです。
若い時の松たか子は、本当に若い。それほど多くのシーンがあるわけではないので、おそらくCG処理をしているのだろうと思います。一方、現実の中年になった駈はメイクだろうと思いますが、こういうところは20世紀の映画では嘘っぽくなったと思いますが、今の技術は見事に成立させてしまうのが凄い。
若い頃の駈の恩師にリリー・フランキー、その娘で駈が好きな娘に吉岡里帆、現代のカンナに若いながらアドバイスをする仕事仲間に森七菜などが登場します。リリー・フランキーが「タイム・マシンがあったら、若い人は未来を見たくなり、年を取ると後悔を正すため過去に戻りたくなる」とコメントしているのはさすがです。
この不思議なストーリーの結末はどのように締めくくるのか気になる方は必見ですが、単純な恋愛物ではないので「なるほどそう来るか」と塚原・坂元コンビニ感心してしまいました。
さらに主演がもうベテランと呼ばれるようになった松たか子と「夜明けのすべて」で見事な演技を見せたSixTONESの松村北斗という、18歳差のカップルというのも驚かされました。しかし、年の差があるからこその、ほろ苦さの残るSF的なロマンス映画になりました。
硯カンナ(松たか子)の演劇舞台の美術スタッフとして働いていますが、最近、夫の硯駈(松村北斗)との関係はぎくしゃくしていて、ついに離婚することになります。駈が離婚届を持って仕事に出かけた日、カンナは一本の電話により駈が死んだことを知らされるのでした。駅のホームでベビーカーが線路に転落し、助けようと飛び降りた駈は入って来た電車に轢かれてしまったのです。
しばらくして、舞台の不備で呼び出されたカンナは、首都高のトンネルから出ると、見知らぬ場所にいました。車を置いて田舎道を歩いていくと、立派なホテルにたどり着きます。そこは、15年前に駈と初めて出会った場所で、しかも若々しかった本人と再び出会うのでした。
カンナは、出会った頃の楽しかった日々を思いだし、何度も首都高からタイムスリップをして、駈との初めて出会いを体験します。そして、何とか駈が死なずにすむように、いろいろと違った行動や会話をして、未来を変えたいと思うのでした。しかし、現実に戻るとどうやっても駈が死んでしまう事実は変わらないのです。
そして、駈を死なせない方法としてカンナが導き出した結論は、二人が結婚しないということでした。再びタイムスリップしたカンナは、駈と関係が生じないようにしようとしますが、駈はその時代のカンナを見つけ驚き、また未来のカンナが落とした「2024年 駈死亡」のメモを拾ってしまうのでした。
出会った頃は、あれほど楽しかった二人の生活が、時を重ねて冷めていく様子がたんたんと描かれるシーンがあり、「初めはお互いにいいところばかり探すが、しだいに悪い所ばかりを探すようになるのが結婚」というセリフは、真実を含んでいるように思います。そうなる未来を先に知っていれば、それを回避して修正するポイントはたくさんあるのでしょうが、現実には難しい事です。
若い時の気持ちに戻って、改めて駈に恋するようになっていくカンナの気持ちは切ない。何しろ15年後に二人がどうなるのか知っているし、そもそも駈の運命もわかっている。カンナは何度も何度も最初の出会いを繰り返しますが、駈は毎回初めてのカンナとの出会いになるので、駈にとってはどんどんカンナの変人度合いが大きくなっていくのです。
若い時の松たか子は、本当に若い。それほど多くのシーンがあるわけではないので、おそらくCG処理をしているのだろうと思います。一方、現実の中年になった駈はメイクだろうと思いますが、こういうところは20世紀の映画では嘘っぽくなったと思いますが、今の技術は見事に成立させてしまうのが凄い。
若い頃の駈の恩師にリリー・フランキー、その娘で駈が好きな娘に吉岡里帆、現代のカンナに若いながらアドバイスをする仕事仲間に森七菜などが登場します。リリー・フランキーが「タイム・マシンがあったら、若い人は未来を見たくなり、年を取ると後悔を正すため過去に戻りたくなる」とコメントしているのはさすがです。
この不思議なストーリーの結末はどのように締めくくるのか気になる方は必見ですが、単純な恋愛物ではないので「なるほどそう来るか」と塚原・坂元コンビニ感心してしまいました。
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